會津八一記念博物館 |
早稲田大学のキャンパスに會津八一記念博物館があります。ここには會津八一コレクションをはじめ、多くのコレクションが所蔵されていて、東洋美術・近代美術・考古学などの企画展を観ることができます。記念館に所蔵されている作品等と、訪れたときの企画展を別にまとめてみました。
(参照):
東京異空間161:早稲田大学キャンパス(2023.12.2)
1.會津八一記念博物館
(1)會津八一(1881-1956)
會津八一は、東京専門学校(早稲田大学の前身)に入学し、坪内逍遥や小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)らの講義を聴講した。 後に早大教授となり「東洋美術史」等を講じた。奈良の仏教美術にひかれ、ひらがな書きの万葉調短歌(歌集『鹿鳴集』)を詠んだ歌人でもある。會津は「実物尊重の学風」から、博物館の設立を希望するも叶わず、1998年に図書館としての役目を終えた2号館を博物館として再生・開館することになり、會津の長年の夢がで実現することとなった。
(2)今井兼次(1895-1987)
当初の図書館の建築は今井兼次による設計で、1925年に完成した。
今井は、早稲田の建築学科を卒業、母校の教授を長く務め、手がけた建築作品は少ないものの、教育者として研究室から優れた建築家、研究者を多数輩出した。また、昭和初期にガウディを日本に知らしめた。
同じくキャンパス内にある坪内博士記念演劇博物館も設計している(1928年設立)。
會津八一記念博物館(旧図書館)模型 |
會津八一記念博物館・正面 |
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坪内博士記念演劇博物館 |
2.館内・コレクション
會津記念館には、會津が収集したコレクションをはじめ、校友から寄贈されたコレクションなど、東洋美術・近代美術・考古学を主要な対象領域として5万件もの作品・資料を収蔵している。
これらのコレクションをもとに企画展が開催されている。訪れたときには、次のような企画展が開かれていた。
(1)「《羅馬使節》―東西の融和の美」
前田青邨(1885-1977)の大作《羅馬使節》が展示されていた。《羅馬使節》は昭和2(1927)年に早稲田大学に画家自身によって寄贈された。 天正遣欧少年使節の正使・伊東マンショとされる少年が描かれており、制作にあたり参考としたという、イタリアのゴッツォリ《マギ(東方三博士)の旅行》(フィレンツェ、パラッ ツオ・メディチ礼拝堂) の写真などもあわせて展示されていた。
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《羅馬使節》 |
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ゴッツォリ《マギの旅行》 |
(2)大社コレクション
大社(おおこそ)コレクションとして近代絵画等が展示されていた。これらは、法学部名誉教授大社淑子と玲子姉妹によるコレクションで、2018 年に寄贈された。
(3)「館佛三昧」~會津コレクション
(4)「禅書画 かたちともじ」~富岡重憲コレクション
この二つのコレクションの企画展は写真撮影が可となっていて、別にまとめることにする。
(5)館内の彫刻等
館内には、大階段を飾る横山大観・下村観山の大作《明暗》をはじめ、彫刻作品も置かれている。
《女》 萩原守衛(1910年)
“東洋のロダン”と呼ばれた彫刻家・荻原碌山(1879-1910)の作品。 高さ98cmのブロンズ彫刻で、二階の階段脇に置かれている。。わずか30歳でこの世を去った荻原碌山の遺作であり、日本近代彫刻の幕開けと言われる作品である。「女」の石膏の原型は、明治以降の彫刻としては最初の重要文化財に指定されている。
この像は何かに捕らわれているかのようにしっかりと後ろで両手が結ばれ、跪きながらも立ち上がろうとし、天に顔を向けている。
《女》 萩原守衛 |
《女》 萩原守衛 |
《彳(たたず)む女》木内五郎(1929年)
木内五郎(1898-1954)は、1898(明治31)年東京向島に、木内半古の五男として生れた。祖父の代から木工、とくに木象嵌をもって一家をなしていた。
1912(明治45)年早稲田中学へ進み、英語教師として教鞭を執っていた會津八一の教えを受ける。その後、東京美術学校彫刻科へ入学し、本格的に彫刻の道を歩み始める。
1929(昭和4)年の作《彳む女》は、五郎31歳、1929(昭和4)年の作で、新進作家として最も充実した時の作とされる。
《彳む女》は、1930(昭和5)年に館蔵され、ホール階段脇に飾られ、図書館を訪れる人々に親しまれてきたという。 たが、収まった詳しいいきさつは不明である。
《彳む女》木内五郎 |
《彳む女》木内五郎 |
《彳む女》木内五郎 |
《執金剛神》岡崎雪聲(1892年)
1893年のシカゴ万博の出品作で、大隈重信の旧蔵品である。 岡崎雪聲(1854-1921)は、高村光雲が原型を作った楠木正成像(皇居外苑)や西郷隆盛像(上野公園)の鋳造を行っている。この作品の原型作者は不明。
執金剛神(しゅこんごうじん)とは、仏教の護法善神で、金剛杵を執って仏法を守護するため、この名がある。
足元に巻き付く龍とそれを目がけ剣を振り下ろそうとする鋭い目がぶつかり合う姿に目を奪われる。
《執金剛神》 |
《執金剛神》 |
《執金剛神》 |
《執金剛神》 |
《明暗》横山大観・下村観山(1927年)
図書館として建築された当時、総長・高田早苗の依頼により、横山大観、下村観山の合作として制作された。漆黒の暗雲の中から日輪が上がる瞬間を描いたこの大作は、観山が太陽に象徴される「明」を、大観が「暗」をあらわす雲煙を描いた。
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《明暗》横山大観・下村観山 |
(続く)
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