| 東京国立近代美術館のコレクション展 |
東京国立近代美術館のコレクション展のなかに植田正治の写真が展示されていました。また、東京都写真美術館で同じくコレクション展、「Don’t think. Feel.」のなかで「家族写真の歴史民俗学」として、植田の写真などが展示されていました。ちなみに「Don’t think. Feel.」という言葉はブルース・リー の言葉で、「考えるな、感じろ。」ということだそうです。
1.植田正治(1913-2000)~東京国立近代美術館のコレクション展から
植田正治は、鳥取県境港市に生まれ、そこを拠点に70年近く活動し、前衛的な演出写真は「植田調」として知られる。とくに鳥取砂丘を舞台にした「砂丘シリーズ」はよく知られている。 鳥取砂丘をメインステージとし、広大な空、砂、地平線を平面的な背景として、家族や地元のモデルを使い、砂丘でまるでオブジェのように配置する、「演出写真」を生み出した。
戦後の写真界では、土門拳による「「絶対非演出・絶対スナップ」が主流であった。これは,、土門の戦時中の「報道写真」への加担に対する深い悔恨と自己批判から、「やらせ」を徹底的に排し、真実の底まで暴くという強い主張であった。
いっぽう植田は、土門のリアリズム論に衝撃を受けたが、「カメラを向けられた被写体が意識する姿こそがリアルである」という独自の結論を持つに到る。植田の「演出写真」は、写真を「現実の記録」ではなく「絵画的な表現」として、より 自由な想像力を写真に持ち込み、「植田調(UEDA-CHO)」と呼 ばれる独自の写真を創り上げた。
植田正治と土門拳は演出/非演出という対極的な作風でありながら、二人は互いの才能を高く評価し合っていた。
| 少女四態 1939年 |
少女たち 1945年頃 少女たち 1945年頃 子狐登場 1948年 カコとミミの世界 1949年 カコ 1949年 カコ 1949年 パパとママと子供たち 1949年 パパとママと子供たち 1949年 風船をもった自画像 1948年頃 ボクのわたしのお母さん 1950年 妻のいる砂丘風景(Ⅱ)1950年頃 妻のいる砂丘風景(Ⅲ)1950年頃 砂丘群像 1949年 砂丘群像 1949年 砂丘群像 1949年 モデルとゲイジュツ寫眞家たち 1949年 砂丘ヌード 1951年 砂丘ヌード 1951年 土門拳と石津良介 1949年 土門拳
砂丘での合同撮影会では、互いにカメラを向け合うなど、手法は違えど作家として認め合う仲であった。
2.家族写真~東京都写真美術館のコレクション展から
「Don’t think. Feel.(考えるな、感じろ。)」のなかで「家族写真の歴史民俗学」をテーマにした展示がされていた。これは、 川村邦光の著作『家族写真の歴史民俗学』で論じられた家族写真を中心に展示し、19世紀から現代までの家族写真の構図や撮影背景を分析している。
その中で、植田正治や影山光洋などの家族写真を取り上げている。歴史的に見ると、西洋の家族写真は、聖家族を世俗化したいわば「イコン」であり、家父長を中心とした構図になっている。
植田や影山の家族写真を見ると、家父長から夫婦中心、さらに母親中心から子供中心となる日本の家族制度の歴史の片鱗が垣間見えるようだ。
(1)西洋の家族写真
猟銃を持つ夫婦(ダゲレオタイプ)1850年代中頃 手を握る母子(ダゲレオタイプ)1850年代中頃 バートランド・ラッセル一家 1921年頃
| カコとミミ 1949年 |
| カコ 1949年 |
| パパとママと子供たち 1949年 |
影山光洋(1907–1981)は、朝日新聞の従軍カメラマンとして戦地を記録し、戦後は自らの家族や街頭風俗を克明に撮り続け、「記録写真の鬼」と称された 。
神宮アパートでの新婚文化生活 1934年 小麦の収穫祝い、家族の肖像 1946年
(4)昭和天皇の家族写真
中でも興味深かったのは、昭和天皇の家族写真の二枚である。どちらも天皇は中央で椅子にどっかりと座り、天皇の近くには男子親王が並び、皇后(女性)の周りに子供たちという構図である。明治期以降、国家は天皇を中心とした巨大な「家」であるとされた。天皇は国家の家長として臣民(国民)を慈しみ、国民は天皇に絶対服従するという関係が形作られたが、そうした「家族国家観」がこうした写真の構図にも表れているようだ。それぞれ1939年、1943年に撮影されたものだが、戦時中に、このような写真が撮られていたのだ。(1937年日中戦争、1941年太平洋戦争)
| 昭和天皇家族写真 1939年 |
中央に座っているのが昭和天皇。天皇の右隣に立っているセーラー服の少年が、皇太子 (現在の上皇・明仁親王)。その隣が常陸宮(正仁親王)である。女性たちは後ろに位置する。
天皇は右手を椅子の肘の上に置き、左手は膝の上に置いている。右隣の皇太子は左手を天皇の座っている椅子の肘掛けにの上に置いている。手をつなぐことはない。皇位継承の順位が家父長制とともに図像化されている。
1943年の写真では、やはり天皇だけが中央で、豪華な椅子に座っている。いわば「鎮座」している。天皇の右隣には、やはり皇太子が立っている。他の方はほぼ等間隔に律義に立っている。家族的な親密さは見られない。なお、この写真には第二皇子(正仁親王)はいない。
(5)「パパとママとコドモたち」の写真
植田の「パパとママとコドモたち」の写真は、それぞれがほぼ等間隔で並んでいる。左側から植田本人(パパ)・三男・長女・長男・次男・右端が母親(ママ)である。それぞれが思い思いのポーズをとり、独自の領域を示している。
この奇妙なパフォーマンスの写真、もちろん植田によって演出された写真は、天皇の家族写真や家父長制スタイルの写真に対するすぐれてユーモラスなパロディとなっている。
(参考):
『家族写真の歴史民俗学』川村邦光 ミネルヴァ書房 2024年
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| 東京都写真美術館エントランスのパネル「妻のいる砂丘風景(Ⅲ)」1950年頃 |

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