2024年4月12日金曜日

東京異空間190:「ほとけの国の美術」展@府中市美術館

 

「ほとけの国の美術」展@府中市美術館

府中市美術館で開催されている「ほとけの国の美術」展に行ってきました。府中市美術館は、ユニークな企画展を開催するので、これまでも何回か訪れています。今回の展覧会は、「春の江戸絵画まつり」という、この美術館が得意な江戸絵画のシリーズになっています。

期待にたがわず、楽しい、そしてびっくりするような絵画に出会うことが出来ました。

1.来迎図

来迎図は、平安後期に『往生要集』などがあらわされ、浄土信仰が広まり、浄土から現世に阿弥陀如来が菩薩とともに迎えに来ることが描かれた。

〇<二十五菩薩来迎図>全17幅、土佐光広筆、室町時代15世紀京都市・二尊院

二尊院の本堂は、死者を送り出すの釈迦如来と浄土から迎えに現れる阿弥陀如来の二体の彫像を本尊としている。どちらも鎌倉時代に制作されたもの。この正面に配置された本尊を囲むように左右の壁に二十五菩薩と地蔵菩薩、龍樹菩薩、それに日輪と月輪の計17幅の来迎図が掛けられる。本堂内陣全体が菩薩たちの空間となり、本尊を拝む者に向かって菩薩たちが雲に乗ってやってくる光景が広がる。この来迎図は、室町時代に宮廷絵所の絵師・土佐光広により制作されたもの。

経年劣化のため長く公開されずにいたようだが、201922年の修復・調査を経て、2023年におそらく江戸時代以来初めて特別大開帳された。東京での公開は、その空間を可能な限り再現して展示している。精緻な截金、金泥、色彩が施された17幅の画面は実に美しい。

<二十五菩薩来迎図>

〇<阿弥陀二十五菩薩来迎図鎌倉時代13世紀福島県立博物館

斜め上から地上に向かって阿弥陀聖衆が迎えに来る姿は来迎図の定番である。右下に描かれた地上の様子は、様々な木々は花々に彩られ、家の中では死を迎えるものが伏せたまま阿弥陀聖衆を拝み、その横には無事に往生できるよう念仏を唱える僧がいる。

阿弥陀二十五菩薩来迎図は経年劣化で見づらいけれども、金箔を用いた截金など、繊細な装飾が見事で、綺麗な色の描表具や空を飛ぶ天女や小さな仮仏、屋敷に咲く花々など細部の描写も素晴らしい来迎図である。

阿弥陀二十五菩薩来迎図

〇<二十六夜待図>狩野了承筆、江戸時代後期(19世紀前半)

旧暦の1月と7月の26日の夜、月光の中に現れる阿弥陀三菩薩を待って拝む「二十六夜待ち」という行事がある。月の光の中に阿弥陀の姿が現われるといわれ、高輪から品川あたりにかけて盛んに行なわれたという。暗がりの空と「江戸湾」に、房総の山々の向こうに、月=金色の光を発する阿弥陀三尊の姿が現れる。夜の闇に浮かぶ幻想的な光景と、それを目の当たりにした人々が小さく描かれている。

房総生まれの私としては、この作品が一番感動した。

<二十六夜待図>

2.涅槃図

〇<仏涅槃図>鎌倉時代

涅槃図は横臥する釈迦を中心に菩薩や羅漢、僧侶、会衆ら人間のほか動物に到るまで釈迦を取り囲み、嘆き悲しむ情景が描かれる。釈迦の入滅した215日には各地のお寺のお堂に涅槃図が掛けられ、法要が営まれる涅槃会が行われる。

現存する日本最古の涅槃図(1086年)には1頭の獅子以外の動物は登場せず、動物が増えていくのは鎌倉時代以降のことだという。経典には登場しない動物まで描かれるようになり、中には象など当時日本では見ることができなかった動物や、想像上の生き物の姿も出てくる。このように、嘆き悲しむ動物たちが描かれることによって、動物たちにも仏の心があり、江戸時代になると、応挙や芦雪の仔犬などのように、「かわいい」絵が描かれる。西洋とは異なる「ほとけの国」ならではの、動物の描き方と言える。

<子犬図>長澤蘆雪

<春景群鳥図>長澤蘆雪

〇<白象図>伊藤若冲筆

伊藤若冲は涅槃図をヒントに白象をメインに描いた。若冲にとって、この白象も「ほとけの国」の動物であった。

さらに、動物だけでなく伊藤若冲が描いた<果蔬涅槃図>のように「見立涅槃図」といわれる作品がある。二股に分かれた大根を横たえた図を、釈迦入滅に見立て、60種以上もの果蔬を描いている。よく知られているように、伊藤若冲は、錦市場の青物問屋の家に生まれていて、若冲にとって野菜は特別な画題で あった。

<白象図>伊藤若冲

3.羅漢図

羅漢とは、悟りを開いた高僧を指し、十六羅漢や五百羅漢などを絵画または石像により作品がつくられた。

〇<石峰寺図伊藤若冲1789年、京都国立博物館

伊藤若冲は、京都伏見の石峰寺の境内に石像の五百羅漢を納めた。いまも石峰寺にはこれらの石像を見ることができる。この絵は、その石峰寺の様子を描いた図であるが、もちろん現実の景観ではなく、釈迦と境内のあちこちに五百羅漢のいる仏の世界「ほとけの国」を描いたものだ。

石峰寺図伊藤若冲

〇<降竜伏虎羅漢図>逸見一信、増上寺

逸見(狩野)一信は、「五百羅漢図」全100幅を描いた。しかし、一信は多年に渡る大作の制作でうつ病となり、「五百羅漢図」完成間近で数え48歳で没した。その後、「五百羅漢図」は出家した妻妙安や、逸見家の養子となった弟子の一純(かずよし)らの手で完成された。一信没後、妙安はこれを増上寺に納めた。妙安は、明治初期の廃仏毀釈にさらされても「五百羅漢図」を守りぬき1878明治11羅漢を安置するため、増上寺内に自ら尽力して羅漢堂を建立した。

これまで、「狩野一信」の「五百羅漢図」として展覧会で観たり、増上寺の宝物室に展示されたものを観たことがある。今回展示されているこの作品もその一つだろうが、極めて迫力のある図だ。作者については、これまで「狩野一信」といわれていたが、現存する作品に、「狩野」の署名のある例はないということから、婿入りした一信妻の姓「逸見」としているようだ。

「ほとけの国」展の前期に展示された作品を取り上げましたが、このほかにも<十王図>や<荼枳尼天>鈴木其一、<布袋図>葛飾北斎、<お竹大日如来>歌川国芳、また円空の木像など素晴らしい作品が目白押しでした。さらに、後期(49日~56日)にも、<地獄極楽図>など是非とも見たいものが展示されるようです。

荼枳尼天>鈴木其一

<布袋図>葛飾北斎

<地獄極楽図>



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