2024年6月5日水曜日

東京異空間205:十二社熊野神社~西新宿界隈を歩く

 

十二社熊野神社・拝殿

地下鉄・中野坂上駅から歩いて、成願寺の横を通り、東京工芸大学の写大ギャラリーで開催されている「土門拳ー祈りの風景」展を観てきました。その後、歩いて西新宿に向かう途中に庚申堂がありました。十二社通りの交差点には赤い屋根の交番がありました。その先に十二社熊野神社があります。神社に参拝したあと、先に拙ブログにアップした「北欧の神秘」展@SOMPO美術館に行きました。

「土門拳ー祈りの風景」展@写大ギャラリー

1.十二社熊野神社

新宿中央公園の一角に、十二社(じゅうにそう)熊野神社がある。この神社は、室町時代に紀伊国から来て中野一帯(今の中野坂上~西新宿付近)を開拓し、中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、郷土の熊野三山の十二所権現を勧請して祀ったのが起源とされている。

中野長者・鈴木九郎の伝説については、すでに成願寺に行った際に取り上げたが、九郎の一人娘の供養のために建てた正観寺の境内に熊野神社が祀られていた。寛永年間に正観寺は、神社と分離され、現在の中野区本町に移転して、寺号も成願寺と改めた。

かつて神社境内には「大滝」と呼ばれた滝や大きな池があり、『名所江戸百景』(歌川広重)などにも描かれたほど、江戸近郊の景勝地として知られ、また遊興地として親しまれていた。明治以降は花柳界でも知られた場所で、池の周りは料亭や茶屋で賑わった。昭和30年代までは料亭が賑わいを見せていたという。

(参照):

「東京異空間65:中野・成願寺の仏たち」2022/06/06


『名所江戸百景』(歌川広重)ウィキペディアより
熊野十二所権現社の境内西側に位置する「十二社の池」と茶店が描かれている。

中野長者・鈴木九郎の墓(成願寺)

十二社熊野神社

十二社熊野神社・拝殿

十二社熊野神社

十二社熊野神社

十二社熊野神社

十二社熊野神社

(1)狛犬

拝殿前にある狛犬。角がある狛犬のほうが、形式としては古い形のもの。1804年建立。

もう一対、境内社である大鳥神社の狛犬は台座と一つの石から彫り出されており珍しく、お腹の下がくりぬかれてない。その部分に碑文が書いてあり、享保12年(1727角筈村上町の百姓店衆講中が寄進したと刻まれている。

角がある狛犬・拝殿前

角がある狛犬・拝殿前

大鳥神社の狛犬・お腹がくり抜かれていない

大鳥神社の狛犬(台座と一体となったお腹に碑文が刻まれている)

境内社・稲荷神社

(2)大田南畝の水鉢

1820(文政3)年に淀橋の氏子により奉納された水鉢で、狂歌師・大田南畝(蜀山人)(17491823)の書による「熊野三山 十二叢祠 洋洋神徳 監於斯池 大田覃(落款)」という銘文が刻まれている。

大田南畝の水鉢

(3)延命陀羅尼二千一百万遍誦碑

陀羅尼経を唱えたことを記念して1864年に建てられた、熊野神社の別当寺であった中野・成願寺に関係する石像品である。横に置かれた石には「淀橋」と刻まれている。

延命陀羅尼二千一百万遍誦碑・横の石には「淀橋」

(4)古いづか

「古ひづか(鯉塚)」の石碑は、十二社の池の一部が埋められたため水質変化により昭和16(1941)年には多くの鯉が死んだことから建てられた。

古いづか

境内社・弁天社

境内社・弁天社

2.新宿警察署 熊野神社前交番

熊野神社の入口近くの交差点に、この半円球の赤い屋根をもった交番がある。ちょっと洋風な建物で、交番とは思えないくらいおしゃれだ。正式名称は「新宿警察署 熊野神社前交番」 で、警視庁の公式H.Pには「交番の建物は、専門の建築家の設計によるもので、夜間はライトアップ機能を備えた近代的交番です。」 とあるが、設計者の名前まではわからなかった。竣工は1989年。


3.淀橋庚申堂

中野坂上から西新宿に向かう途中の道の脇に庚申堂が建っていた。

もともとは、寛文4年(1664)に造られた庚申堂であったが、戦時中の空襲で焼けてしまい、昭和29年に淀橋庚申講の方々によって建て替えられたものだという。「淀橋庚申講世話人一同・昭和二十九年九月建之」の銘文が刻まれている。

中には、三基の庚申塔があり、真ん中に青面金剛庚申塔、右側に一猿庚申塔、左に石碑がある。

淀橋庚申堂

淀橋庚申堂

青面金剛立像



4.淀橋浄水場跡

西新宿の高層ビル群は、かつての淀橋浄水場の跡地に建てられている。淀橋浄水場は、1898(明治31)年、玉川上水から引き入れて通水されたが、1965(昭和40)年に廃止され、機能が東村山浄水場に移され、跡地は新宿副都心計画として、1960年代から京王プラザホテルを皮切りにつぎつぎと超高層ビルが建設された。

この淀橋浄水場跡の石碑は新宿エルタワーの前にある。この辺りは淀橋浄水場の入り口があったところだそうだ。

「淀橋」というのは、青梅街道が神田川をまたぐ橋で、浄水場が設置された当時は地名ともなっていた。現在は、このあたり一帯は西新宿となっているが、かつては「淀橋」をはじめ、先の熊野神社の「十二社(じゅうにそう)」、「角筈」という地名であった。いまは、新宿駅西口の「ヨドバシカメラ」、通りの名「十二社通り」などにかろうじて残っている。

淀橋浄水場跡の石碑

西新宿

西新宿界隈にはかつて勤務していたこともありますが、こうして神社などを見て歩いたのは初めてでした。

ついでに、お昼はその頃よく行ったつけ麺のお店で食べ、変わらない味にサラリーマン時代を思い出しました。

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