2023年3月22日水曜日

東京異空間82:飛鳥山の桜

 

飛鳥山公園・枝垂れ桜

今年の桜は、今週後半に満開になるということですが、あいにく天気のほうが雨の予報なので、ちょっと早いですが、王子の飛鳥山まで桜を観に行きました。飛鳥山公園のすぐ横にある音無親水公園とあわせて行ってきました。

1.音無親水公園

王子付近を流れる石神井川は、この辺りは音無渓谷と呼ばれる景勝地となり、歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれ江戸の名所の一つに数えられていた。石神井川は、小平・花小金井から石神井公園にある三宝池を源として隅田川に合流する川で、近くにある王子稲荷のあたりでは音無川と呼ばれている。王子稲荷が紀州の熊野権現を勧請し、地勢も熊野山を模したことに由来しており、川の名前もそれに倣って付けられたという。
現在は、戦後の護岸工事で、音無渓谷をイメージした音無親水公園として生まれかわり、桜の名所、水遊びのできる公園としてにぎわっている。

歌川広重「名所江戸百景」・王子音無川

音無親水公園

音無親水公園

音無親水公園

音無親水公園・舟串橋

音無橋

音無橋

音無親水公園

音無親水公園

音無親水公園・音無橋


音無親水公園

音無親水公園

2.飛鳥山公園

飛鳥山は、江戸時代、八代将軍・吉宗により桜が植えられ、江戸きっての花見の名所の一つになった。明治になると、欧米風の「公園」をつくるため太政官布達を出し(明治6年)、 旧の社寺の境内地を公園とし、東京には、浅草(浅草寺)、上野(寛永寺)、芝(増上寺)、 深川(富岡八幡宮)、飛鳥山(王子神社)の5箇所の公園が生まれた 。

また、渋沢栄一がこの王子に洋紙工場を建設し「抄紙会社」(王子製紙の前身)を設立した(明治6年)。渋沢はここに邸宅を構え、いまも「晩香廬」、「青淵文庫」として残っている。

飛鳥山

飛鳥山公園

飛鳥山公園

飛鳥山公園

飛鳥山公園

飛鳥山公園・紙の博物館


飛鳥山公園・枝垂れ桜

(1)「晩香廬」と「青淵文庫」

飛鳥山公園の南側には、渋沢栄一の「曖依村荘」(あいいそんそう)と呼ばれた自邸があった。自邸は、明治11年(1878)に別荘として建設され、明治34年(1901)から亡くなる昭和6年 (1931)までは本邸として使用された。住居等の主要部分は昭和20年 (1945)4月の空襲で焼失してしまったが、庭園内の「晩香盧」と「青淵文庫」は焼失を免れた。

「晩香廬」は、 渋沢栄一の喜寿を記念して清水組(現・清水建設)より贈呈され、内外の賓客を迎えるレセプション・ルームとして使用された(大正7年)。「青淵文庫」は、渋沢の傘寿と子爵昇進を祝い、贈呈され、図書館として使用された(大正14年)。

どちらも、清水組(現・清水建設)の技師・田辺淳吉の設計によるもので、建築と工芸の提携、田園趣味など、アーツ&クラフト運動の影響を受けた建築作品として位置づけられている。

青淵文庫

青淵文庫

青淵文庫

青淵文庫

青淵文庫

晩香廬

晩香廬

晩香廬

渋沢栄一銅像

(2)石碑

飛鳥山公園内には、いくつかの石碑がある。

①桜賦の碑

桜の賦()は、佐久間象山の作で、桜の花が陽春のうららかな野山に爛漫と光り輝き人々の心を動かし、日本の全土に壮観を呈しその名声は印度、中国にまで響き、清く美しいさまは他に比類がないと、愛国の志を説く。

幕末の志士たちに影響を与えた、佐久間象山。この石碑は、門弟の勝海舟らによって明治14年(1881)に建設された。

桜賦の碑

②飛鳥山碑
元文2(1737)に、吉宗による事績を顕彰するための「飛鳥山碑」が建てられた。この

飛鳥山の碑文は難解とされ、次のような江戸の川柳の題材にもよく取り上げられた。

「あすか山なんとよんだかおがむ也」

「この花を折るなだろうと石碑見る」

「何だ石碑かと一つも読めぬなり」

飛鳥山碑


③明治三十七八年戦役紀念碑

明治三十七八年戦役とは、明治37~8年(1904~05年)の戦争、即ち日露戦争のこと。石碑の裏面には、「北豊島郡出征軍人」と題して、その下に氏名をビッシリと書きつらねて、郷土の勇士たちを顕彰している。

明治三十七八年戦役紀念碑

(3)都電荒川線

飛鳥山公園内には、懐かしい車両が展示されている。黄色い電車は、昭和53年まで実際に都電荒川線を走っていた車両で、この車両は6000型と呼ばれ、昭和24年に製造されたもの。

飛鳥山の前には、都電荒川線の「飛鳥山」駅がある。帰りは、ここから早稲田駅まで乗ってみた。都電荒川線は東京に残る唯一の都電で、「東京さくらトラム」を愛称として、三ノ輪橋~早稲田間(12.2km30停留場)を運行している。

都電荒川線の車両

都電荒川線の車両

都電荒川線の車内

都電荒川線の車内

都電荒川線・飛鳥山付近

都電荒川線・飛鳥山駅

都電荒川線・運転席からの眺め

飛鳥山は、江戸時代に吉宗により桜が植えられ、明治時代に入り「公園」となり、さらに大正時代には、渋沢栄一の邸宅が造られ、戦後は、大きく改修され、都内でも有数の花見スポットとなっています。そんな歴史を振り返りながら、今年は、やっとコロナによる花見の制限もなくなり、本来のお花見ができる東京異空間となっているようです。


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