2023年4月11日火曜日

東京異空間97:新宿御苑の桜

新宿御苑の桜
 

桜(染井吉野)はほとんど散ってしまいましたが、新宿御苑には、八重桜の種類が多く、まだまだ4月上旬は見ごろでした。

前回は、国営昭和記念公園ということで、国土交通省が所管する「国営公園」でしたが、今回の新宿御苑は環境省が管理する「国民公園」です。「国民公園」というのは、あまり聞きなれませんが、皇居外苑(北の丸公園を含む)、新宿御苑、京都御苑の三つだけです。つまり、国民公園とはいえ、皇室に関わる公園なのです。

その新宿御苑の歴史と、御苑に関わった中心人物として福羽逸人についても調べてみました。

1.新宿御苑の歴史

(1)江戸時代「内藤新宿」から明治時代「新宿御苑」まで

かつては「内藤新宿」と言われたように、このあたり一帯は、三河藩の小姓であった内藤家の土地であった。家康が江戸を開いたとき、馬に乗って回れる範囲を領地として与えるということで、東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保に及ぶ広大な土地を賜った。内藤家は、のちに高遠藩を拝領し、いまの新宿御苑の地に下屋敷を構えた。その屋敷に、玉川上水の水を取り入れて、名園「玉川園」を造った。いまも「玉藻池」として、その面影を残している。なお、現在は玉藻池のほかに、日本庭園に上の池、中の池、下の池があるが、これは渋谷川(御苑辺りが源であった)を堰き止めて造られたという。

元禄時代には、甲州街道に新しい宿場が設けられ、「四谷大木戸」といわれる関所がつくられた(現在の公園入り口の一つである「大木土門」に名を遺している)。

明治に入り、近代農業技術を取り入れるための試験場として。「内藤新宿試験場」が明治5年(1872)にできた。ここには蔬菜園、果樹園、牧場、水田、桑畑などのほか、養蚕の施設があり、さらに農学校が設立された(現・東京大学農学部、東京農工大学農学部の前身)。

明治12年(1879)には、試験場の仕事は三田育種場に移り、試験場の土地は皇室に献上され宮内省の所管となり、名称も「新宿植物苑」とした。ここで農業技術の改良のための試作が続けられたが、次第に皇室の庭園としての施設が造られていった。まずは鴨場が設けられ、皇室の狩猟場となる。鴨池のあたりには動物園もつくられた。明治25年(1892)には花卉園、大温室が造られた。

明治33年(1900)にパリ万国博があり、この際に、「植物苑」をヨーロッパ並みの西洋式庭園に改造しようと、造園教授アンリ・マルチネに庭園の設計を依頼する。設計はベルサイユ宮殿を念頭に置いた整形式の庭園が造られた。予定されていたルネサンス様式の宮殿は造られなかったが、この改造により西洋式庭園の「皇室庭園」として、明治39年(1906)に「新宿御苑」が誕生した。日比谷公園に遅れること3年であった。なお、いまは閉じられているが、庭園の正門は南東のプラタナスの並木に続く整形庭園にあった。現在の入口は、新宿門、大木戸門、千駄ヶ谷門の三カ所である。

(2)福羽逸人(ふくばはやと)の略歴

こうした一連の取り組みの中にいたのが福羽逸人であり、「内藤新宿試験所」から「新宿御苑」の歩みと生涯を共にした。

福羽逸人の略歴を記しておく。

安政3年(1856)津和野に生まれる(同郷に、森鴎外がいる)。

明治5年(187216歳の時、国学者・福羽美静の養子となる(美静は、明治の神祇制度に尽力した)。

明治8年(1875)内藤新宿試験所の実習生となる。

明治12年(1879)三田育種場、植物御苑掛となる。

明治19年(1886)ヨーロッパに留学する。

明治31年(1898)植物御苑掛長となる。

明治33年(1900)パリ万博に行き、その際、アンリ・マルチネに植物御苑の西洋式庭園への改造について相談、設計依頼する。

同年 日比谷公園の建設に関わり、花壇を造営する。

明治36年(1903)植物御苑苑長となる。

明治39年(1906)宮内省内苑局長に就き、新宿御苑の全般的な指揮をとる。。以後、大正6年の退職まで奉職。

大正3年(1914)大正天皇の即位礼に伴う「大饗」の指揮監督を担う大膳頭に任じられる。(部下に天皇の料理番といわれた秋山徳蔵がいた。)

大正10年(1921)死去。

福羽逸人は園芸における業績として、イチゴの栽培に貢献した。1899年イチゴの新品種を発表し「福羽」と名付け、その後改良された「女峰」などは高級イチゴとして知られる。他にもメロン栽培やオリーブ栽培などに貢献した。また、菊の大造りの優良種を作り出すなど栽培技術を向上させた。

造園に関わる仕事として日比谷公園・花壇のほかに、明治神宮の造営に当たり、内苑の芝生園地、外苑の並木、緑地のデザインに原煕(ひろし)とともに関わっている。

(3)「新宿御苑」のその後(大正から昭和)

皇室庭園として改造された「新宿御苑」は、明治39年(1906)に、日露戦争の戦勝祝賀を兼ねた開苑式が明治天皇の御臨席のもとに開催された。

大正時代には、広い芝生が9ホールのゴルフ場となり、当時の皇太子(昭和天皇)などがプレーをし、今も残る「旧洋館御休憩所」がクラブハウスとして使われた。御休憩所は明治29年(1896)に竣工した建物で、設計は片山東熊とされる。片山東熊(1854-1917)は、ジョサイア・コンドルに学んだ日本の建築家一期生である。片山が設計したのは、迎賓館、奈良、京都の国立博物館、東京国立博物館表慶館(後の大正天皇の御成婚を記念して建てられた)などがある。

「旧洋館御休憩所」とともに今も残っている建物としては、中国風建物の「御凉亭」(台湾閣)がある。昭和2年に皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の御成婚を記念して台湾在住者から贈られたものである。設計は森山松之助による。森山松之助(1869-1949)は、辰野金吾のもとで学び、日本統治時代の台湾で活躍した建築家である。

皇室の庭園として、大正6年には観桜会が開かれ、昭和4年からはそれまで赤坂離宮で開かれていた観菊会も新宿御苑で開催されるようになった。現在では春秋の園遊会が赤坂御苑で開催されている。

いっぽう、新宿御苑では、吉田茂首相の時代から「桜を見る会」が開かれていたが、安倍首相の時代に、種々の問題が発生し、菅首相が2021年以降の中止を表明した。こうした桜を見る会が4月に開かれたことから、遅咲きの桜が充実していったと思われる。

新宿御苑も空襲により、ほとんどの建物が焼失し、樹木なども被害を受けた。戦後の日本国憲法に公布により、新宿御苑も皇室財産ではなくなり、大蔵省の所管に移された。昭和24年には、「皇室公園」から「国民公園」に転換し、新たに国民の公園としてスタートした。そこで、子供向けの遊園地を造ったり、貸しボートを置くなどが試みられたが、大温室が造られ、庭園や植物なども充実され、次第に今のような公園としての整備がされた。

戦後は、一般に開放されたとはいえ、「皇室庭園」の性格を示すこととして、昭和天皇の大喪の礼は新宿御苑で行われ「平成」となった。また、大正天皇の大喪の礼も御苑で行われ、「昭和」となった。新宿御苑は、こうした歴史を桜とともに刻んでいる。

なお、新宿御苑ミュージアムが2022年12月にオープンし、新しい建物ができ、展示では福羽逸人が語り部となって御苑の歴史を映像で紹介しているコーナーがある。

参考:

『新宿御苑』東京公園文庫3 金井利彦 改訂版1993

『新宿御苑--皇室庭園の時代』新宿歴史博物館特別展図録 2018

『東京の公園と原地形』田中正大 けやき出版 2002

名園・玉川園の面影を残す「玉藻池」

大温室

大温室

新宿門

大木戸門

大木戸門

「旧洋館御休憩所」

「旧洋館御休憩所」

「旧洋館御休憩所」

「旧洋館御休憩所」

「御凉亭」(台湾閣)

「御凉亭」(台湾閣)

「御凉亭」(台湾閣)

「御凉亭」(台湾閣)

新宿御苑ミュージアム:2022年12月にオープンした

新宿御苑ミュージアム

2.新宿御苑の桜

観桜会や桜を見る会なども行われたことからか、新宿御苑には4月に入って見ごろとなる八重桜の種類が多い。海外からの人も含み多くの人が花見を楽しんでいました。

新宿御苑の桜は、65種類、1100本もあるといわれ、なかでも遅咲きの桜が多いのが特徴となっている。遅咲きの桜の種類としては次のようなものがある。

鬱金(ウコン)、関山(カンザン)、一葉(イチヨウ)、御衣黄(ギョイコウ)、普賢像(フゲンゾウ)、福禄寿(フクロクジュ)、駿河台匂(スルガダイニオイ)、兼六園菊桜(ケンロクエンキクザクラ)。

なかでも一葉(イチヨウ)は、大正時代から観桜会で鑑賞された歴史ある御苑を代表する桜の品種であるという。こうした種類を見分けるのは難しいが、ネーミングを知るだけでも、日本らしさと、品種改良がされた桜の歴史を感じる。

桜以外にも、早くもツツジ、ミツバツツジ、花壇に植えられたチューリップやハナニラ、そして温室ではランをはじめ珍しい花々も観ることができる。

















ドコモタワーがそびえる









桜とツツジ

ツツジ

ミツバツツジ

ハナニラ

温室に咲くホウカンボク(宝冠木)・ベネズエラ原産

下の池

池に映る桜

中の池

中の池

中の池



ドコモタワー、手前はキンキャラ

大木の奥に旧洋館御休憩所

新緑

飛鳥山から始まった今年の「桜狩り」の最後は新宿御苑でした。新宿御苑は、皇室庭園の時代から観桜会が開かれるなど、桜の木が多く、また遅咲きの桜が多いので、染井吉野が散ってしまったあとでも、花見を楽しめるところです。

今年の桜を「東京異空間」にアップした番号、「タイトル」、日付と行った日を整理しておきます。ちなみに今年の東京の「開花日」は3月14日、「満開日」は3月22日でした。

82「飛鳥山の桜」3/22、 3月20日

83「小金井公園の桜」3/23、 3月22日

84「井の頭恩賜公園の桜」3/26、3月24日

85「井の頭自然文化園Ⅰ」3/26、3月24日

86「井の頭自然文化園Ⅱ」3/26、3月24日

87「山本有三記念館」3/28, 3月24日

88「武蔵関公園と井頭公園(白子川)の桜3/29、3月27,28日

89「飛鳥山の渋沢栄一」4/2、3月30日

90「鬼子母神から法明寺の桜へ」4/2、3月30日

91「絵でみる桜と奈良原一高~東京国立近代美術館」4/5、3月31日

92「パレスサイドビルと九段会館」4/6、3月31日

93「アーネスト・サトウの桜と千鳥ヶ淵の桜」4/6、3月31日

94「石神井公園の桜」4/7、3月29日

95「善福寺の桜」4/7、4月1日

96「昭和記念公園の桜とチューリップ」4/8、4月3日

97「新宿御苑の桜」4/11、4月4日

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