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「柴田是真ー対柳居から世界へー」 |
「柴田是真ー対柳居から世界へー」 @東京黎明アートルームを観てきました。柴田是真については、2023年に「柴田是真と能楽」~国立能楽堂を観ていますが、今回はその時の作品と同じ《羽衣福の神図屏風》という能と狂言を描いたものも展示されていました。
(参照):
東京異空間80:「柴田是真と能楽」~国立能楽堂(2023/1/27)
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「柴田是真と能楽」ポスター |
1.柴田是真(1807-1891)
柴田是真は1807(文化4)年、 江戸両国に生まれる。11歳で印籠蒔絵師・古満(こま)寛哉に入門して蒔絵を学び始め、蒔絵の下絵を描くために16歳で鈴木南嶺に入門して江戸円山派の画も習い、さらに24歳で京都へ遊学して四条派の岡本豊彦にも師事した。江戸に帰ると浅草橋に居を構えて、神田川をはさんで「柳原の土手」を対岸に臨むことから「対柳居(たいりゅうきょ)」と名付け、午前中は日本画を描き、午後は蒔絵の制作をするという日常を1891(明治24)年に没するまで続けた。
明治に入り、画と漆芸の両方で名を成し、和紙に漆で絵を描く漆絵を始めた。また、ウィーン万博(1873年)に出品するなど、その超絶技巧の作品は海外での評判が高かった。
今回の展示は、「対柳居」伝来とみられる新出の写生・粉本類と下積み時代の作品が中心である。
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柴田是真 |
能<羽衣>和合之舞 |
《漆絵管公図》 |
2.東京黎明アートルーム
東京黎明アートルームは、2005年に宗教法人・東京黎明教会が、美への貢献を目的として、同教会のコレクションを公開するため開室した。東京黎明は、新宗教である世界救世教から分派した教団の一つであり、美術館開設の背景には、教えを広めた*岡田茂吉が美術をとても大切にしていたという思想がある。。美術館は中野にあり、2015年に現在の名称とした。
*岡田茂吉(1882-1955)
岡田茂吉は、世界救世教の教祖であり、独自の哲学に基づき、真善美の理想世界のうち「美の世界」として、美術品を公開する場、「箱根美術館」「MOA美術館」を創設している。
東京黎明アートルーム・入口 |
東京黎明アートルーム・前庭 |
東京黎明アートルームには何回か観に来ています。大きな美術館ではありませんが、中野区では唯一の美術館で、受付の横には、持国天・多聞天立像(平安時代12世紀)が、また中の一室にはガンダーラ仏などが展示されています。二階の展示室には、《雪中芭蕉図》(柴田是真筆 紙本墨画 明治11年)が飾られていて、これは撮影可でした。
持国天・多聞天立像
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