2023年10月16日月曜日

東京異空間149:芸術の秋にⅣ~ 杉本博司 書、形、時間・空間

 

Brush Impression「水」「火」「狂」

*杉本博司の肖像

杉本博司展@松濤美術館の本歌取りの作品などを観て来ましたが、4回目は書、形、そして時間・空間といった作品群を観ていきたいと思います。

1.書

(1)《Brush Impression》シリーズ

書における臨書を基に、写真暗室内で印画紙の上に現像液又は定着液に浸した筆で書いた新作を《Brush Impression》シリーズ として展示している。

杉本はコロナ禍を経て久しぶりに戻ったニューヨークのスタジオで、使用期限切れの印画紙を作品に活用できないかと考え、生まれた作品だという。暗室の中で、現像液や定着液に筆を浸し、一定時間印画紙を光に晒すと文字が浮かび上がってくる。

現像液を使用して描いたのは、「いろは歌(四十七文字)」である。杉本は「いろは歌」を「仏教の無常感を説いたものであり、日本文化の素晴らしさの象徴」だと語っており、「いろは歌」を書くことで自身の意識の源に立ちかえるとともに、反芻することを試みているという。

いっぽう、定着液を使用した書は、文字が白く浮かび上がる「月」「水」「火」「狂」の4文字。杉本は、文字の歴史をたどるとき、「絵が先にあり、言語が始まり、それを記録するために文字が必要とされた」と語る。会場にあるのは「月」「水」「火」「狂」の4文字。杉本はこれらの「文字の意味の発生現場」に想いを馳せながら描いたという。

なお、書家としての杉本のデビューは、NHKの大河ドラマ「青天を衝け」であった。番組のタイトルを揮毫してもらいたいという依頼に応じた。それは「青天の霹靂」だったと、おどけて言っている。ちなみに、この番組に杉本は揮毫依頼だけでなく、出演依頼も受けており、澁澤邸に床飾りのツボを持ち込む骨董屋というはまり役を演じている。

いろは歌(四十七文字)

いろは歌(四十七文字)

「月」

「火」

「水」

「狂」

(2)「お筆先」

Brush Impression」シリーズを書く試行錯誤の間に思い起こした作品の一つが、新宗教「大本」の開祖である 出口なおの書いた「お筆先」だったという。

出口なお(1837-1918)は56歳の時に神懸かり状態になり、奇行がみられた。神懸かりは続き、これをやめてほしいと神に懇願したところ、「ならば筆を執り、神の言葉を書くがよい」というお告げがあり、それまで文字を書くことができなかったなおは落ちていた釘で柱に神の言葉を書きつけた。これが後に「お筆先」になった。なおは没するまでの27年間で20万枚の半紙に書き残したという。

杉本は、神の言葉を聞くシャーマンの存在について、「人間が言葉を持つ前は神の言葉が聞こえていた」という仮説に関心を寄せ、「書」を通して「無意識」の領域へと思考を深める。 杉本は言う、「私には神の声はきこえてこない。狐憑きにもなれない。しかし、私の内の何かがその姿に木霊しているような気がする」と。

お筆先

お筆先

(3)フォトジェニック・ドローイング

展示室にはネガポジ法の写真の発明者として知られるタルボットのネガを反転させた「フォトジェニック・ドローイング」シリーズが展示されている。

ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット(1800-1877)は写真技術の先駆者の一人で、陰画(ネガ)を作り、そこから多数の陽画(ポジ)を焼き付けることを可能にするという現在の写真技術の原型である「ネガポジ」の技術を発明した。 彼が「自然の鉛筆」と呼んだ光で絵を描くという自分の技術を、当時は「写真」(photograph)ではなく、「フォトジェニック・ドローイング」(photogenic drawing) と呼んでいた。

これは、カメラを使用しない写真プロセスで、木の葉やレースを感光性のある紙の上に置き、太陽光で露光すると、光を受けた部分が黒に変化し、白と黒が反転したネガ像ができる。これを再び感光紙に密着させてポジ像をつくる という、いわば写真の原型である。

先に述べたように、杉本の屏風のもとになった姫路城や富士山の写真はデジタル技術を駆使して撮影されているが、それと対峙するかのように置かれたタルボットの作品は、いわば「写真に帰れ」という時間軸を示しているようだ。

日本の写真史においても、1930年代に「新興写真」という、カメラやレンズによる機械性を生かし、写真でしかできないような表現を目指した動向があった。シュルレアリスムなどの影響を受け、それまでのピクトリアリズム(絵画主義写真)とは異なる動きとして注目を集めた。これを思い起こすかのように、杉本の写真への挑戦は続く。

フォトジェニック・ドローイング・ネガ

フォトジェニック・ドローイング・ポジ(タルボット家の家庭教師とみられる女史)

フォトジェニック・ドローイング・レース

フォトジェニック・ドローイング・植物標本(ローズマリー)

(4)「Time Exposed

Brush Impression》シリーズでは、写真の原点ともいえるカメラを使わずに印画紙に直接、字を書いたが、こちらは代表作「海景」の時間経過とともに損傷した作品を「Time Exposed 」として展示している。そもそも杉本の写真の原点のひとつともいえる「海景」シリーズは、もはや写真史の代表作となっている。その「海景」シリーズは屋外で展示されている。一般に屋外展示は作品の劣化を呼ぶことから避けられているが、予想に反し、防水ケースに入れられた作品はほとんど劣化していないという。いっぽうで、防水ケースが壊れたりして作品が劣化、ダメージを受けたものもある。こうした作品にも杉本は美を見出し、時間の経過や環境により変化する過程をも楽しんでいる。むしろ、損傷した銀塩写真のこの錆びた色合いが海の潮風を感じさせる。

Time Exposed

Time Exposed「アドリア海」

Time Exposed「南太平洋」

Time Exposed「地中海」


(5)「死者の書」、「楔形文字」

杉本が収集したシュメール朝時代の「楔形文字」や古代エジプトの「死者の書」断片(軸装)なども展示されている。これは古代人の文字の原点であり、人間の意識や言語の発生を探求する杉本の思考、美意識の跡が見て取れる。

先に観た建築家・白井晟一の書「瀉嘆」の掛軸の前に置かれているのが、粘土板に刻まれた楔形文字。シュメール人が残した紀元前3400年にまで遡ることができる、人類史上最も古い文字である。

死者の書

「死者の書」の軸の下に置かれている「青銅製猫の棺」

「瀉嘆」の掛軸の前に置かれている楔形文字

粘土板に刻まれた楔形文字
*11月9日再訪による追加
*軸棒に青銅

*「死者の書」

2.形(Forms)

(1)「数理模型 025 クエン曲面:負の定曲率曲面」

難解な数式をもとにつくられた数理模型など不思議な形(Forms)が、杉本ワールドに展開している。

この数理模型は、数学の数理曲線を三次元の形にして見えるようにした模型である。数理模型は19世紀のドイツで作られ、明治時代に東京大学にも伝わっているという。当時は石膏で作られたというが、現代日本の精度の高い工作機械により、さらに高精度な数理模型(ステンレス スチール)を制作した。中でも「クエン曲線」というのは、もっとも制作が難しいとされる。

数理模型 025 クエン曲面

数理模型 025 クエン曲面
*数理模型 025 クエン曲面

(2)「眼科医の証言」

不思議な形として、検眼鏡一式が置かれている。検眼鏡の眼鏡がかけられているのは、紀元前1500年のエジプトのミイラの眼である。歴史そのものを検眼しているという意味を込めているという。軸装されている写真は杉本自身の肖像であり、「歪曲的宙感」と題されている。

眼科医の証言

検眼鏡一式


ミイラ棺の眼

「歪曲的宙感」杉本博司の肖像

「歪曲的宙感」の軸装

(3)「天児屋根命」

この古作面は、春日大社第三殿に祀られ、天岩戸神話にも登場する天児屋根命(あめのこやねのみこと)の古面とされる。天児屋根命は、天照大神が天岩戸に隠れたとき占いを行い、祝詞を唱えた神である。この面は非常に珍しく類例がないとされる。

古作面「天児屋根命」
*古作面「天児屋根命

(4)「叫ぶ女」、「石鏃」

縄文時代中期(紀元前3000-2000年)の土偶である。古代人のこうした形に、アートの起源を求める。杉本によれば、「アートの起源は人類の起源と時を分ち合う、それは人間の意識の発生をもってその始源とするからだ」という。

また、石鏃といった日本の縄文時代の石器と中央サハラ砂漠より出土した新石器時代のものも並べられ、これらも文明史の探求の一つとされる。杉本は言う。「写真を使って人間の時間意識を探求の対象にしてきた。そこから出発して化石収集にも乗り出した。なぜなら化石は写真と同じ時間の記録装置だからだ。」

叫ぶ女

叫ぶ女

叫ぶ女

石鏃


*「叫ぶ女」

3.時間と空間

時間の性質や人間の知覚、意識の起源は、杉本が長年追求してきたテーマである。 杉本が収集 してきた古今東西の考古物、古美術品などと、自身の写真作品を関連づけ、編集、構成する展示を行い、2003年から「歴史の歴史」として表現してきた。

(1)「時間の間(はざま)」

「時間」を重要なテーマの一つとして初公開されている作品が「時間の間」である。中の文字盤は、1976年に杉本が古い電気時計を分解してシャガール風の絵を描いたものだという。それ以来、数十年の間スタジオの地下室に眠っていたものが近年発見され、今年、南北朝時代のものと思われる春日厨子にはめ込んで作品化した。そうした時間の流れの「間(はざま)」を楽しんでいる作品だ。

時間の間(はざま)

(2)「時間の矢」

また、杉本の代表作である「海景」の写真を、舎利容器に収めた作品が不思議な神秘さを漂わせて展示されている。この容器は、「火焔宝珠舎利容器残欠」とされ、鎌倉時代のものだという。舎利容器とは、仏教において釈迦の遺骨とされる舎利を、実際には美しい石粒などを収めた容器をいう。容器はガラス、水晶、金などで作られている。

釈迦の遺骨→舎利容器→「海景」→写真作品→展示といった時間の物差しは、ゆっくりと流れていた古代の時間から急速に加速しながら現在に向かって流れて来る。昔、千年かかった変化が、今は数十年で達せられてしまう。そんな「時間の矢」は今も加速を続けているという。

時間の矢

時間の矢

(3)「宙景」

「時間」とともに重要なテーマとなっているのが「空間」である。

最新作の「宙景」は、JAXA、ソニー、東大の共創プロジェクト「STAR SPHERE」の一環で打ち上げる人工衛星に、最初のアーティストして杉本が選ばれた。杉本の希望で衛星にソニーのカメラを搭載してくれるという。杉本は、三島由紀夫の「豊饒の海」から月の海を撮りたいとしたが、月の軌道に乗せるのは費用が掛かり過ぎるということで地球の周回軌道に乗せることになった。そこで、杉本の指示に従って、人工衛星に取り付けた小型カメラで地球の姿を撮影した。それが「宙景」と題された漆黒の宇宙と円弧を描く青い星が画面を二分する作品だ。これは、「海景」シリーズになぞらえた構図で、宇宙から見た「地球の海」である。「海景」では水平線が画面を上下に二分割するが、「宙景」では、当然ながら海の輪郭は湾曲している。それは、地球圏外から見た新たな海景=空間である。

宙景

(4)ギベオン隕石

「宙景」の軸の手前には1838年に発見されたギベオン隕石が置かれている。このギベオン隕石は、現在のナミビアで発見された隕石で、約45千万年前に地球に落下したと考えられている。 「海景」から「宙景」と、地上の視点、宇宙からの視点を行き来し、また実際に物質的な手触りを感じさせる隕石と共に展示することで、「地球」あるいは「宇宙」への想像的空間が膨らむことになる。

そして、隕石の時間軸は太陽系の時間である。ギベオン隕石は隕鉄とも呼ばれ、ほとんどが鉄だが、微量の鉛が含まれており、この放射年代測定により、太陽系の時間軸が解明され、地球の年齢は46億年とされたという。

石器時代が約200万年前、さらに人類の出現は約700万年前、そして生物の化石時代が6億年前、その時間軸を大きくさかのぼって地球の誕生46億年前まで、そうした時間軸、空間軸を行き交うのが杉本の作品群であるといえる。

「宙景」とギベオン隕石

ギベオン隕石、敷板は東大寺伝来の天平時代のもの

*ギベオン隕石

*「宙景」とギベオン隕石

今回の展示は、おそらく杉本の意向もあってでしょうが、すべて撮影可能でありました。おかげで撮ってきた写真を見、また調べることにより、その作品の奥深さ、スケールの大きさをあらためて実感することができました。拙ブログも「東京異空間146:芸術の秋にⅠ」から「東京異空間149:芸術の秋にⅣ」と4回にわたりみてきました。充実した秋の芸術になりました。

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