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富岡八幡宮 |
6月下旬に深川界隈を散策してみました。
1.深川不動尊
深川不動と通称されるが、正式には「成田山東京別院深川不動堂」ということで、千葉の成田山新勝寺の東京別院である。
1703(元禄16)年、富岡八幡宮の別当寺である永代寺で、成田山の不動明王像の出開帳が行われ、5代将軍綱吉の生母・桂昌院も参拝したという。以来出開帳はたびたびおこなわれ、江戸庶民に信仰が広まった。明治に入り、神仏分離令に伴い、永代寺は廃寺となり、旧境内は深川公園となった。しかし不動信仰は止むことなく、1878(明治11)年に成田不動の分霊を祀り深川不動堂として存続することとなった。
その後、関東大震災、戦災により堂宇は焼失したが、本尊は、僧たちが命がけで運び出し焼失はまぬがれたという。
現在の新本堂は、2011(平成23)年に完成したもので、壁一面に梵字を配置するモダンな建物となっている。旧本堂で行われていた護摩法要に参加し、その後堂内にある仏像などを拝観した。境内には、成田山出世稲荷を勧請した深川開運出世稲荷がある。(成田山新勝寺については、拙ブログ「成田山新勝寺2021/1/4」を参照)
前述したように富岡八幡宮の別当寺であった永代寺の境内は、深川公園となったが、これは1873(明治6)年に出された太政官布達によるもので、都内では上野公園(寛永寺)、芝公園(増上寺)、浅草公園(浅草寺)、飛鳥山公園と並んで、日本で最初につくられた公園である。(太政官布達による公園については、拙ブログ「東京異空間72増上寺Ⅲ、芝公園」2022/11/14を参照)
なお、、このあたりの「門前仲町」という地名、駅名は、富岡八幡宮の別当寺永代寺の門前松として町屋が形成されたことに由来する。
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深川不動尊・門前 |
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深川不動尊 |
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新本堂・壁一面に梵字 |
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新本堂・壁一面に梵字 |
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旧本堂 |
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深川開運出世稲荷 |
2.富岡八幡宮
深川不動尊にほぼ隣接するように富岡八幡宮がある。富岡八幡宮は1627(寛永4)年、当時永代島と呼ばれていた現在地に創建された江戸最大の八幡宮といわれる。
深川八幡祭りは、日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭と並ぶ、江戸三大祭りの一つとなっている。日本最大といわれる純金や宝石を散りばめた絢爛豪華な神輿が繰り出し、担ぎ手にお浄めとして水をかける「水かけ祭り」としても知られている。
また、江戸勧進相撲発祥の地でもあり、1684(貞享元)年、幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許され、以降約100年間にわたって本場所が境内にておこなわれた。そののち本場所は、本所回向院に移り、現在の両国の大相撲へと繋がっていく。境内には「横綱力士碑」と「大関力士碑」、はじめ大相撲ゆかりの石碑が多数建立されている。
大鳥居の横には、伊能忠敬の銅像がある。伊能は千葉佐原の出身であるが、深川黒江町(現・門前仲町)に住んでいて、測量旅行出発にあたっては必ずここの八幡宮を参拝していたという縁りがあることから、2001(平成13)年の銅像が建てられた。測量への一歩を踏み出した姿である。
(拙ブログ、「東京異空間79:回向院2023/6/10」、「佐原~水郷の町、地図の町2021/1/11」 参照)
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富岡八幡宮 |
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富岡八幡宮・本殿 |
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大関力士碑 |
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伊能忠敬銅像 |
3.東京イースト21
都民割を利用してホテル・イースト21に1泊した。ここは、1992(平成4)年に鹿島建設の資材置き場の敷地に開発された「東京イースト21」のなかに、下町エリア初のシティホテルということで建てられた。バブル期最後の豪華な造りのホテルである。
エリアにはホテルのほか、ショッピングモール、イベントスペース、オフィスビルなどがある。パブリック・アートとしていくつかの彫刻も置かれている。また、スカイツリーも眺められる。
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ホテル・イースト21 |
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ホテル・イースト21 |
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ホテル・イースト21 |
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ショッピングモール |
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ホテル・イースト21・入口の彫刻 |
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ショッピングモール内の彫刻 |
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ショッピングモール入口の彫刻 |
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ショッピングモール入口の彫刻・太陽 |
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ホテルのプール |
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ホテルのエスカレーター |
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ホテル・ロビーに置かれた神輿 |
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スカイツリー |
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ホテルからのスカイツリー |
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ホテルからのスカイツリー |
ホテルに一泊し、深川界隈の寺社を巡るなど、夏休み前のゆっくりとした時間を過ごすことが出来ました。
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