殿ヶ谷戸庭園 |
府中市美術館から、国分寺駅に出ました。駅の近くに都立殿ヶ谷戸庭園があります。駅前の喧騒から、数分しか離れていないところにある庭園は、静かで落ち着く空間になっています。
1.殿ヶ谷戸庭園の沿革
もともとは、江口定條(さだえ)が大正2年(1913)にこの地に構えた別荘で、「随宜園(ずいぎえん)」と命名された。江口(1865-1946)は、土佐に生まれ、東京高等商業学校(現・一橋大学)を出て、三菱合資会社に入社する。同社の理事を経て、後に南満州鉄道の副総裁に就任し、さらに貴族院議員となった。
随宜園 の作庭を手掛けたのは、赤坂の「仙石」という庭師であった。ただ、現在、仙石の作庭の面影が残っているのは次郎弁天池のみとなっている。庭師「仙石」は名を仙石荘太郎といい、他にも、八芳園や高橋是清邸の庭園を手掛けている。(庭園跡は赤坂に高橋是清記念公園として残っている。建物は、小金井公園の江戸東京たてもの園に移築されている)。
昭和4年(1929)に、三菱合資会社の取締役であった岩崎彦彌太(久彌の長男、1895-1967年)が江口から別荘を買い取り、「国分寺の家」として親しむようになる。彦彌太は和洋折衷の主屋に建て替え、紅葉亭を新築するとともに、回遊式庭園を造った。設計は津田鑿 という三菱合資会社地所部営繕係に属していた技師による。これらの建物のうち、主屋は現在サービスセンターとして使われ、紅葉亭は茶会などに使われている。
庭園は、昭和40年代に周辺の開発計画に対し庭園を守る住民運動(後述)が発端となり、 昭和49年(1974)に東京都が購入し、整備後の昭和54年(1979)に都立公園として有料開放された。また、平成23年(2011)には国の名勝に指定された。
殿ヶ谷戸庭園・入口 |
青モミジ |
2.殿ヶ谷戸の自然
庭園は、国分寺崖線(ハケ)と呼ばれる段丘に造られており、そこから湧水が流れ出ている。殿ヶ谷戸の名はこの地が国分寺村殿ヶ谷戸という地名であったことに由来している。この殿ヶ谷戸の「谷戸」とは、丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形をいう。その谷戸と殿が結びついた地名だが「殿」の由来は不明。
本園は、国分寺崖線上にあり、谷戸の地形を活かし、崖面からの湧水と、武蔵野の面影のある植生が一体となって構成されている。庭園の最上部は、平坦で、広い芝生の西洋風庭園となっている。崖面の傾斜地には松やモミジが植えられ、さらに下には孟宗竹の竹林もある。崖下には湧水からの水をたたえる池(次郎弁天池)があり、その向かいの崖からは滝が流れ、上には茶室「紅葉亭」が建つという和風庭園を形成している。
江戸時代の代表的な庭園は「大名庭園」として、大きな庭石を配置し、池の周りを回遊して鑑賞する回遊式庭園が作られたが、明治以降は、自然の地形を活かし、広い芝生の空間を設けるなど、自然主義的な庭園が好まれた。ここ殿ヶ谷戸庭園は、自然の地形であるハケ(崖線)を活かした洋風庭園と、湧水を活かした池を中心とした和風庭園を巧みに折衷した庭園といえる。
ちなみに、岩崎家(三菱財閥系)の庭園としては、旧岩崎邸庭園、国際文化会館、清澄庭園、六義園、関東閣(一般非公開)、静嘉堂文庫(世田谷)などがあるが、このうち、旧岩崎家庭園、国際文化会館は植治こと小川治兵衛が作庭している。また、清澄庭園、六義園は元の大名庭園である。なお、静嘉堂文庫は、国分寺崖線の地形を利用した庭園である。
湧水口 |
滝 |
次郎弁天池 |
滝 |
紅葉亭 |
紅葉亭からの眺め |
3.殿ヶ谷戸を守る
昭和31年(1956)に国分寺駅南口が開設され、次第に都市化、商業化の波が押し寄せてきた昭和40年代には、国分寺駅南口の再開発の構想が出て、殿ヶ谷戸庭園もその波に押し流されそうになった。その防波堤となったのが「殿ヶ谷戸公園を守る会」であった。
会長には元東京芸大学長の上野直昭が就き、理事に元一橋大学長・増田四郎らが名を連ね、色川大吉、扇谷正造、串田孫一らが応援した。また、日本自然保護協会、日本野鳥の会および全国自然保護連合が後援に回った。都へ陳情した際の署名活動には、国分寺市民のみならず、大岡昇平(小説『武蔵野夫人』を書く)、木下順二、沢村貞子らも参加した。
こうした多くの文化人、住民のパワーによって、昭和49年(1974)に東京都がこの土地を購入し、公園として整備後し、昭和54年(1979)に都立公園として有料開放され、今も多くの人に都会の中のオアシスとして利用されている。
参考:
「都立殿ヶ谷戸庭園ー守られた別荘庭園」菅井寅信 http://g.kyotoart.ac.jp/reports/273/
『殿ケ谷戸庭園』住吉泰男 東京公園文庫47 2007年
藤棚 |
岩崎家時代からあるフジの古木 |
孟宗竹 |
竹林 |
馬頭観音 |
シライトソウ |
シャガ |
スズラン |
殿ヶ谷戸庭園は、国分寺駅のすぐ近くにあり、紅葉の名所ともなっています。しかし、ここも一時は取り壊されそうになったのを、地元住民、文化人が「守る会」を結成し運動を起こしたことによって守られたということです。いまも、多くの歴史的、文化的遺産が都市開発の名目で取り壊されそうになっています。たとえば、明治神宮外苑再開発については、世界的な音楽家・坂本龍一さんが、亡くなる直前まで「100年かけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々。未来の子どもたちへ手渡せるよう…」と反対を訴えていました。
殿ヶ谷戸庭園を訪れ、都会に住むにあたって、何が大切なのか、歴史、自然、文化を守るとはどういうことなのか、あらためて考えさせられました。
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