| 東京国立近代美術館 |
杉本博司の「絶滅写真」展にあわせて、東京国立近代美術館が所蔵する杉本の作品を3階で展示するとともに、サテライト展示として「スギモトノート」が初公開されていました。
また、銀座にあるギャラリー小柳でも、、個展「杉本博司 海景 江之浦|前写真、時間記録装置」が開催されていました。
これらの杉本の写真と、同時に展示されていた奈良原一高<無国籍地>@MOMATコレクションと比べ、その共通する点などもみていきます。
1.<劇場>@MOMATコレクション
アメリカ各地のクラシックな映画館やドライブインシアターで、映画が始まると同時にカメラのシャッターを開け、映画が終わると同時に閉じるという方法で撮影された作品である。 映画1本分(約2時間)のすべての光が1枚の印画紙に蓄積された結果、画面中央のスクリーンは「真っ白な閃光」として浮かび上がり、その強烈な光が誰もいない劇場の内装を細部まで照らし出す。「時間」そのものを可視化した作品である。
同じく杉本の代表作である<海景>も、非常に長い露光時間をかけて撮影されており、空と海が水平線で二分された作品である。これは、「古代人が見ていた海を、現代の私たちが同じように見ることはできるか」という、時間の原初への遡行をテーマにしている。
<劇場>も<海景>も、「時間」と「光」の極致を写し撮った空間となっている。
<劇場>
2.「スギモトノート」@東近美3階 サテライト展示
杉本の写真制作の覚書がきされた、「スギモトノート」が初公開されていた。会場には、実物のオリジナルが展示されたほか、来場者が実際にページをめくって閲覧できる高精細なレプリカも用意されていた。
このノートには、作品の構想、アイディアから撮影時のデータ、暗室での現像作業のプロセスなどが書き込まれている。
作品の構想とアイディア:
〈ジオラマ〉〈劇場〉〈海景〉といった代表的なシリーズが生まれる背景となった、初期のコンセプト、リサーチの調査記録、哲学的な思索の断片が、時に図解とともに書き殴られている。
撮影時のデータ、暗室作業のプロセス:
大型カメラ(*8×10)での撮影時の露出データ、現像液の温度、撹拌のタイミング、印画紙の選択、暗室での焼き付け(露光)時間や覆い焼きの秒数など、極めて緻密な数値やプロセスが詳細に書き留められている。
*エイト・バイ・テン(8×10)は、8×10インチ(約20×25㎝)のフィルムを使う大判カメラのこと。 35㎜フィルムは、1,000万画素ぐらい。8×10のフィルムは5億8,000万画素ぐらいの解像度。
3.<海景>@ギャラリー小柳
ギャラリー小柳に展示されていた<海景>は、杉本自身が設計した文化施設「小田原文化財団 江之浦測候所」から臨む相模湾を撮影したもの。2022年の第1作から2026年の最新作にいたるまで、江之浦で撮影された全作品が展示されていた。
江之浦での〈海景〉撮影は、一年のうち「元旦」の朝にのみ行われる。その理由は、漁船やボートが一切海に出ない日であり、人工物が全く映り込まない「太古のままの海」を奇跡的に捉えることができるため。2022年から始まったこの撮影は、杉本にとって新しい年を迎えるための神聖な習慣となっているという。杉本が自身の「原風景」と語る相模湾の海と空が、「銀塩写真」によって表現されている。
杉本は自らの「原風景」について次のように語る。子供の頃、家族旅行の帰り、車窓から真鶴、根府川の間にあるめがねトンネルを抜けると相模湾の海が眼前に広がっていた。「私はこの個人的体験が、何か人類史上の最初の人の体験と連なっているような気がした。こうして私は世界の海を巡る旅に出た」と書いている。
これらの作品を展示している「ギャラリー小柳」は、杉本の「プライマリー・ギャラリスト」という位置づけである。「プライマリー・ギャラリスト」とは、「プライマリー」」という、作家と契約して作家から直に作品を預かり、個展をひらいて売っていく画商(ギャラリスト)のこと。対して、「セカンダリー」」という、既に市場に流れている作品やコレクターあるいはオークションから作品を買い取って、それを売っていく画商もある。
ギャラリー小柳は、1995年に銀座に開業した当初から杉本のプライマリーとして作品を扱っている。ギャラリー小柳のオーナーは小柳敦子は、杉本の芸術活動を支えるパートナーでもあり、夫婦でもある。(なお、ニューヨーク時代に結婚した最初の妻・絹枝は1987年に亡くなっている)
ギャラリー開業当時は、まだ「写真はアートではない」という認識が根強い時代であり、 ほとんど誰もが杉本の写真をアートとして認めなかったという。そのころは、画商(ギャラリスト)として扱う杉本の作品は数十万円だったそうだが、いまや、数千万円以上となっているという。
杉本の作品は、大型の 8×10 インチカメラを使い、暗室で彼自身が極限までこだわって現像する「ゼラチン・シルバー・プリント」であり、美術品としての希少性と職人技的な価値が世界中の美術館やコレクターに認められたことが、この驚異的な価格上昇の理由のひとつとなっているという。
| ギャラリー小柳 |
4.奈良原一高<無国籍地>@MOMATコレクション
東近美3階では、奈良原一高(1931-2020)の<無国籍地>が展示されていた。この作品は、第二次世界大戦中に爆撃を受け、戦後も手つかずのまま放置されていた2つの大規模な軍事・軍需施設跡地で撮影されたもの。
1954年、当時、早稲田大学の大学院で美術史を専攻していた奈良原は、まだプロの写真家ではなくアマチュアとしてカメラを握っていた。彼は、帰省途中に大阪城天守閣から目にした「大阪砲兵工廠跡地(アジア最大級の軍事工場だった場所)」や、東京の「王子の軍需工場跡地(旧陸軍関係の広大な廃墟 )」といった戦後の廃墟に心惹かれ、歩き回りながら撮影した。12歳のときに学徒動員先の軍需工場で激しい空襲を体験し、多くの友人を亡くした奈良原にとって、廃墟は不条理な世界の象徴であり「原風景」そのものであった。
タイトルの<無国籍地>が示すように、写し出された廃墟は「ここが日本である」という現実感を喪失させるほど、特定の地域性やドキュメンタリー性を排し、時間と空間が凍りついたような「無国籍」という世界を写し出している。
客観的な事実を伝える従来の報道写真とは異なり、撮影者の内面や主観を色濃く反映させる奈良原独自の「パーソナル・ドキュメント」の手法が、この<無国籍地>で芽吹いて、後にブレイクする<人間の土地>(軍艦島や桜島)、<王国>(修道院と女子刑務所)といった、極限状況を生きる人間と空間を掴み取る独自のスタイルへと直接繋がっていく。
(参照):
東京異空間63:二つの写真展を観た~土門拳と奈良原一高(2022/6/1)
5.奈良原と杉本
二人の共通点:
奈良原と杉本の作品を並べて見ると、その共通した点として、土門拳らに代表されるドキュメンタリー写真(リアリズム)のように偶然の瞬間を切り取るのではなく、撮影前に明確なコンセプトや世界観を設計し、緻密な構図で画面を構築している。
また、どちらも、銀塩写真(モノクローム)の階調やディテールに強いこだわりを持っている。
共通するテーマ:
二人に共通するテーマは、「時間」と「存在」の探求を、写真というメディアを通じて視覚化しようとしている。特に「時間」について、奈良原は、<無国籍地>にみるように時間が凝縮され、まるで凍りついたかのような瞬間を「静止した時間」と呼ぶ。一方の杉本は、太古の人間が見た風景を追体験する<海景>など、数時間から数万年という途方もない時間を1枚に定着させ、人類の存在に迫る。
二人の原風景:
奈良原は「戦争による廃墟」、杉本は幼いころに旅行で見た「相模湾の海」がそれぞれ原風景という。それは、奈良原が昭和6年(1931年)に生まれ、戦争を体験しているのに対し、杉本は、戦後3年経った昭和23(1948年)生まれであることによるだろう。
こうした原風景から奈良原は<無国籍地><人間の土地><王国>といった作品を生み出し、それまでのドキュメンタリーリ写真からパーソナルドキュメント写真を築いた。いっぽう、杉本は<海景><劇場><ジオラマ>などの作品を生み出し、自ら「現代美術作家」というように、写真を現代美術のステージにあげた。
(参考):
『影老日記』 杉本博司 新潮社 2022年
杉本の自伝であり、タイトルは『蜻蛉日記』をもじって「影老」「かげろう」。これは、そのまま「けいろう」とも読める。
東京近代美術館の「絶滅写真」展からサテライト展示の「スギモトノート」、さらにギャラリー小柳での<海景>シリーズを観て、杉本の写真に浸るとともに、杉本の自伝である『影老日記』を興味深く読みました。
0 件のコメント:
コメントを投稿