2025年10月30日木曜日

東京異空間356:幕末土佐の天才絵師 絵金@サントリー美術館

絵金@サントリー美術館

 

絵金@サントリー美術館を観てきました。絵金については、以前から関心を持っていたのですが、その絵は、高知の夏祭りのときに神社の境内に屋台などを組んで飾るものでしたから、なかなか実物を見ることは叶いませんでした。それが今回、東京の美術館では初めての大規模展が開かれました。

展示会場は、3階のコーナーには屋台が組まれ、高知の夏祭りを再現するような演出が施されていて、ここは撮影可でした。

1.弘瀬金蔵(ひろせ きんぞう、1812-1876

絵金は、高知城下・新市町(現・はりまや町)の髪結の子として生まれ 16歳で土佐藩の御用絵師に入門、18歳の時、江戸に行き狩野派を学ぶも、通常ならば10年はかかるとされる修行期間を足かけ3年で修了し、高知に帰郷する。20歳にして土佐藩家老の御用絵師となる。しかし、33歳の頃、狩野探幽の贋作を描いた嫌疑を掛けられたことで職を解かれ、高知城下所払いの処分とされたという。 高知城下を離れて町医者から弘瀬姓を買い取った後、慶応年間より叔母を頼って現・香南市赤岡町に定住し「町絵師・金蔵」を名乗り、地元の農民や漁民に頼まれるがままに芝居絵、提灯絵馬、凧絵などを数多く描き、「絵金」の愛称で親しまれた。現在でも、地元高知では、夏祭りの数日間、絵金の屏風を飾る風習が残っており、神社の境内や商店街の軒下に、絵金の描いたおどろおどろしい芝居の場面が提灯や蝋燭の灯りで浮かび上がる。

この絵金の生涯には、いくつもの謎があり。「謎の絵師」ともいわれる。①江戸での修行を3年で終え、土佐に戻ってきて藩の御用絵師になれたという謎。②その後、贋作事件で藩を追われたとされるが、これは濡れ衣ではないかという謎。③藩を追われたため、叔母のいた赤岡に移り、庶民のために芝居絵や絵馬などを描いて暮らしていたという謎。④庶民のための絵とはいえ、安価な「泥絵の具」ではなく、岩絵の具を使い、血の赤など際立った色彩で描いたという謎。⑤その芝居絵は、神社の境内などに飾られ、宵闇の中、蝋燭の光に浮かび上がるように、作品と空間を演出した謎。こうしたいくつかの謎は、絵金の絵に、より怪しげな魅力を与えているようだ。

2.高知の夏祭り

会場は、高知の夏祭りの風景を再現して、絵馬を掲げる台である「絵馬台」や、絵馬提灯も展示されている。中でも、香美市の八王子宮で実際に用いられている「手長足長絵馬台」が実物大で再現されていて迫力がある。さらに、会場内の照明は、明るくしたり暗くしたりして宵闇に浮かび上がように、あるいは蠟燭の光に照らし出されるように、演出され、まさに夏祭りの雰囲気が醸し出されている。




「手長足長絵馬台」

絵馬台は、土佐山田の宮大工により造られたもので、唐破風の軒下に鳳凰、猩々の彫刻が飾る。さらに、柱には「手長、足長、昇り龍、降り龍」が彫刻されている。

「手長足長」というのは、中国の古い地理書『山海経』』に登場する「長臂人(手の長い人々)」と「長股人(足の長い人々)」が原型とされている。そこから、長寿を願う不老長寿の神仙として、また、旅人を襲う悪行を働く妖怪としてのイメージが江戸時代にはあったという。 さらに、土佐らしく、海で漁をする際に、足長が手長を背負い、手長が長い手で魚を捕らえるという、協力するコンビのイメージがあるとされている。








3.芝居絵

芝居絵というのは、歌舞伎や浄瑠璃で上演される物語のクライマックスの場面を描いた絵で、当時の人々は、その筋書きが頭にあり、観たらすぐにその物語を思い出すことができたのだろう。天保の改革の影響で歌舞伎役者の巡業が禁止され、高知城下では芝居の興業ができなくなったが、それでも地芝居は、土佐藩内の各地で行われていたとされる。残念ながら、現代人には芝居の筋書きは分からないが、絵を観ただけでも、その面白さを想像できる。絵金の代表作のひとつといわれる芝居絵を観てみる。

『伊達競阿国戯場 累(だてくらべおくにかぶき かさね)』では、過去に実の姉を殺害した与右衛門と、知らずに夫婦となった累(かさね)が描かれている。姉の怨念で醜く変貌したことを、鏡を見て知ってしまった累。頭から上がる炎は、その怨念を表しているという。この後、嫉妬に怒り狂った累は、与右衛門に手前置かれている鎌で殺害されてしまうという話である。

伊達競阿国戯場 累(だてくらべおくにかぶき かさね)二曲一双 

画面中央がこの物語の主人公「累(かさね)」。姉の怨念により醜女と化した悲しい女。




主人公「累(かさね)」





そのほか、展示されていた作品のうち、撮影可の絵とそのタイトルを記しておく。

岸姫松轡鑑 朝比奈上使(きしのひめまつくつわかがみ あさひなじょうし) 


芦屋道満大内鑑 葛の葉子別れ(あしやどうまんおおうちかがみ くずのはこわかれ) 

安倍保名に助けられた白狐が許嫁・葛の葉姫の姿を借りて現れ、二人の間に生まれた子がのちに陰陽師・安倍晴明となる。人間の欲と愛、狐の一途な恋と悲しい別れの物語。



由良湊千軒長者(うらみなとせんげんちょうじゃ)



絵本太功記 杉の森とりで



玉藻前朝比の袂(たまもまえあさひのたもと)道春館



伽羅先代萩 御殿(めいぼくせんだいはぎ ごてん)



妹背山婦女庭訓 吉野川(いもせやまおんなていきん よしのがわ)



嬢景清八島日記 日向島(むすめかげきよやしまにっき ひゅうがじま)



加賀見山旧錦絵 鶴岡八幡(かがみやまこきょうのにしきえ)



伊賀越道中双六 岡崎(いがごえどうちゅうすごろく)



近江源氏先陣館 盛綱陣屋(おうみげんじせんじんやかた もりつなじんや)



船弁慶(ふなべんけい)



蝶花形名歌島台 小坂部館(ちょうはながためいかのしまだい おさかべやかた)



敵討優曇華亀山 赤堀屋敷(かたきうちうきぎのかめやま あかぼりやしき)



4.描かれた人物たち

芝居絵に描かれるテーマとしては、遊女との恋など悲恋、嫉妬、心中物、密通などの愛憎劇、また、武士の忠義、義理人情、仇討ちなど復讐劇、さらには妖怪、幽霊などが登場する怪談話などなどであるが、それぞれの物語のあらすじを追うのはやめて、描かれた人物をクローズアップしてみた。

(1)血みどろ

赤は邪気を払う色とされていたので、依頼者の要望に沿って、魔除けの意味を込めて仕上げたと考えられている。それにしても、残酷なシーンだ。












(2)狂おしいほど美(妖)しい女たち

美しい女性は、ときとして嫉妬にかられ妖しい姿に。




















(3)おどろおどろしい男たち

恐ろしい形相で、見えを切る男たち。















(4)恐ろしい子どもたち

可愛らしい子どもも、血塗られた場面に登場する。







5.絵馬提灯

絵馬提灯は、箱型の木枠に、芝居の場面などを描いた和紙を貼り、中に入れた蝋燭の光で見る。蝋燭のゆらめきで、描かれた絵はまるで動き出さんばかりに妖しげに見える。

撮影可であったのは次の作品。

図太平記実録代忠臣蔵 第七段 六段目 勘平切腹  






図太平記実録代忠臣蔵 第八段 七段目 祇園一力茶屋 







図太平記実録代忠臣蔵 第九段 九段目 山科閑居









『釜淵双級巴』

撮影は不可であったが、石川五右衛門を主人公にした『釜淵双級巴』の連作 。近年新たに確認された絵馬提灯で、極悪非道の大盗賊・石川五右衛門の出自から釜茹でにされる壮絶な最期までを描く。

五右衛門出生の秘密:奥女中であった母は、士官の身である父と、「庚申」の日に身ごもった五右衛門を捨てる。「庚申の日に生まれた子供は大泥棒になる」という江戸時代の俗説に基づいた物語である。もちろん、五右衛門が庚申の日に生まれてという事実は確認されていない。

最後の時、煮えたぎった釜に入れられる。そのとき、息子を高く持ち上げ、「浜の真砂は尽きるとも世に当人の種は尽きまじ」と辞世の句を詠んだという。

物語のその後、釜茹でにされ、ブクブクに膨れ上がった体から漂う悪臭。処刑後釜を磨くものたちが早速作業に取り掛かっている。



高知の夏祭りを再現するような絵馬台に絵金の芝居絵を観ることができました。絵金の画業の謎もいろいろあるようですが、絵金の芝居絵が祭に飾られるように、土佐に人々の心に響く絵を描いてきたという。また、ついこのあいだまで土佐の高知では、コドモが絵を描いていると、「エキンになるがや」といわれるほどにエキンは描きの代名詞になっていたという。いわば民衆の中の芸術をつくりだしたことに感動しました。

(参考):

『絵金 闇を照らす稀才』鍵岡正謹 監修 東京美術 2023年

『絵金 極彩の闇』高知県立美術館 2012年

『絵金と幕末土佐歴史散歩』鍵岡正謹 とんぼの本 新潮社 1999年

絵金@サントリー美術館


東京異空間363:秋色づくⅡ~秋の花・実

  東京異空間362:秋色づくⅠ~武蔵関公園・石神井公園・皇居二の丸庭園 につづいて、 近所を散歩して、秋の色を探してみました。 1.木の葉 ハゼノキ ラクウショウ ドウダンツツジ ドウダンツツジ ホウキグサ 2.木立 3.花・実 ムラサキシキブ ムラサキシキブ ホトトギ...

人気の投稿