| 乃木神社 |
乃木神社に寄ってきました。ここは、乃木希典とその妻・静子が祀られている神社です。「夫婦和合」の神様ということから結婚式場としても知られています。場所は港区赤坂の乃木坂の横、地下鉄の駅名も乃木坂です。いまはアイドルグループ「乃木坂46」のメンバーの初詣、成人式がこの神社で行われることのほうがよく知られているようです。
乃木神社の横に、旧乃木邸があります。
| 旧乃木邸裏門 |
1.乃木希典(1849—1912)
乃木希典は、日露戦争において旅順攻囲戦、その最大の激戦地である「203高地」を指揮したことで、「乃木大将」「乃木将軍」と呼ばれた。また、明治天皇から学習院長を命ぜられ、のちの昭和天皇の教育にも当たった。最後は、1912(大正元)年9月13日、明治天皇の大喪の礼が行われた日の20時頃、乃木は妻・静子とともに自刀した。いわゆる「殉死」とされる。
この日露戦争での武勲、 教育者としての功績、忠誠心と殉死などから、人々の尊敬の念を受け、「軍神」として御霊が祀られるようになる。
乃木は、日露戦争での功績などにより、「聖将」とよばれたが、いっぽうで、旅順要塞攻略に際して多大な犠牲を生じたことや、明治天皇が崩御した際に殉死したことなどについて、司馬遼太郎は『坂の上の雲』『殉死』において、「愚将」として厳しく批判 した。勿論、その批判に対する反論もある。
| 乃木希典石膏像 渡邊長男作 |
| 乃木希典石膏像 渡邊長男作 |
| 殉死当日朝の写真 左に「純誠剛毅 澁澤榮一敬書」右は「忠勇義烈」東郷平八郎書 |
| 殉死の刀 |
| 乃木夫妻(殉死の朝、応接間で写真史の求めに応じて写された) |
2.旧乃木邸
(1)母屋と馬小屋
乃木が留学中に見たフランス連隊本部を参考にして、設計は海軍技師の*北沢虎造により、明治35年に建てられた。
(*北沢虎造は、東京大学本郷キャンパスにある旧前田邸「懐徳館」の日本館を設計している。参照:東京異空間154:東大・本郷キャンパスⅠ~懐徳館庭園と育徳園2023/10/27)
母屋は、明治期の和洋折衷建築であるが、軍人の家らしく簡素で合理的につくられている。1912(大正元)年9月に、明治天皇に殉じて自刃するまでここに住んだ。
また、母屋より前、明治22年には馬小屋を建てている。煉瓦造り、瓦葺きの平屋建てで、質素な木造建築の母屋より立派 であったことから、評判になったという。乃木希典は馬をこよなく愛し 煉瓦は英国から取り寄せるなどこだわりがあった。
| 旧乃木邸・表門 |
| 馬小屋 |
(2)乃木将軍と辻占売り少年像
少将時代の乃木が、明治24年に訪れた金沢の街で辻占売りをする当時8歳の今越清三郎少年を見かけた。その少年が父親を亡くしたために幼くして一家の生計を支えていることを知り、少年を励まし当時としてはかなりの大金である金2円を渡した。少年は感激して努力を重ね、その後金箔加工の世界で名をなしたという逸話があり、「乃木将軍と辻占売り」という唱歌や講談でも有名になった。母屋の前にその姿の像が置かれている。
(3)「マックアーサーの植樹」
終戦後、連合国軍最高司令官のマッカーサーは、乃木邸を訪れ、乃木大将に敬意を表してアメリカハナミズキの木を植樹した。訪れたときは、その木が黄色く色づき始めていた。
(4)乃木家祖霊舎
乃木家祖先とご祭神ご夫妻の御霊をお祀りし、乃木小社として乃木神社創建まではここで祭儀が行われていた。
3.乃木神社
乃木の死去(殉死)を受け、神社建立の要望が起こり、当時の東京市市長・阪谷芳郎は先頭に立って広く同志を集め、中央乃木会を組織し、神社創建を推進した。これは、明治天皇を東京の地に祀るため、明治神宮が造られたのと同様であった。1919(大正8)年、乃木神社創立の許可が下り、明治神宮創建の後に造営の事業がおこされ、1923(大正12)年に鎮座祭が行われた。ちなみに、明治神宮(内苑)の創建は、大正9年(1920)である。
設計は大江新太郎が手がけた。大江は、当時、明治神宮造常局技師 であり、伊東忠太とともに、明治神宮・社殿や、宝物殿の設計も手掛けている。
当初の社殿は東京大空襲で焼失したが、1962(昭和37)年、本殿・幣殿・拝殿が復興された このときの設計は、新太郎の息子・大江宏が手がけた。1983(昭和58)年には宏の長男・大江新と三男・昭の設計によるコンクリート造の宝物殿が建てられた。
また、乃木の別邸があった那須塩原にも、1916(大正5)年に乃木神社が建てられている。これも大江新太郎による設計である。そのほか、出身地の下関など、乃木にゆかりのある地に複数の乃木神社がある。
(参照):
東京異空間81:明治神宮(内苑)と神宮外苑Ⅰ(2023/3/19)
| 乃木坂 |
| 一の鳥居 |
| 手水舎 |
| 手水舎 |
| 二の鳥居 |
| 赤坂王子稲荷神社 |
| 拝殿 |
| 拝殿 |
| よりそひ橋 |
| さざれ石 |
| ナンダモンダ(菊目石) |
| 正松神社(摂社) |
| 正松神社 |
乃木神社は、地下鉄・乃木坂駅の近くにあり、以前にも訪れています。いまは乃木希典よりも、「乃木坂46」のほうがよく知られているようです。司馬遼太郎は、乃木の殉死を「時代の転換期に逆行する行為」と捉え、その影響が軍国主義へとつながる危険性を指摘しました。
また、軍人を祀る神社としては、乃木神社以外にも靖国神社をはじめとして、東郷神社(東郷平八郎)、児玉神社(児玉源太郎) 南洲神社(西郷隆盛)、大村神社(大村益次郎)などがあり、それぞれの歴史とあわせて考えてみる必要があるようです。
(参照):
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