正面の本堂、左右は矜羯羅童子(右)と制吒迦童子(左) |
先に、東村山の野口不動尊に咲くあじさいについてとりあげましたが、このお寺のことは、正福寺からの帰り道で案内板を見て知りました。
大善院は、縁起によると、1573(天正元)年には、八王子の恵日山圓通寺の塔頭であったが、いくつかの変遷を経て、1899(明治32)年、この東村山の地に本堂を建て、大善院として開山したということです。1906(明治39)年に不動明王を安置し,さらに境内に高さ7メートルの築山に不動明王・三十六童子を安置して、不動明王のお寺として知られるようになったようです。地名の東村山・野口町にあることから「野口不動尊」と通称されます。
(参照):
東京異空間325:あじさい3@東村山・野口不動尊(2025/6/15)
1.矜羯羅童子と制吒迦童子
境内の入口に仁王像のように守る矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制吒迦童子(せいたかどうじ)の二人、不動明王の脇侍を務め、不動三尊といわれる。二人とも、15歳ほどの童子の姿である。
制吒迦童子(忿怒を表す) |
矜羯羅童子(慈悲を表す) |
矜羯羅童子 |
制吒迦童子 |
2.傳教大師像
築山の手前には、傳教大師・最澄の像が安置されている。像の前に「瞻仰崇信 」と書かれたプレートがある。難しい言葉だが、「瞻仰」は尊敬して仰ぎ見る、「崇信」は深く信じることを意味し、合わせて「せんぎょう すうしん」と読む。
なお、 門前の石柱には、「成田山開眼不動明王」とあるが、成田山新勝寺は真言宗(空海)で、大善寺は天台宗(最澄)のお寺である。
傳教大師像・「瞻仰崇信 」 |
傳教大師像 |
入口の石柱「成田山開眼不動明王」 |
3.不動明王と三十六童子の像
境内左側には、富士山の溶岩石で作られたという高さ7メートル築山に不動明王と三十六童子の像が置かれる。先の矜羯羅童子と制吒迦童子も三十六童子に含まれる。不動明王の眷属であり、それぞれが異なる功徳を持ち、人々の悩みや苦しみを救うとされている。
4.七福神
築山の裏側は七福神巡りができるようになっている。七福神巡りは、正月などの縁起の良い時期に行われることが多く、開運招福を願う人々に親しまれている。
なお、布袋像は撮り漏れた。
寿老人 |
福禄寿 |
弁財天 |
毘沙門天 |
大黒天 |
恵比寿 |
5.水子地蔵菩薩
本堂の横に地蔵堂があり、水子地蔵菩薩も祀られており、水子地蔵尊としても知られている。
6.不動堂(本堂)
本堂は、この地に移ってきた1899(明治32)年 に建てられたとされる。本尊は、阿弥陀如来 。
野口不動尊には、7メートルもの築山に不動明王と三十六童子の像が置かれているのに圧倒されました。築山の前に置かれた盆栽も、幹に大きな石を嚙んだ見事な楓でした。
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