三の丸尚蔵館が新たに建て替えになり、一部がオープンして、開館記念展「皇室のみやび」が1期から4期分けて開催されていました。その4期に行ってみました。拙ブログに取り上げるのが遅くなり、展覧会の会期は既に終わってしまいましたが、伊藤若冲の動植綵絵など素晴らしい作品を観ることができました。
1.皇居三の丸尚蔵館
これまでの「三の丸尚蔵館」は、平成元年(1989年)に上皇陛下と香淳皇后から、皇室に代々受け継がれた美術品が国に寄贈されたことを機に、平成5年(1993年)に開館した。開館から30周年を機に、施設を拡充するとともに、2023年10月に管理・運営が宮内庁から独立行政法人国立文化財機構に移管された。宮内庁から文化庁所管の国立文化財機構のひとつとなり、東京、京都、奈良、九州の国立博物館に加え、5番目の国立博物館となった。とはいっても、「三の丸国立博物館」となったわけではなく「皇居三の丸尚蔵館」とこれまでの名称に「皇居」が付いた名称となった。
ちなみに、「尚蔵」(=蔵司)とは、古代律令制において蔵司(くらのつかさ)の長官「くらのかみ」を指し、皇位の象徴である神璽や
天皇・皇后の衣服などを司った役所を意味するという。
また収蔵品は、かつての御物扱いから文化財となり、いくつかが国宝等の指定がされた。観る側にとっての変更点は、これまで入館料は無料であったが、千円(70才以上は無料)となり、日時指定となったこと。ただ、展示される作品のほとんどが写真撮影が可能となったことはうれしいことだ。
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皇居三の丸尚蔵館 |
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皇居三の丸尚蔵館 |
2.三の丸尚蔵館の名品
絵画では、国宝となった狩野永徳の《唐獅子図屏風》、伊藤若冲の《動植綵絵》のうち4幅、
高階隆兼の
《春日権現験記絵》が展示されていた。また工芸では、並河靖之《七宝四季花鳥図花瓶》、戸島光孚《双鶏置物》、《閑庭鳴鶴・九重ノ庭之図刺繍屏風》といった超絶技巧の作品が展示されていた。これら今回展示されている作品は、すべて皇室に献上され、三の丸尚蔵館が所蔵することになったものである。
展示作品について、皇居三の丸尚蔵館のH.Pなどを参考に調べてみた。
(1)国宝
《唐獅子図屏風》右隻:狩野永徳(1543~90) 桃山時代(16世紀)左隻:狩野常信(1636~1713) 江戸時代(17世紀)六曲一双
教科書なにどにも安土桃山時代の代表する美術品として掲載され、おそらく誰もが目にしたことのある作品である。
右隻は、右端下部の狩野探幽による極書によって、桃山画壇の巨匠・狩野永徳の数少ない確証的な作品として名高い。岩間を闊歩する雌雄の堂々たる獅子の姿は、実に力強い筆法で描かれ、単純な図様ながら、その迫力、勇壮さには、本屏風が永徳自身の作品であることを疑う必要はない。左隻は、後に狩野常信が右隻の図様にあわせて制作したもので、今日は一双として伝わる。明治21(1888)年に毛利元徳より献上された。
屏風は高さ2メートル、幅4メートルもあり、これまでの三の丸では展示が難しかったが、リニューアルされ広いスペースで左右一双あわせて展示されている。
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《唐獅子図屏風》 |
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《唐獅子図屏風》左隻:狩野常信 |
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《唐獅子図屏風》左隻:狩野常信 |
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《唐獅子図屏風》右隻:狩野永徳 |
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《唐獅子図屏風》 |
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《唐獅子図屏風》 |
(2)国宝《動植綵絵》
伊藤若冲 江戸時代、宝暦7年(1757)頃~明和3年(1766)頃
全30幅のうち、芙蓉双鶏図、諸魚図、
老松孔雀図、
蓮池遊魚図 の4幅が展示されていた。
伊藤若冲(1716~1800)は、《動植綵絵》(30幅)を《釈迦三尊図》(3幅対)と共に、両親と弟、そして若冲自身の永代供養を願って相国寺に寄進した。《動植綵絵》は、様々な植物、鳥、昆虫、魚貝などの生き物の生命感を瑞々しく描写しているが、その背景には、「山川草木悉皆仏性」の仏教思想があるとされる。
若冲42歳、1757年から描き始め、約10年かけて全30巻を制作した。それを24幅制作した段階で相国寺に寄進した。30巻の完成まえに寄進したのは、末弟の死が動機とされる。残りの制作も翌年までに行われ、最終的には1770年、父の33回忌の年までに相国寺に納められたという。
《動植綵絵》は、1889年(明治22年)に相国寺より皇室に献納されたが、《釈迦三尊像》は相国寺に残されたので、別々に所蔵されている。
《動植綵絵》全30幅と《釈迦三尊像》3幅の全33幅が一堂に展観されたのは4度だけである。
そのうち、2回は、ワシントンとパリであり、日本では京都と東京の2回となっている。2018年に東京都美術館で全33巻が一堂に展示された展覧会に行ったことがある。また、その前に、旧・三の丸尚蔵館で数回に分けて展示された機会にも出かけて観た覚えがある。
皇居三の丸尚蔵館は、令和8年度に新たな建物がすべて完成すると、展示スペースが大幅に広くなり、全30幅の連作の「動植綵絵」を一堂に展示するなど、これまでできなかった見せ方ができるようになるという。
(参考):
『若冲』辻惟雄 講談社学術文庫 2015年
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老松孔雀図 |
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老松孔雀図 |
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老松孔雀図 |
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老松孔雀図 |
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諸魚図 |
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諸魚図 |
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諸魚図 |
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諸魚図 |
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諸魚図 |
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諸魚図 |
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蓮池遊魚図 |
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蓮池遊魚図 |
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蓮池遊魚図 |
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蓮池遊魚図 |
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芙蓉双鶏図 |
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芙蓉双鶏図 |
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芙蓉双鶏図 |
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芙蓉双鶏図 |
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芙蓉双鶏図 |
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芙蓉双鶏図 |
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《動植綵絵》 |
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《花鳥十二ヶ月図》と《動植綵絵》 |
(3)国宝
《春日権現験記絵》 高階隆兼 鎌倉時代
延慶2年(1309)頃
藤原氏の氏神である春日神(春日権現)の霊験を描いた絵巻物。1309年に時の左大臣・西園寺公衡の発案で、宮廷絵所の長・高階隆兼によって描かれ、春日大社に奉納された。全21巻(うち1巻は目録と序文のみ)。大和絵で描かれた社寺縁起絵巻の代表作であると共に、全巻が揃い、制作者が判明していることや、当時の風俗が細かく描かれていることなどから、日本の中世を知る貴重な歴史的資料とみなされている。
本作品は、春日大社に秘蔵されていたが、江戸後期に流出し、その後、勧修寺経逸が収集し、鷹司家を経て、明治8年(1875)と同11年の2度にわけて、皇室に献上された。
<巻一、竹林殿の普請の場面>
画面は竹林殿の普請を描く。準縄(みずはかり)で水平を測る者、曲尺(さしがね)や墨縄で材木に目印を付ける者、槍鉋(やりがんな)や手斧(ちょうな)で材木を加工する者、食事をする者、木屑を運ぶ子供たちなどが描かれる。画面右方の、尺杖を持ち、右手で何かの指図をしている男が棟梁である。画面左は藤原吉兼の夢に貴女(春日大明神)が現れた場面。邸内には就寝中の吉兼夫妻が見える。庭の竹林の上に現れた盛装の貴女が春日大明神。
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《春日権現験記絵》 |
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《春日権現験記絵》<巻一、竹林殿の普請の場面> |
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《春日権現験記絵》<巻一、竹林殿の普請の場面> |
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《春日権現験記絵》<巻一、竹林殿の普請の場面> |
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《春日権現験記絵》<巻一、竹林殿の普請の場面> |
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<巻一、竹林殿の普請の場面> 竹林の上に現れた盛装の貴女が春日大明神 |
(4)《天子摂関御影》天皇巻 藤原為信、豪信 鎌倉~南北朝時代 14世紀
《天子摂関御影》
は、平安時代後期から鎌倉時代に及ぶ天子・摂関・大臣、計131名の肖像を描き連ねた画巻(絵巻)。似絵の主要作品の1つ。曼殊院門跡に伝来したが、明治11年(1878)皇室に献上された。全4巻。
藤原為信や豪信は似絵の技能を代々継承した隆信派(祖は藤原隆信)に属する絵師である。
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《天子摂関御影》天皇巻 |
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《天子摂関御影》天皇巻 |
(5)《花鳥十二ヶ月図》 酒井抱一 12幅のうち4幅 江戸時代、文政6年(1823)
酒井抱一(1761~1829)は、花鳥図や草花図を得意とし、琳派芸術の再興を志して豊かな叙情性と装飾性を追求し、独自の画風を示した。彼の作品には数種類の花鳥十二ヶ月図が知られるが、その中でも本作品は、構図が整い、配色も鮮明な優品である。抱一62歳の作品と判る基準作としても貴重。
宮内省が明治宮殿の装飾として個人から買い上げた。
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《花鳥十二ヶ月図》二月 菜花に雲雀図
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《花鳥十二ヶ月図》三月 桜に雉子図 |
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《花鳥十二ヶ月図》十月 柿に小禽 |
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《花鳥十二ヶ月図》十一月 芦に白鷺図 |
(6)《朝陽霊峰》横山大観(1868~1958)六曲一双昭和2年(1927)
本作は、明治宮殿豊明殿で用いるために、御下命を受けて制作された。大観が得意としていた雲中富士の美しい山容が描かれている。
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《朝陽霊峰》 |
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《朝陽霊峰》 |
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《朝陽霊峰》 |
(7)《七宝四季花鳥図花瓶》 並河靖之
明治32年(1899年)
大きく配された山桜やモミジとともに数種の野鳥が、光沢をたたえた黒色釉の背景から鮮やかに浮かび上がる。近代有線七宝の最高水準を示す並河の傑作として、大きな評価を得ている。御下命により制作されて1900年パリ万国博覧会に出品された作品。
並河靖之(1845~1927)は、明治期の日本を代表する七宝家の一人で、京都を中心に活躍した。近代七宝の原点である有線七宝にこだわり続けてこれを極め、東京で活動した無線七宝を得意とするライバルの濤川惣助と共に、「二人のナミカワ」と評された。七宝の分野で帝室技芸員に任命されたのは並河靖之と濤川惣助の2人だけである。
京都には並河の邸宅兼工房を改装した「並河靖之七宝記念館」があり、並河の作品が展示されているとともに、小川治兵衛による庭園が造られている。
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《七宝四季花鳥図花瓶》 |
(8)《双鶏置物》戸島光孚ほか 大正5年(1916)
頭を高くもたげる雄鶏と、うつむいて餌を啄む雌鶏の姿が、写実的に表現されている。鶏の表面は、金地に仕立てに彩漆を重ね、羽の毛筋は金銀の付描で表わし、鶏冠の部分は朱漆の地に金粉を蒔き付けるなど、じつに多様な技巧をもって装飾されている。
大正天皇即位の礼は、大正4年(1915)に挙行されたが、これはその大礼を祝うため、旧・堂上華族一同から献上された置物である。
戸島光孚(光阿弥とも、1882~1956)は、蒔絵師。
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《双鶏置物》 |
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《双鶏置物》 |
(9)《閑庭鳴鶴・九重ノ庭之図刺繍屏風》四曲一双 髙島屋呉服店 昭和3年(1928)
《閑庭鳴鶴・九重ノ庭之図刺繍屏風》は、金糸を織り込んだ華やかな地に、鶴や菊の花などの動植物を絹糸による刺繍で巧みに描写している。
髙島屋呉服店が京都の特産品として威信をかけて制作し、昭和3年の昭和天皇の即位の大礼に際して、皇室に京都市から献上された。
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《閑庭鳴鶴・九重ノ庭之図刺繍屏風》 |
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《閑庭鳴鶴・九重ノ庭之図刺繍屏風》 |
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《閑庭鳴鶴・九重ノ庭之図刺繍屏風》 |
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《閑庭鳴鶴・九重ノ庭之図刺繍屏風》 |
(10)重要文化財《萬国絵図屏風》八曲一双
桃山~江戸時代(17世紀)
南蛮貿易やイエズス会宣教師の渡来によってもたらされたと考えられる西洋の地図などをもとに制作された初期洋風画で
、右隻には、上部にペルシア王ら8人の王侯騎馬図、その下にポルトガル国とローマなどの28都市図を描き、左隻には中央4扇に世界地図、その左右に計42の諸国人物図が描かれている。近年の修理の際、右隻から現状画面とは異なる下絵4図が確認された。この図様は「古代ローマ皇帝図集」の4皇帝図と考えられる。
本作品は明治維新の時、駿府の徳川家から皇室に献上されたと伝えられる。また、明治天皇が好み、傍に置いたとも言われる。
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《萬国絵図屏風》 |
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《萬国絵図屏風》 |
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《萬国絵図屏風》 |
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《萬国絵図屏風》 |
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《萬国絵図屏風》 |
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《萬国絵図屏風》 |
皇居三の丸尚蔵館は、今回は一部開館でしたが、令和8年度には新たな建物がすべて完成する予定になっています。そのときの開館記念展では、伊藤若冲の《動植綵絵》全30幅と《釈迦三尊図》(3幅)も合わせ、同時に展示されることを期待したいと思います。
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