2026年1月25日日曜日

東京異空間389:庭園と建築@新宿御苑

 

新宿御苑・旧御凉邸からの眺め

久ぶりに新宿御苑に寄ってみました。2年前に桜の季節に訪れていますが、冬は、さすがに閑散としていました(と言っても、外国人は多く見られました)。

庭園と建物を中心に見てきました。

(参照):新宿御苑の歴史等については、

東京異空間97:新宿御苑の桜2023/4/11

1.門

新宿御苑の正門は、千駄ヶ谷側にあるが、常に閉じていて入ることはできない。これはそもそも新宿御苑が皇室の所有物であり、皇族や国内外の賓客を迎える入場門として正門が設けられたことによる。

今は、環境省が管理する「国民公園」となっている。国民公園というのはあまり聞きなれないが、旧皇室苑地であった皇居外苑、新宿御苑、京都御苑の3カ所が指定されている。

今回は千駄ヶ谷門から入り、新宿門から出た。

新宿御苑・正門

新宿御苑・正門

千駄ヶ谷門

新宿門


2.庭園

千駄ヶ谷門を入ると、巨樹が何本もあり、さらに広場に面してメタセコイアのような大木が立っている。広い芝生にのびのび育った巨樹が影を落としている。

今の季節は、咲いている花は少ないが、水仙、蝋梅、十月桜などが見られた。

(1)巨樹










(2)花

水仙








蝋梅




十月桜





ツワブキ




3.建築

苑内には、歴史的な建物がいくつかあるが、旧御凉邸と旧洋館御休所に入ってみた。この二つの建物以外は、1945の空襲により 苑内はほぼ全焼した。

(1)旧御凉邸(台湾閣)

1923(大正12)年の皇太子(後の昭和天皇)による台湾行啓への感謝として、台湾在住の有志(台湾在住邦人ら)が募金を募り、御成婚記念として1927(昭和2)年に献上された。

中国の閩南(ビンナン)建築様式という、中国南部の福建省のもので、卍型の平面が特徴の御休息所をはじめ、反り返った屋根の形や色、内部装飾などにその建築様式を見ることができる。また、 柱に台湾杉、天井の鏡板に台湾扁柏や台湾桧など、台湾から輸入した部材が数多く使用されている。

設計者は、*森山松之助で、「水の上に立つ御休息所」「夏の御散策の際に涼をとる建物」と設計意図を語っている。

建物の前の池(上の池)とマッチして、日本風でもあり、どこか異国風でもある印象を持つ。


















*森山松之助(1869-1949

1869(明治2)年、大阪市に外交官・森山茂の長男として誕生。叔父である五代友厚の家で育てられた。 第一高等学校を経て、東京帝国大学工科大学建築学科で辰野金吾らに学び、1897(明治30)年に卒業。 1906(明治39)年に後藤新平に勧められて台湾へ渡り、台湾総督府営繕課の技師として約15年勤務。台湾の主要な官庁建築の設計・監造を一手に引き受け、「台湾の公共建築の風貌を築いた」と評される。

日本の最初の植民地である台湾の都市整備にあたり、本土ではできない理想の年を目指した。その例が鉄筋コンクリートの導入であった。森山の台湾での初仕事が台北市電話局の全鉄筋コンクリート造りで、これは日本初の全鉄筋コンクリート造り(三井物産横浜支店)より2年早いとされる。

また、台湾総督府新庁舎の建設に当たっては実施設計を担当した。新庁舎のコンペでは長野宇平治の案が選ばれたが、長野案と実施では大きく異なっているという。その他多くの作品を台湾に残した。

帰朝後は、久爾宮邦彦王の御常御殿(現・聖心女子大学パレス)や、諏訪湖近くの片倉館などを手掛けている。

戦後、1949(昭和24)年、疎開先であった山形県鶴岡市で逝去、満79歳。

森山松之助

台湾総督府

片倉館・会館

片倉館・浴場


(2)旧洋館御休所

天皇や皇族が新宿御苑内の温室を鑑賞する際の休憩所として1896(明治29)年に創建された。1924 (大正13)年に現在の規模になり、主にテニスやゴルフなどの後のクラブハウスとして使用された。昭和天皇は皇太子時代の大正10年代には、しばしば新宿御苑を訪れゴルフを楽しまれたが、御成婚後は皇太子妃を伴って来苑されることが多かったという。昭和に入ると、時勢の変化により皇族方の来苑も少なくなり、御休所も閉じられた。戦後は、長く管理事務所として使われていたが、2001年に、大正13年当時の姿に復元・保存されることとなった。

建物は、1896(明治29)年宮内省匠寮により設計された、アメリカの建築様式スティック・スタイルを基調とした木造の洋館である。設計責任者は片山東熊とされている。しかし、片山が考えた、温室の南国の植物を鑑賞するにふさわしい建物という外観は大正期の改変により大きく変え、創建当時の明治の建築様式の美しさは失われてしまったとされる。

(参考):

『新宿御苑 誕生までの三二〇年とその後』上野攻 文芸社 2019年

『新宿御苑 皇室庭園の時代』新宿歴史博物館 2018年



向こう側は温室

入口


旧御食堂

温室観賞の際の休憩所として利用が増えたため、お茶や昼餐をとるスペースとして、1921(大正12)年に設けられた。昼餐会・晩餐会もしばしば催され、その折には御苑で栽培された草花が卓上を飾った。

旧御食堂

旧御食堂

旧次之間

旧御居間とセットで使用され、主に皇族の待機、休憩、随行員の待機場所として利用された。 螺鈿細工が施された机などの豪華な調度品が展示されている。 これらの家具は、もともと旧御凉亭(台湾閣)に置かれていたものを移設したという。

旧次之間

旧御居間

洋風の室内に藤製の家具を置き、花鳥風月を描いた日本画や盆栽を飾るなど和洋折衷の演出がされていた。(奥に暖炉が見える)

旧御居間


廊下

当初は温室へ向かう渡廊下へと続く外廊下であったが、のちにガラス戸を嵌め込み内廊下とした。






照明など






(3)ドコモタワー(NTTドコモ代々木ビル

これは新宿御苑の建築物ではなく、NTTドコモ代々木ビルだが、御苑などから見ると、一つのシンボル・タワーのように建っている。NTTドコモが、都内と埼玉県周辺をカバーする新たな中継基地を建設するため、 旧国鉄の新宿貨物駅の跡地に、1997年に工事を着手し、2000年に竣工した、

その姿が、 1930年代に建てられたニューヨークのエンパイヤーステートビルなどの摩天楼を思わせることから、いつしか「新宿のエンパイアステートビル」と呼ばれるようになった。さらに、2002年に、NTTドコモ設立10周年を記念して設置された、地上150mにある、直径約15mもの大型塔時計は、当時は世界一高い時計台であった。

このビルの設計は、NTTファシリティーズ(現・NTTアノードエナジー)が担当した。

なお、昨年、2025年12月、NTTドコモがこのビルの土地売却を検討しているというニュースが報じられた。

台湾閣・上の池からのドコモタワー

広場の先のドコモタワー

桜の季節のドコモタワー(2023年撮影)

明治神宮・宝物殿前の広場からのドコモタワー(2023年撮影)


新宿御苑の歴史的な建築物や庭園を見て、御苑の皇室から国民へという歴史を少したどることができました。明治から大正・昭和へと続く歴史の移り変わりが反映されていることをあらためて認識しました。

冬の新宿御苑もゆっくり散策できました。この次は、やはり桜の季節ですかね。

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