2026年3月22日日曜日

京の寺社3~石清水八幡宮

 

石清水八幡宮・本殿

京の旅の二日目は石清水八幡宮に行きました。石清水八幡宮は初めて訪れました。ここは淀川・宇治川・木津川の三川が合流する 地域で、京都市ではなく八幡市になります。京阪電車で、京都競馬場を過ぎて、石清水八幡宮駅で降り、すぐ前にある参道ケーブルに乗って石清水八幡宮に行きました。

1.参道ケーブル

石清水八幡宮は、男山(標高約143メートル)の山頂に建てられている。 山道を歩くと約396段の石段などがあり、当然のことだが、ケーブルカーで登る。ケーブルは、山麓と山上を約3分で結ぶ。途中の鉄橋の高さは日本一(地上約43m)を誇るという。

このケーブルカーは、1926年(大正15年)男山索道(株)により開業した。当時は参拝客の利便性を高めるための画期的な足となった。 戦時中は、「不要不急線」の指定により、資材供出のため廃止されたが、1955年(昭和30年)京阪電気鉄道(株)によって復活開業した。 2019年(令和元年)に名称を「男山ケーブル」から「石清水八幡宮参道ケーブル」へ変更し、車両も一新し「あかね」「こがね」とネーミングされた。

山上駅を降り、緑濃い山道を少し歩くと、本殿に着く。





2.石清水八幡宮

創建は、平安時代前期の859年、清和天皇の命を受けた僧・行教が、大分県の宇佐神宮から、八幡大神の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、男山の峯に御神霊を勧請したのが始まりとされる。

939年に起こった平将門・藤原純友の乱の折には、朝廷より御請願があり八幡大神様の御神威をもって平定されて以来、国家鎮護の社として皇室の御崇敬は益々厚いものとなり、天皇の行幸や上皇の御幸は、円融天皇(64)の行幸以来、240余度にも及び、伊勢の神宮と共に二所宗廟とも称された。

清和源氏の祖である源頼信は、石清水八幡宮を源氏の氏神として仰いだ。以降、源義家は石清水八幡宮で元服し自らを「八幡太郎義家」と名乗るなど、源頼朝などの河内源氏が、戦の神として深く信仰した。

さらに、石清水八幡宮は単なる神社ではなく、「天下を取った者がその権威を示す場所」として、時の権力者(足利氏、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康・家光など)がこぞって社殿の造替や寄進を行った。

明治の初めには官幣大社に列せられ、「男山八幡宮」と改称されたが、「石清水」の社号は創建以来の由緒深い社号であることから、1918(大正7)年には再び「石清水八幡宮」と改称された。 2016(平成28)には、本殿などが国宝に指定された 。

(1)社殿

社殿は、徳川家康の命によって建て替えられたもので、 1634年に徳川家光が修造した。内殿と外殿という2つの棟が前後に並ぶ「八幡造」という独特な形式で、現存する八幡造としては日本最古・最大を誇る。

建物に施された彫刻の豪華さや、漆塗りの美しさは日光東照宮にも通じる。建物全体は鮮やかな朱色と金箔に彩られ、欄間には、向かい合う阿吽の鳩がデザインされている。また、本殿の欄間は、虎や龍など150点以上の彫刻があるという。

内殿と外殿の間の屋根に架けられた、織田信長が寄進したとされる唐金製の「黄金の雨樋」がある。これは、当時の社殿が雨漏りしていた際、信長が「木ではなく、朽ちない金属で作れ」と命じたと伝わっている。ただ、通常は非公開となっていて見ることはできなかった。







龍虎と鳩

阿吽の鳩
(向かって右が口を開けた「阿形」、左が口を閉じた「吽形」になっている)







流れ左三つ巴(神紋)




黄金の雨樋



(2)鬼門封じ

本殿を囲む石垣の北東角が、直角ではなく斜めに切り取られたような形になっている。これは、災いをもたらすとされる北東(鬼門)の方角を、物理的に「欠けさせる」ことで守護する建築上の工夫である。陰陽道では鬼門(丑寅の方角)に角があると鬼がとどまると考えられていたことから、あえて角をなくす(=欠けさせる)ことで、「そこには角(鬼門)が存在しない」と見なし、鬼が侵入できないようにしている。


鬼門封じ

鬼門封じ










(3)楼門・総門

東西南北に総門が構えられている。南総門は「楼門」と呼ばれ真南に位置する境内の正門だが、社殿に対して少し西向きに建てられている。これは神様に失礼のないよう正面を避けて参拝する「謙譲の美徳」を表しているという。

東西北に総門があり、それぞれ社殿を囲んでいる。これらの門は、1634年に徳川家光が修造した当時の建築様式を色濃く残している。

楼門

本殿に向かって少し西向きになっている

本殿側から見た楼門


東総門


北総門


西総門

目貫きの猿

西総門の蟇股に彫られた彫刻。この猿の彫刻は、あまりにも見事に彫られたために魂が宿り、夜な夜な社殿を抜け出しては里へ下りて畑を荒らすなどのいたずらをしたという。その動きを封じるために右目に竹釘を打ち込んだところ、二度と逃げ出さなくなったと伝えられており、「目貫(釘を刺す)」の名の由来となっている。後年の改修時に「猿がかわいそうだ」として竹釘は抜かれたと言われている。(残念ながら見逃してしまった)



(4)摂社・末社

社殿の周りには総門とともに、多くの摂社・末社がある。

水若宮社: 応神天皇の皇太子 である菟道稚郎子(うじのわきいらつこ )を祀る。

気比社: 衣食住の神 である伊奢沙別命(いざさわけのみこと)を福井・氣比神宮より勧請。

右・水若宮社/左・気比社

水若宮社

水若宮社

若宮殿社:応神天皇の皇女を祀る。女性の守護神として信仰されており、若宮社と対をなす重要な社。

右・若宮殿社/左・水若宮社

若宮殿社

若宮殿社

若宮殿社


若宮社:本殿の御祭神・応神天皇の皇子である仁徳天皇を祀る。男性の守護神として信仰されている。

貴船社: 水の神である高龗神(たかおかみのかみ)を京都・貴船神社より勧請。

左は北総門

龍田社: 風の神である天御柱命(あめのみはしら)・国御柱命(くにのみはしら) 奈良・龍田大社より勧請。


一童社:海の神・航行安全の神である阿曇磯良(あずみのいそら)神を祀る。

住吉社:海上安全の神として知られる住吉三神を祀る。

右・住吉社/左・一童社


校倉(宝殿)





広田社・生田社・長田社:摂津国の名社から勧請された神々が並んで祀られている。



(5)信長塀

織田信長が寄進したとされる土塀。瓦と土を幾重にも重ねることで、銃撃や火災に強い構造になっている。






(6)楠木正成の楠

1334年に楠木正成が必勝祈願として奉納したと伝わる樹齢約700年の巨木で、京都府の指定天然記念物になっている。





(7)おがたまの木

モクレン科の常緑高木で、古くから神霊が宿る木として境内に植栽される神木。神前に供えられて神霊を招く「招霊(おきたま)」が転じて「オガタマ」となった。1円玉の図柄のモデルともされる。




(8)三女神社

三女神社は、社殿の周りではなく、本殿に至る参道の途中にある、平安時代の1042年に宇佐神宮から勧請された摂末社。宗像三女神(多紀理毘売命/タキリヒメ 、市寸島姫命/イチキシマヒメ、多岐津比売命/タギツヒメ)を祀り、海上安全や交通安全の神として信仰されている。





社殿などをまわったあと、楼門前の参道を曲がり、山道を下って参道ケーブルの頂上駅近くの見晴らしの良いところに出た。ここからは京都市内や宇治方面、天気が良ければ比叡山や愛宕山まで一望できるようだ。ケーブルで頂上駅から降りて、一ノ鳥居に出る。

楼門前の参道


手水舎

竈神殿

参道の灯籠

山道から山上駅・ケーブルカーへ


見晴らし

ケーブル・山上駅



3.表参道から

(1)一ノ鳥居

一ノ鳥居からが表参道となる。鳥居に掲げられている「八幡宮」の額の文字は、平安の三筆・藤原行成の書を寛永の三筆・松花堂昭乗が写書したものという。特に、「八」の字が八幡神の使いである2羽の鳩が向かい合っている形にデザインされてい る。





(2)筒井

一ノ鳥居のすぐ近くに「筒井(つつい)」という小さい建物がある、筒井とは、男山にある「八幡五水(筒井、石清水井、藤井、山の井、閼伽井)」のひとつで、 五水の中でも、最も優れた清水であると古くから伝えられている。井戸の形が「筒状」であったことからその名がついたと言われている。



(3)放生池

石清水八幡宮では、宇佐八幡宮から神様を迎える際に、白い鳩が道案内をしたという伝承から、生き物を大切にする思想が根付いている。石清水祭において、 生きた魚を放して慈悲を施す「放生行事」が行われる場所であったが、 現在は、場所を少し移して、安居橋のかかる放生川で行われている。
放生行事とは「生けとし生けるもの」の平安と幸福を願って魚や鳥が放たれる石清水祭の中の行事のひとつとなっている。




(3)頓宮殿

頓宮殿(とんぐうでん)は、山上の本殿から神様が下りてこられた際に滞在される「仮の宮」のこと 。

毎年915日に行われる日本三勅祭の一つ「石清水祭」において、山上の本殿から3基の御鳳輦(神輿)に遷された神様がここへお移りになり、重要な儀式が執り行われる。

なお、日本三勅祭とは、天皇陛下からの使者である「勅使」が派遣されて執り行われる、特に重要で格式高い次の3つの祭礼をいう。

葵祭(賀茂祭):515/ 京都・上賀茂神社、下鴨神社

石清水祭:915/ 京都・石清水八幡宮

春日祭:313/ 奈良・春日大社












(4)高良社

頓宮殿の隣に鎮座する歴史ある摂社。861年に僧・行教によって創建され、もともとは放生川のそばにあったことから「河原(かわら)社」と呼ばれていた。「高良」は、 筑後国の筑後一宮・高良大社から、高良玉垂命を勧請したことに由来する。『徒然草』にも登場する著名な神社で、1868年の戊辰戦争(鳥羽・伏見の戦い)で焼失し、現在の社殿は1882年頃に再建された。

高良社は、『徒然草』52段「仁和寺にある法師」に登場し、八幡宮へ参拝した仁和寺の僧が山上の本殿ではなく、この高良神社を本殿だと思ってお参りして帰ってしまったという逸話で知られる。この話の教訓として、 「少しのことにも、先達(案内人)はあらまほしき事なり(どんな小さなことでも案内人は必要だ)」という結びがある。







(5)タブの木

高良社のすぐ横には、樹齢約700年の神木「タブの木」があり、厄除けの木として知られる。。この木には大きなこぶがあり、その空洞にはマサキが納められている。




(6)頼朝公ゆかりの松

1195年、源頼朝が東大寺の大仏殿落慶供養のために上洛した際、石清水八幡宮を参拝した。このとき、鎌倉から持参した6本の松の苗木を境内に植えたとされている。頼朝は石清水八幡宮に松を植える一方で、石清水八幡宮から松を持ち帰り、鎌倉の鶴岡八幡宮の境内に植えたという言い伝えも残っているという。

初代の松は、昭和の初め頃まで1本が残っていたが、落雷により焼失してしまった。現在の松は、1955年(昭和30年)に改めて奉納・植樹された二代目になる。 



(7)二ノ鳥居

一ノ鳥居とは異なり、この鳥居には文字が書かれた「額」が掲げられていない。『徒然草』に登場する 仁和寺の法師が「ここが本殿だ」と勘違いして帰ってしまったのは、まさにこの二の鳥居付近までのエリアであった。




(8)安居橋

石清水八幡宮の麓、放生川に架かる安居橋(あんごばし)は、その美しいアーチ形状から「たいこ橋」として親しまれ、八幡八景の一つとなっている。かつてこの付近に「安居院(あんごいん)」という施設があったことに由来するとされる。

石清水祭のひとつ、放生行事はこの橋の下を流れる川で行われる。






(9)走井餅

鳥居のすぐそばには、名物の走井餅 (はしりいもち)を販売する老舗の茶屋がある。1764年に大津の走井付近で創業されたが、明治43年に7代目が石清水八幡宮の一の鳥居前へ移転し、現在に至る

名水「走井」を用いたこと、また刀鍛冶・三條小鍛冶宗近がこの水で名剣を鍛えた故事から、刀の「荒身」の形を模している

走井餅は、柔らかい羽二重餅に上品な甘さのこし餡が特徴 名刀を模した細長い形の羽二重餅でこし餡を包んでおり、開運出世や縁起物として親しまれているという。残念ながら、この日はお休みで頂くことはできなかった。


走井餅


10)八幡ゆかりの人物

京阪・石清水八幡駅前に、「八幡の三偉人」として、次の人物の肖像やパネルが置かれている。

松花堂昭乗15841639

江戸初期に活躍した石清水八幡宮の高僧。書は、近衛信尹、本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」の1人に数えられるほどの腕前で将軍を教えたこともある。茶の湯をこよなく愛し、愛用した茶道具「八幡名物」も名高く、小堀遠州など多くの文化人と交流を深めた。 その名前が知られているのは、「松花堂弁当」による。昭乗が農具として使われていた四つ切り箱を茶会の道具(煙草盆や絵の具箱)として活用し、これが後に、京都吉兆の創業者によって弁当箱として考案され、茶会の点心等に出すようになり、それを好んだ昭乗に敬意を払って「松花堂弁当」と名付けられ広まったという。



二宮忠八18661936

愛媛県八幡浜市出身の「日本の航空の父」であり、動力飛行機の研究・発明に生涯を捧げた。1901(明治34年に京都府八幡町(現在の八幡市)へ移り住んだ。故郷である愛媛県八幡浜(やわたはま)と同じ「八幡」という地名に縁を感じ、この地を選んだといわれている。カラスの飛行原理から世界で初めてゴム動力による「カラス型模型飛行器」を考案し、1891年に日本初の飛行実験に成功した。1902年に精米所跡を買い取り、発動機付き飛行機の設計に打ち込んでいたが、翌1903年にアメリカのライト兄弟が有人動力飛行に成功した報を聞き、「今飛行機を作ったとしても真似をしたという評価しか受けない」と自身の開発を断念したという。



トーマス・エジソン18471931

発明王と世界に名高いアメリカの発明家。白熱電球実用化の開発中、世界中から集めた素材の中選ばれたのが八幡の真竹だった。その竹は1200時間以上も点灯を続け、電球の実用化を成功させた。その後、1894年までの約10年間、八幡の竹は「八幡竹」としてエジソン電灯会社へ輸出され続け、世界を照らした。


駅前の自販機




石清水八幡宮、その名前はよく聞きますが初めて訪れました。ケーブルカーで、本殿のある男山の山頂に登り、降りてきて、一ノ鳥居から二ノ鳥居まで歩きました。たくさんの見どころがありました。

徒然草の話にあるように、こうした小さな旅にも先達(案内人)が必要です。出来れば人生という旅にも案内人が「あらまほしき事なり」

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