2025年5月7日水曜日

東京異空間311:三つの写真展を観た@ 東京都写真美術館

 

ロバート・キャパ《オマハ・ビーチに上陸する米軍兵士》

東京都写真美術館で開かれている3つの写真展、「キャパ戦争」「不易流行」「鷹野隆大カスババ」を観てきました。ロバート・キャパをはじめ、日本の写真家の歴史的な写真を観ることができました。

なお、撮影可はそのうち2つの写真展で、キャパ展は不可でした。

1.ロバート・キャパ 「戦争」展

ロバート・キャパといえば、スペイン内戦での《崩れ落ちる兵⼠》と、ノルマンディー上陸作戦に同⾏して撮影した《「Dデー作戦」でオマハ・ビーチに上陸する米軍》が歴史に残る作品としてよく知られている。ノルマンディーの写真は、東京都写真美術館のエントランスに大きな写真が掲げられている。

ロバート・キャパ(Robert Capa1913-1954)は、ハンガリー生まれの写真家。戦場カメラマンとして、スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦、第一次中東戦争、第一次インドシナ戦争という5つの戦争を取材している。写真展「戦争」はそうしたキャパの写真の中から「戦争」をテーマにした約140点の作品が展示されていた。なお、これらは東京富士美術館が所蔵している。

構成は、1. ジャーナリストを目指す 2. スペイン内戦 3. 日中戦争、 ー 第二次世界大戦の

4.-戦時下のイギリス 5. -北アフリカ 6. -イタリア上陸 7. -ノルマンディー上陸 8. -パリ解放 9. -ドイツ降伏 10. イスラエル建国 11. 終焉の地 – インドシナ半島の11章となっている。このうち、いくつか歴史的な写真を取り上げてみる。

1. ジャーナリストを目指す

デビュー作は、カメラを隠して会場に入り込んで盗撮したデンマークの学生たちに向かってロシア革命について講演するレオン・トロツキーの写真(1932年)である。

2.スペイン内戦

キャパの名を一躍有名にした作品が、スペイン内戦中の共和国派民兵が銃弾に打たれて倒れる瞬間を捉えたとされる《崩れ落ちる兵士」》(1936年)である。しかし、近年の研究で、この写真は演習中を撮影したものであり、さらに被写体の兵士は死んでおらず、また撮影者もキャパではなく、キャパのパートナーのゲルダであると指摘されている。

ロバート・キャパ《崩れ落ちる兵士」》


3.日中戦争

盧溝橋事件に端を発した日本軍の中国侵攻である日中戦争。この章では、《マルクス像の前に立つ周恩来》《中国国民党の蒋介石》(1938年)の2つの肖像写真がやはり歴史的な写真と言えるだろう。

7.第二次世界大戦-ノルマンディー上陸

キャパの写真で最も有名なのがフランス・ノルマンディーの《オマハ・ビーチに上陸する米軍兵士》(1944年)であろう。キャパが命がけで撮った2本のフィルムは、現像の際に、フィルムを加熱しすぎてしまったために感光乳剤が溶け、まともな写真として残っているものは11枚しかなかったという(8枚という説もある)。

この写真から『ちょっとピンボケSlightly out of Focus』という、キャパが第二次世界大戦に従軍した回顧談を書いた本のタイトルにもなった。この本は世界的なベストセラーになった。



11.終焉の地 – インドシナ半島

キャパは、1954年に写真雑誌『カメラ毎日』の創刊記念で来日し、51日のメーデーの取材するが、『ライフ』誌からインドシナ戦争取材の緊急要請が来て、バンコクからサイゴンへとインドシナ半島へ渡った。そして、ベトナム北部のナムディン近郊でのフランス軍撤退作戦を取材中に地雷に抵触し、死亡した。享年40歳。

キャパの写真をみていると、戦争の犠牲を受けるのは、いつも民衆、とりわけ女性や子供といった弱い者であることを強く感じる。それは今も、ウクライナ、パレスチナ(ガザ)の戦争でも続いていることだ。

ロバート・キャパ



2.総合開館30周年記念「TOPコレクション 不易流行」展

タイトルの「不易流行」は、江戸初期の俳人・松尾芭蕉(1644-1694)が俳句の心構えについて 述べた言葉から付けられた。「不易を知らざれば基立ち難く、流行知らざれば風新たにならず」(現代語訳: 変わらないものを知らなくては基本が成立せず、流行を知らなくては新しい風は起こらない)



東京都写真美術館の開館30周年記念企画のひとつで、19 世紀から 20 世紀、現代までを取り上げる5 つのテーマで構成される。そのうちの写真史に登場する写真家の作品を中心に見ていく。

第一室「写された女性たち 初期写真を中心に」

第一室では、初期の写真を中心に、20 世紀初頭にかけて写真に写された女性たちを取り上げている。写真家としては、下岡蓮杖、F・ベアトなど、そのうち知らなかった写真家小島柳蛙、黒川翠山、大久保好六永江 博、小関庄太郎など多くあり、各々少し調べてみた

下岡蓮杖《梅の枝を活ける女性》

下岡蓮杖《手を繋ぐ二人の女性》

F・ベアト《日本の女性と赤ん坊》

F・ベアト《傘をさす日本人女性》

F・ベアト

F・ベアト《お茶くみ》


〇小島柳蛙(こじま りゅうあ 、1820-1882)は、1870(明治3)年ごろ郷里の岐阜で開業し、この地方の写真館の草分けとなる。 柳蛙は、母の兄で伯父にあたる飯沼慾斎から化学全般(「舎密」 オランダ語のセイミ)を 学び、とりわけ写真技術に強い関心をもっていた。 兄が亡くなると、庄屋を 息子の呉一郎へ任せ、自身は営業写真師として生きていくことを決意した。

この作品《小島とを像》は、妹であり、このほか自身や家族の写真を撮っており、写真館の開業前に制作された実験的作品であるとされる。

小島柳蛙《小島とを像》


黒川翠山(すいざん) (18821944)は、明治後期から大正期にかけて多く登場した「好事写真家」の一人である。「好事写真家」というのは、それまで写真師だけのものだった写真技術が、機材の改良などの結果、誰でも比較的簡単に扱えるようになったことから、いわゆるアマチュア写真家が多く輩出したことを指す彼等は、「芸術写真(ピクトリアリズム)という写真の芸術性を追求した。

黒川翠山《傘をさす女性と菊花》

黒川翠山《たきぎを負う女》

黒川翠山《たきぎを負う女》部分


大久保好六(おおくぼ こうろく、1900-1936)は、戦前を代表する報道系の写真家。1912年に朝日新聞社し「アサヒグラフ」等を担当した。1920代までは、「芸術写真(ピクトリアリズム)」を制作していたが、1930年代に入りフォトモンタージュなどを利用した報道写真、ルポルタージュなどを多く制作した。しかし、本人の急逝により、まとまって発表されることはなかった。享年36歳。

大久保好六《島の娘》

大久保好六《東京》

大久保好六《女二人》

大久保好六《豊子さん》


〇永江 博(維章、1886-1963 は、東京市牛込の生まれで、小学生の時から写真に興味を持ち、アマチュアとして文化財の撮影を始めた。 25才の時(明治43年(1910)頃)に文化財を撮影し歩いたのが始まりで、最初の大仕事は「法隆寺の金堂の写真の模写」であっ たという。

永江はインタビューで「北海道を除けば日本中、その足跡いたらざるところなし」「全国の寺社仏閣、古跡、史跡 をくまなく歩き」、撮影した写真24万枚という。しかしその殆どが灰になったと語り、その原因は、おそらく戦災の被害を受けたものと思われる。

なお、号として「維章を名乗り始めるのは昭和6年(1931)末頃からとされる。

(参考):

「郷土史料写真社永江維章について」 渡邊華  東京都江戸東京博物館紀要 第14号 2024年3月


永江 博《女性像》


小関庄太郎(こせき しょうたろう、1907-2003は、戦前日本を代表する「芸術写真(ピクトリアリズム)」の写真家。 とくに小関の写真は、絵画に近づけるために「雑巾がけ」といわれる技法を用いている。この技法は、オイルを使って写真の不必要な部分をぼかしたり、その後、強調したい部分を鉛筆などで画面を修正したり、レタッチ(書き起こしたりするもので、大胆に画面を作り替えることもある。

小関庄太郎《花を持つ少女》


第二室「寄り添う」:人びとの「寄り添う」ことの多様なあり方を見る写真(現代)。


第三室「移動の時代」:20世紀の「移動の時代」として捉えた写真。

〇アルフレッド・スティーグリッツ(1864-1946)アメリカの写真家。ピクトリアリズムが絵画的な作品を志向するため、ぼかしなどの技巧や被写体の配置を重視したのに対し、「ストレート・フォトグラフィー」と呼ばれる表現を始めた。 これは、写真(カメラ)本来の特性・独自の機能を重視し、 画面構成についての演出、ぼかしや合成といった技巧を用いることなく、人間が見たままのようにシャープな視線で、あるがままの風景、人物等が撮影された作品および表現手段・表現形式をいう。

スティーグリッツ《三等船室》

写真中央の橋が、三等船室の人々と一等船室の人々を分断している。スティーグリッツが表現したかったのは、人混みでも風景でもなく当時の階級制度であったという。

スティーグリッツ《三等船室》

第四室「写真から聞こえる音」:「音」を意識させる写真。

第四室には興味深い写真家の作品が並ぶ。ロベール・ドアノー、植田正治、高梨豊、濱谷浩、赤瀬川原平、杉本博司など、そして岡上淑子《廃墟の旋律》が展示されていた。このなかで、秋山亮二という写真家は知らなかった。

植田正治《日比谷交差点》

植田正治《妻のいる砂丘風景》

植田正治《波紋》

植田正治《風景の光景》


岡上淑子《廃墟の旋律》

杉本博司《劇場》
濱谷浩《浅草仲見世通りの雑踏》


〇ロベール・ドアノー(Robert Doisneau,1912-1994)は、フランスの写真家。1949年にヴィーグ・フランス誌と契約し、ファッション写真を手がけつつ、パリの町中を歩き廻って撮影を行った。

ロベール・ドアノー《音楽好きの肉屋、パリ》

ドアノーの作品の中でも特に有名なのが《パリ市庁舎前のキス 》である。いかにも恋人同士の決定的瞬間を捉えた写真にみえるが、後にこの作品は「演出作品」であったということが判明したという。

なお、この作品は、東京都写真美術のエントランス外壁に写真壁画となって掲げられている。他は、ロベート・キャパ《オマハ・ビーチに上陸する米軍兵士》と、植田正治《妻のいる砂丘風景》。

ロベール・ドアノー《パリ市庁舎前のキス 》


秋山 亮二(あきやま りょうじ、1942- )は、早稲田大学卒業後、AP通信、朝日新聞社写真部を経て、フリーの写真家に。 フォトジャーナリストの視点で国内外の社会問題を積極的に取材し、作品を発表している。

《スクラップランド》 は、東京のごみ集積場を写した作品。捨てられたテレビが大量消費社会に進む日本の未来を写し出しているようだ。

秋山 亮二《スクラップランド》


第五室「うつろい 昭和から平成へ」 :昭和から平成までの時代背景に目を向けた写真。

荒木経惟《冬の旅》は、荒木の妻・陽子の死への軌跡を見つめた作品。この一枚は病室で妻の手を握りしめている写真。荒木の写真は「私写真」といわれる。

荒木経惟《冬の旅》

この写真展「不易流行 」では、様々なテーマの写真が展示されているが、それらを見ていくと写真史とともに、その時代、時代が反映されていることを知らされる。


3.「鷹野隆大 カスババ ―この日常を生きのびるために―」

鷹野隆大(たかの りゅうだい、1963-)は、 「身体性」をテーマにした写真を撮る現代作家。1998年から毎日欠かさず写真を撮る「毎日写真」を自らに課し、実験的な撮影を試みているという。作品の展示の仕方も、いろいろユニークなものになっている。

なお、タイトルにある「カスババ」は「滓(カス)のような場所(バ)の複数形」という意の、鷹野による造語。






三つの写真展を観てきましたが、初めて知る写真家も多くあり、あらためて写真史をひもとく必要があると思いました。

〇東京都写真美術館









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