| 横尾忠則《宮崎の夜 眠れない家》 |
先に細江英公《薔薇刑》をとりあげましたが、これは三島由紀夫と横尾忠則の3人の合作と言ってもいいのではないでしょうか。そこで、今回は、横尾忠則の作品を観ていきたいと思います。作品は、東京国立近代美術館のコレクション展に展示されていたものです。
横尾の作品としては、昨年、上野の東京国立博物館・表慶館で行われた横尾忠則《寒山百得》を観ています。
(参照):
東京異空間186:「横尾忠則 寒山百得」展@東京国立博物館・表慶館(2024/3/13)
1.横尾と三島の出会い
1965年、まだ無名であった横尾が日本橋で開いた個展会場に、三島が訪れ、一枚の絵の前に立ち尽くした。三島がその場を離れないことから、横尾が進呈を申し出た。三島は自宅の書斎にそれを飾った。その作品が《眼鏡と帽子のある風景》である。三島は、横尾の作品について次のように述べている。
「横尾忠則氏の作品には、全く、われわれ日本人の内部にあるやりきれないものが全部露呈していて、人を怒らせ、怖がらせる。何という低俗のきわみの色彩であろう。(中略)なんという無礼な芸術であろう。このエチケットのなさ」(『横尾忠則遺作集』序)
一見すると、三島は横尾の作品を「無礼な芸術」と批判しているような言葉だが、実のところ、横尾の作品が持つ、既存の権威や常識を無視した鮮烈な表現を「無礼」という言葉で肯定的に捉えている。
この出会い、作品の肯定的評価から、横尾と三島の親交が始まった。
2.横尾の作品
展示されていた横尾の作品を、その手法別にみてみる。そもそも横尾はグラフィックデザイナーとしてスタートし、その後、ニューヨーク近代美術館で開かれたピカソ展を観て「画家宣言」をした。
(1)絵画・Y字路
横尾の絵画作品と言えば、Y字路を描いた絵がよく知られている。これは、横尾の故郷である西脇市のY字路の写真懐かしい場所を撮ったはずの写真が、見知らぬ風景に見えたことをきっかけに始まった、その後シリーズとなり150点以上の作品が描かれた。Y字型の三叉路を中心に置く構図は共通だが、いくつもの描法を使用し多種多様なバリエーションで描かれる「Y字路シリーズ」は、横尾の代表作とされる。
《宮崎の夜 眠れない家》2004年
このY字路のイメージは公募から選ばれた写真から引用され、飲食店の看板が並ぶ左手の道と、電飾のついたヤシの木が並ぶ右手の道は、どこへ続いているのか、現実離れした不穏な赤色も相まって虚実がない交ぜになった空間が表れている。
《かざぐるま2004》2004年
かざぐるまが一定のパターンで回転しながらも常に動き、変化している様子は、横尾の制作姿勢である「反復と変化」を視覚化したものとされる。
(2)コラージュ・《見えざる助力者》1989年
横尾にとって、コラージュとは、単なる手法を超えて、「生きることそのもの」と言うほど芸術の根幹をなす思想的な柱となっている。
「見えざる助力者」というタイトルは、文字通りには画面に描かれていない、あるいは物理的な形を持たない支援や影響力の存在を示唆している。
| 座っているのは横尾本人 |
(3)シルクスクリーン・《風景》など
シルクスクリーンは、絹の網目を利用した版画の一種であり、グラフィックデザイナーとしてスタートした横尾にとって重要な手法であった。
《風景》№1女の子 №3お葉さん №16自画像 №17入れ墨男 シルクスクリーン1969年
| №1女の子 |
| №16自画像 |
| №17入れ墨男 |
| №3お葉さん |
《責め場》シルクスクリーン 1969年
横尾は、1936年生まれですから、もうすぐ90歳を迎えることになります。にもかかわらず精力的な創作活動を続けています。最近作は、「横尾忠則 連画の河」(世田谷美術館)など、「連画」と呼ばれる連作群を発表しています。(「連画」は「連歌」からの発想)
そうした絵画作品だけでなく、他にも手がけた本の装幀は900点を超えています。また、朝日新聞の書評も続いています。これは、横尾の本のタイトル「本を読むのが苦手な僕はこんなふうに本を読んできた」とあるように、論理的な解説ではなく、直感的かつ独自の切り口での書評となっています。 取り上げるジャンルはアート系を中心に、創造の秘密、精神世界、さらには「死後の世界」まで260冊以上に上っています。
驚嘆する、この創造力、精神力は、どこからくるのでしょうか。

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