白山神社 |
今年の梅雨入りは遅れているようですが、都内のアジサイの名所である白山神社に行ってきました。この時期にアジサイ祭りが行われ、境内には約20種、3000株のアジサイが色とりどりに咲き、多くの人で賑わっていました。神社の後ろには富士塚があり、この祭りの期間のみ公開されているということです。
1.白山神社と白山信仰
加賀国白山比咩(しらやまひめ)神社を総本社とする白山神社は日本各地に2,700社余り鎮座するという。この文京区にある白山神社も948年に白山比咩神社から勧請を受けて創建された。江戸時代には、巣鴨原(現在の小石川植物園内)にあったが、館林藩主徳川綱吉(将軍職に就く前)の屋敷を造営するため現在の地に遷座された。その縁から、5代将軍・綱吉と生母・桂昌院の崇敬を受け、その後も徳川家の信仰を得た。
「白山」はこの辺りの地名、駅名にもなっている。白山は、富士山、立山と並ぶ秀麗な峰であり、霊山として崇められてきた。奈良時代に修験者が各地に山岳信仰を広めていったが、白山信仰もその一つであり、関東では、富士信仰、大山信仰などとともに広がった。
「孫文先生座石」 |
境内には、「孫文先生座石」という碑があり、その下に孫文が座ったという石が置かれている。孫文は白山神社近くにあった宮崎滔天宅に身を寄せていて、二人はこの石に腰掛け、中国の将来について話し合った。その時、夜空に流星が現れ、孫文は祖国の革命を心に誓ったという。「辛亥革命」1911(明治44)年。
スズメもアジサイを眺めて? |
何と読むのか?「奈加家」 |
2.富士塚と富士信仰
白山神社の社殿の後ろ側に富士塚があり、お祭りの時期は登るために長い行列ができる。登るといっても少し小高い丘(高さ14m)で、普通なら数分もかからず頂上に着く。頂上には富士山と同様、「浅間神社」の小さな社がある。
富士信仰は、江戸時代に、富士講が組まれ、御師(おし)たちにより関東を中心に布教活動が行なわれ、富士山へ多くの参拝者を引き付けた。富士講の人々は、近くに富士山に模した「富士塚」を造り、本物の富士山に登る思い入れを込めて登ったという。現在でも江戸七富士と呼ばれる七つの富士塚があり、「江戸七富士巡り」が実施されている。
「江戸七富士」
・品川富士(品川神社境内)
・千駄ヶ谷富士(鳩森神社境内)
・下谷坂本富士(小野照崎神社境内)
・江古田富士(茅原浅間神社境内)
・十条富士(十条冨士神社境内)
・音羽富士(護国寺境内)
・高松富士(富士浅間神社境内)
この七つの富士塚に白山神社は入っていない。白山という白山信仰と富士信仰が結びついて、富士塚が造られたのだろうか。
(参照)音羽富士については、
「東京異空間78:護国寺~ゆりかごから墓場まで?」 2023/01/12
ウズアジサイ |
富士塚 |
富士塚の頂上に鎮座する浅間神社 |
富士塚から |
白山神社は境内と隣接する公園、そして富士塚と、あたり一面にアジサイが色とりどりの花を咲かせていました。
アジサイを見ながら、白山信仰、富士信仰など古き人々の思いを想像してみました。
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