2023年3月28日火曜日

東京異空間87:山本有三記念館

 

山本有三記念館正面入口(左下隅に写っているのが路傍の石)

井の頭公園を出て、三鷹駅に向かう途中に、山本有三記念館があります。山本有三といえば『路傍の石』が代表作として知られています。

山本有三が昭和11年(1936)から昭和21年(1946)まで住んだ洋風の建物が記念館となっています。

1.建物の歴史

吉祥寺から三鷹あたりは、大正8年(1919)に吉祥寺駅ができ、住宅開発が進み、関東大震災後は、東京女子大、成蹊学園などの教育施設が周辺にできて、文化人も移り住んだ。

山本有三は吉祥寺に住んでいたが、ここ三鷹・下連雀の洋館が気に入って購入し、昭和11年(1936)から昭和21年(1946)まで家族と暮らした建物は、実業家の住居として大正末期に建てられたもの。洋館の建物で、大谷石を使った暖炉、煙突があり、外観は瀟洒であり、内部はステンドガラスなど個性的なデザインがされている。ただし、建物の設計者などについては分かっていないという。

戦後は、GHQにより接収され、米軍幹部の住まいとされてしまい、邸はペンキが塗られたり、家具等も破損・紛失したという。接収が解除された後も、山本はこの建物に住むことはなく、国立国語研究所の分室とし使われ、その後、山本により東京都に寄贈された。昭和60年(1985)に三鷹市に移管され、平成8年(1996)に記念館として開館した。

建物は、保存修復され、いまは一般に公開され、書斎であった建物内部や、山本の作品なども企画展示されている。建物の周りは静かな庭園となっている。

建物の保存に関わった鈴木博之(建築史家、東大名誉教授、1945-2014年)は、次のように保存の重要性を語っている。

「歴史有る建物を誰が管理して運営するか、これは極めて重要なことです。山本有三記念館が、地元の三鷹市が住まい続けていることは建物保存上も、運営することの重要性を教えてくれた、理想的な形だと思います。 」『保存原論』鈴木博之 市ヶ谷出版社 2013

2.建物の外観

建物正面(北側)

大谷石で造られた暖炉の煙突

建物南側

建物南側

外観も洒落たデザイン


静かな庭園


3.建物の内部
階段

階段踊り場のステンドグラス

ステンドグラスの窓


家具

家具

ランプ


「イングルヌック」と呼ばれる暖炉のある部屋:
「イングルヌック」とは「暖かく居心地の良い場所」という意味


(3)武蔵野市から三鷹市へ
武蔵野市から

三鷹市の桜

山本有三といえば、代表作『路傍の石』が映画化もされ、知られていますが、いまはその時代背景の違いもあり、ほとんど読まれていないのではないでしょうか。また、山本有三という作家自身もそれほど知られているとは言えないかもしれません。

しかし、山本有三ゆかりの建物が、記念館として保存されていることにより、建物ばかりでなく、山本有三とその作品についてもいろいろ知ることができます。

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