2024年4月22日月曜日

東京異空間193:観泉寺~庚申塔と地蔵菩薩

上井草の庚申塔

西武新宿線の上井草駅から歩いて15分ぐらいのところに観泉寺という曹洞宗の大きなお寺があります。ここにいくつかの石仏群が置かれています。また、近くにある祠には庚申塔が祀られていました。

街角のちょっとしたところに、こうした庚申塔や地蔵菩薩が置かれているところがあります。以前にも民間信仰の庚申塔などを見てきましたが、今回、あらたに出会った庚申塔などをまとめてみました。

1.観泉寺の石仏群

観泉寺は、創建時は観音寺という名で、慶長2(1597)年に、中野にある成願寺の住職が創建した。開基は今川氏真とされ、今川氏歴代の領主の墓がある。今川氏が桶狭間の戦いで織田信長に敗れ没落した後、今川氏真は、流転の末、徳川家康の家臣となった。氏真の孫、今川直房は、今川家中興の祖といわれ、下井草にあった観音寺を上井草(現在地)に移し、寺名を観泉寺と改め伽藍を建立した。江戸時代の観泉寺は、今川氏の知行地支配の拠点でもあり、領民からの年貢の取立てや裁判なども寺の門前で行われていたという。なお、今川氏は明治時代に断絶した。

山門に向かう参道の右に、地蔵菩薩と如意輪観音が祀られ、また左に、庚申塔・馬頭観音や子育地蔵などの石仏群が置かれている。また、庚申塔などの石仏とは別に「地蔵尊」という小さな堂に地蔵菩薩が祀られている。こうした民間信仰による石仏の多くは、近隣の場所にあったのを移設したものであろう。

(参照):成願寺については、

東京異空間65:中野・成願寺の仏たち

(1)観泉寺

観泉寺・山門

今川氏の菩提寺

観泉寺・参道

(2)地蔵菩薩と如意輪観音

中央は地蔵菩薩、両脇は如意輪観音(六地蔵)

地蔵菩薩と如意輪観音

(3)庚申塔・馬頭観音や子育地蔵

左は馬頭観音、右に庚申塔2基

庚申塔

庚申塔

地蔵尊

地蔵菩薩

道祖神?

石塔の上に猫の像(可愛がっていた猫か)

2.庚申塔

(1)上井草の庚申塔

上井草駅から観泉寺に向かう途中に、小さな祠があり庚申塔が祀られている。祠の手前に杉並区教育委員会による「民間信仰石塔」という解説版があり、これを以下に引用しておく。

「ここに建立されている石塔は聖観音塔と庚申塔です。いずれもかっては現在地よりやや西方の道沿いにありましたが、区画整理のため大正十四年この場所に移したものです。
向って右側の聖観音は「富士向観音」の名で親しまれたもので、寛延二年(一七四九)十一月十五日の造立です。観音様は現世利益を本願とし、種々の相に身を変えて衆生の悩みを救済してくれるといわれ、広く信仰されました。観音の中でも聖観音は最もポピュラーなもので、この塔もそうした信仰を持った観音講か念仏講と思われる講中によって造立されたものです。
左側の庚申塔は享保七年(一七二二)十月吉日の造立です。庚申信仰は庚申の夜に眠ると胎内の三尸の虫が罪を上帝に告げ、人の寿命を短かくするので、この夜は徹夜をすべきであるという道教説に由来するといわれています。信仰活動の中心は庚申の夜に、いわゆる庚申待をすることで、そのために各地に庚申講がつくられました。庚申塔は講の成立とか行事の成就などの時に供養としてつくられることが多かったといわれ、この塔も講中の人々によって、そうした折に造立されたものと思われます。
なお、二つの塔の銘文にある「遅野井村」は上井草村の別称です。また講の存在を示すものいえます。
この石塔はかっての上井草村の民間信仰を伝える貴重な文化財です。大切に守りつづけたいものです。」(杉並区教育委員会)

なお、地元では約30人で結ばれた地蔵講中が今もあり、毎年1124日に夜、堂前左右に行燈を立て、燈明を献じ、般若心経を唱和した後、酒食を共にするならわしが続いているという。

庚申塔と聖観音

庚申塔(青面金剛)

邪鬼を踏みつける

三猿

下に「遅野・同行」と読める

(2)中村橋商店街の庚申塔

練馬区立美術館の近くにある庚申塔で、赤いトタン屋根の堂宇には駒型の庚申塔と燈籠が祀られている。 庚申塔の造立年は宝暦2年(175211月。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿が刻まれている。脇には「上練馬村貫井 施主講中」と書かれている。また、庚申塔の右手前には燈籠が立っている。

庚申塔(青面金剛)と燈籠

庚申塔(青面金剛像)

(3)上石神井通りの庚申塚交差点にある庚申塔

石神井公園からの帰り、庚申塚交差点の角に小堂があり、がっしりした青面金剛像(庚申塔)がある。左右には、供養塔も置かれている。

中央が庚申塔

がっしりとした庚申塔

3.地蔵菩薩

地蔵菩薩は、地獄に落ちて苦しみにあう死者を,地獄の入口で救済すると信じられることから,地獄の入口を村境とみなして、街道の分岐や村の入り口に置かれることが多い。また、地蔵と子供の霊とが結びつき,地蔵を子供の神様とする信仰が強くなった。小児の成長を守り、もし夭折した時はその死後を救い取ると信じられ、子育て地蔵とか、子安地蔵と呼ばれるようになる。そうしたことから、親しみを込めて「お地蔵さん」「お地蔵様」と呼ばれ、 よく子供が喜ぶ菓子が供えられている。

民間信仰として、庚申信仰の「講」と同じように、地元の人、数十人で地蔵講をつくり、地蔵の縁日である月の24日の前日に般若心経を唱和した後、酒食を共にするならわしが今日も続いているところもあるという。関西では、旧暦724日 に「地蔵盆」が盛んに行われている。これは江戸時代に京都から伝わったものといわれている。

〇富士街道沿いにある地蔵堂

富士街道と旧早稲田通りの交差する分岐点に地蔵堂が建っている。小堂に祀られているのは丸彫の地蔵菩薩立像。造立は 宝永3(1706)と刻まれている。地元では道しるべ地蔵と呼ばれているという。

(参照):

東京異空間52:庚申塔~民間信仰を見る

地蔵堂

これまでも、庚申塔などの石造物を見てきましたが、今回、観泉寺にある庚申塔、地蔵菩薩などをみることができました。また、石神井公園や練馬区立美術館など時々行くところの近くにもこうした石造物があるのを見つけました。

こうした石像の前には、必ずお花などの供物が添えられています。江戸時代からある民間信仰として、庚申信仰、地蔵信仰など、今も続く人々の暮らしの一面を垣間見るようです。

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