| 金沢神社・本殿 |
兼六園の「随身坂門」を出て、隣接している金沢神社に参拝しました。
1.金沢神社の由緒
寛政6年(1794年)、11代藩主・前田治脩(はるなが)が、兼六園の現在の梅林の地に藩校「明倫堂」を建てた。その鎮守社として、前田家の祖先とされる菅原道真公を御祭神に迎えたのが始まり。のちに12代藩主・前田斉広が「竹沢御殿」を造営した際、藩主の個人的な祈願所や兼六園の鎮守としても崇められるようになる。
江戸時代は藩主専用の神聖な場所であり、一般庶民は例祭の日(4月25日と9月25日)に婦女子のみが許される特別な神社であったが、1874年 (明治7年)に兼六園が一般開放されたことに伴い、誰でも参拝できるようになった。
1876年(明治9年)に「竹沢天神」から「金沢神社」に改称した。
(1)拝殿
主祭神は、学問の神菅原道真公を祀る。
相殿として 白蛇龍神が祀られている。
(2)手水舎
「金城霊沢」の地下水源と同じくしている。
(3) 金城霊沢
金沢という地名のルーツである。その昔、芋掘藤五郎という男がこの湧き水で芋を洗ったところ、多くの砂金が出てきたという伝説から「金洗いの沢」と呼ばれ、それが「金沢」の地名になったと伝えられている。
2.随身門
随身門の左右には、神社を悪霊や災いから守護する門守神(かどもりのかみ)として、平安時代の近衛府の官人(警護官)の姿をした右大臣・左大臣の神像(随身様)が安置されている。
門の中に安置されている神像の背面には「文政四年」(1821年)の銘があり、加賀藩の重臣(加賀八家)である前田土佐守家7代・前田直時によって奉納されたことが分かる。現在の門は、1993(平成5)年に修復・再建された。
13代藩主・前田斉泰(なりやす)の母である眞龍院(鷹司隆子)が、隣接する成巽閣(せいそんかく)に入輿する際、警護の随身やお供の女中たちがこの門の前の坂を通ったこと、また門に随身像が祀られていることから、一帯が「随身坂」と呼ばれるようになった。
| 絵馬の奥は白阿紫稲荷大明神 |
3.放生池
池の大部分が緑の葉で覆われ、美しいピンク色の睡蓮(スイレン)や、黄色い可憐な花を咲かせるコウホネ(河骨)が水面を彩る。
| コウホネ(河骨) |
| 睡蓮(スイレン) |
4.いぼとり石
この石は、12代藩主・前田斉広(なりひろ)の夫人、または13代藩主・前田斉泰(なりやす)の夫人・真龍院が、能登の町屋村から運ばせたと伝えられている。 町屋村にはかつて「いぼ池」という池があり、その周辺の石でイボをこすると治るという信仰があり、その霊験あらたかな名石がこの場所に据えられた。
明治以降、兼六園が一般開放されると、敷地内にあるこの石の評判が庶民にも広まり、広く信仰されるようになった。いまでは、体にあるイボだけでなく、心の「イボ(悩み)」も取り除いてくれる、見えないイボを癒やす石としても親しまれているという。
5.夢石
金沢神社の御祭神である菅原道真公は「丑年生まれ」であり、さらに大宰府へ左遷された際に牛に命を救われたという伝承があることから、全国の天満宮と同様に、牛が「神の使い」として境内に据えられている。
この像は、金沢市出身の旧帝展作家・都賀田勇馬(1891〜1981)によって制作され、戦前に神社へ奉納された。
全国の天満宮・天神神社では「撫で牛」と呼ばれるが、ここでは「夢牛」の名で親しまれていて、 願い事を頭に思い浮かべながら頭部や体を撫でると、その夢や願いが叶うと言い伝えられている。多くの参拝者が撫でていくため、背中や体は風情ある苔に覆われている一方で、頭部だけはツルツルと輝いている。
6.板屋神社遥拝所
画期的な土木技術を用いて兼六園の水泉、さらに金沢城へ水を引く「辰巳用水」をわずか1年足らずで完成させた「板屋兵四郎(いたやへいしろう)」が祀られている。本社である板屋神社(金沢市上辰巳町)は遠方に位置しているため、一般の人や関係者が兼六園のすぐ側から遠隔で遥拝できるようにこの建物が設けられた。
なお、遥拝する対象である「板屋神社」自体は、1960年 (昭和35年)に創建された。
つづいて隣接している「成巽閣」に行きました。
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