「神楽坂」 |
印刷博物館から神楽坂にまわってみました。神楽坂は、かつては花街として栄え、一つ路地を入ると、その風情が残っているところがあります。日本料亭のほかに、フレンチやイタリアンなど洒落たお店が多いようです。また、毘沙門天で知られる善国寺や、赤城神社などの寺社も散在しています。そんな神楽坂を散策してきました。
1.神楽坂の横丁
「神楽坂」という名の由来は、近くの神社から神楽の音が聞こえてきたことからという説などがあるようだ。飯田橋駅から外堀通りに出ると、神楽坂下交差点があり、ここが神楽坂下で、坂を登り、毘沙門天善国寺を通り過ぎ、大久保通りとの交差点、神楽坂上までが、神楽坂である。なお、神楽坂通りは神楽坂上を更に越えて地下鉄東西線・神楽坂駅の赤城神社側出口辺りまでを指す。
表通りから一歩入ると静かな路地があり、かつての花街の趣を残した横丁の名前が付けられている。そこには、政治家なども利用するという老舗の料亭などがある。
(1)「かくれんぼ横丁」
横丁の名は、「お忍びで遊びに来た人の後をつけても、横に入られると見えなくなる」ことが由来 。
〇「天孝」:初代 は天ぷら職人として他店で働いている時に、その天ぷらに惚れ込んだ神楽坂の芸者から独立して神楽坂でやりなさいと言われ、その芸者宅の一階を借りてスタートしたという。
〇「山路」:築70年の料亭「山路」をフルリノベーションした一棟貸しのホテル。元料亭かつ芸者の稽古場だった「花街建築」と称される歴史ある外観は、「山路」の看板も含めて、そのまま生かしたという。
〇「八仙」: 現役の神楽坂芸者がオーナーとなり2011年から「貸席八仙」として営業し、2023年からは「料亭八仙」として営業をはじめたという。政治家も利用するようだ。
「天孝」 |
「山路」 |
「八仙」 |
「八仙」 |
(2)「兵庫横丁」
神楽坂の中でも最も古い道といわれており、その名は戦国時代に武器庫(兵=兵器/庫=倉庫)があったことに由来。
〇「和可菜」:旅館「和可菜(わかな)」は1954(昭和29)年に女優・木暮実千代が出資して、建築、妹が女将として経営した。一時は脚本家・映画監督・作家たちが本を書く「ホン書き旅館」として知られた。2015年末に一時閉店し、隈研吾設計事務所の手を借りて、再出発の予定という。
〇「幸本(ゆきもと)」: 創業から60年を超える歴史ある老舗の日本料亭。 兵庫横丁の風情ある佇まいである。
「幸本(ゆきもと)」 |
「和可菜」 |
(3)「見番横丁」
芸者衆の手配や稽古を行う「見番(けんばん)」が沿道にあることから名付けられた。
〇「鳥茶屋 別亭」:うどんすきなど関西料理のお店。本店は神楽坂通りに面してあったが2020(令和2)年に閉店。コロナの影響が大きかったようだ。別亭は見番横丁の近く、 「芸者小道」と呼ばれる場所で営業。
「見番横丁」 |
「鳥茶屋 別亭」 |
(4)「本多横丁」
江戸中期から明治初期にかけて、旗本の本多対馬守の屋敷があったことに由来。
〇「伊勢藤(いせとう)」: 創業は昭和12年だが、創業店は戦災で焼け、昭和23年に再度建築。町屋造りの酒亭で、静かに酒を飲む所という。本多横丁から入った「酔石横丁」にある。
「本多横丁」 |
「伊勢藤(いせとう)」 |
2.神楽坂の寺社
(1)善国寺
神楽坂の途中にある街のシンボル的な存在で、創建は文禄4(1595)年、徳川家康が鎮護国家の意を込めて創建したとされる。江戸時代は、毘沙門天信仰の寺として、浅草の「正法寺」、芝の「正伝寺」と並び江戸三毘沙門に数えられていた。
毘沙門天は、仏教を悪から守る護法善神と呼ばれる守護神の一人で、北の方角を守るとされる。 日本では、独尊で祀られる場合には「毘沙門天」と呼ばれ、四天王として祀られる場合には「多聞天」と呼ばれている。また、毘沙門天は、北方の守護神であるとともに、財宝の神様であるということから、七福神の一つになっている。
「四天王」:多聞天 (北)、持国天(東)、増長天(南)、広目天(西)
「七福神」毘沙門天、恵比寿、寿老人、大黒天、福禄寿、弁財天、布袋
また、毘沙門天は、寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に世に現れたとされていることから、現在も正月、五月、九月の初寅の日に御開帳される。
そのことから、本堂の前に鎮座しているのは、狛犬ではなく2体の石虎。台座には、寄進者の名も刻まれ、善国寺周辺の住民の寄進であることがわかるという。
ちなみに、開基とされる徳川家康は、寅年生まれとされる。
善国寺 |
善国寺 |
石虎 |
石虎 |
(2)伏見火防稲荷神社
見番横丁の近くにある小さな神社。社名にあるように地域一帯の火伏のご利益を願うお稲荷。玉垣に「神楽坂三丁目自治会」と「東京神楽坂組合」とあり、他にも料亭の名前が多数刻まれている。
伏見火防稲荷神社 |
伏見火防稲荷神社 |
伏見火防稲荷神社 |
(3)赤城神社
正安2(1300)年に創設されたと伝わる「赤城神社」は、群馬県赤城山麓の豪族であった大胡彦太郎重治が牛込に移住した時、本国の鎮守であった赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりとされる。 江戸時代には、神楽坂の地を見守る牛込の総鎮守として、「日枝神社」「神田明神」と共に、「江戸の三社」と称された。
現在の社殿は、「赤城神社 再生プロジェクト」の一環として建築家の隈研吾(神楽坂に在住)のデザインにより2010年に再建された。
本殿の他に末社として、蛍雪神社、八耳神社、出世稲荷神社、東照宮を祀る。
蛍雪神社:御祭神・菅原道真公を祀る。旺文社の寄付により再興された。その名は旺文社発行の『蛍雪時代』に由来し、受験生の合格を祈願する。
八耳神社:御祭神は、上宮之厩戸豊聰八耳命(うえのみやのうまやどのとよとやつみみのみこと) 、すなわち聖徳太子を祀る。
出世稲荷神社:御祭神・宇迦御霊命(うかのみたまのみこと) 。赤城神社がこの地に遷る以前から牛込の鎮守とされてきた地主神。
東照宮:御祭神・徳川家康公 。牛込西五軒町にあった天台宗宝蔵院に鎮座してたが、明治の神仏分離に伴い境内へ遷した。
赤城神社 |
赤城神社 |
赤城神社 |
赤城神社 |
狛犬 |
こちらは狛犬、スフィンクスではなく「加賀白山犬」という江戸時代に流行した形という。
狛犬 |
蛍雪神社・雪が残る |
大百足 |
その昔、赤城山の神「ムカデ」と二荒山の神「マムシ」が中禅寺湖の領有をめぐって戦いをした。そこが奥日光の「戦場ヶ原」だという。
八耳神社、出世稲荷神社、東照宮 |
八耳神社、出世稲荷神社、東照宮 |
赤城神社・参道 |
赤城坂 |
神楽坂は、一歩路地に入ると、花街の風情を残しており、老舗の料亭などが静かな佇まいを見せています。石畳の道は、迷路のようですが、夜のこの街を歩いてみたくなります。
帰りは、地下鉄神楽坂駅から。この駅に直結しているように昭和レトロな喫茶店があります。気になるような看板ですが、まだ入ったことはありません。
(参照):
時空トラベラー「牛込神楽坂散歩~裏路地の迷宮を徘徊す」(2023/12/02)
https://tatsuo-k.blogspot.com/
昭和レトロな喫茶店 |
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