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原田直次郎《騎龍観音》1890年 |
竹橋にある東京国立近代美術館に行ってきました。ここでは企画展として「ハニワと土偶の近代」(2024.10.1~12.22)が開かれていますが、観たのは、所蔵作品である
「MOMATコレクション」です。こちらは、ほとんどの作品が写真撮影可であるのがうれしいところです。
教科書にも載るような有名な作品をはじめ、明治から現代までの数多くの作品が展示されています。印象に残った作品を、ほぼ時代順に、1.近代美術(明治~戦前)2.戦争画(戦中)3.現代美術(戦後)として整理してみました。
1.近代美術(明治~戦前)
(1)絵画
明治に入り、西洋絵画のインパクトが大きかった。洋画だけでなく、日本画においても洋風表現を取り入れた。ここでは、日本的題材を油絵で描いた原田直次郎、日本画の伝統を引き継ぎながらも西洋に目を向けた渡辺省亭を取り上げてみた。
原田直次郎《騎龍観音》1890年
原田直次郎(1863-1899)については、すでに「護国寺と原田直次郎」でとりあげた。というのも、この《騎龍観音》は、原田が護国寺に奉納したもので、護国寺の所蔵であったのを近美に寄託している作品である。
(参照):
東京異空間77:護国寺と原田直次郎(2323.1.5)
https://masayoshi1009.blogspot.com/2023/01/77.html
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原田直次郎《騎龍観音》1890年 |
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原田直次郎《騎龍観音》1890年 |
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原田直次郎《騎龍観音》1890年 |
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原田直次郎《騎龍観音》手に赤子を握る |
渡辺省亭
《雪中鴛鴦(えんおう)之図》1909年
渡辺省亭(1852-1918)は、明治時代から大正時代にかけての日本画家で、洋風表現を取り入れた洒脱な花鳥画を得意とした。
パリ万博(1878年)に出品するなど、省亭の作品は当時の来日外国人に好まれ、多くが海外へ流出した。これまで美術史においては忘れられた存在であったが、2010年頃から再評価されるようになった。
《雪中鴛鴦之図》は、伊藤若冲の「動植綵絵」のひとつ「雪中鴛鴦図」を省亭風に翻案した作品で、当時としては、ほとんど評価されていなかった伊藤若冲を高く評価していたことも特筆される。
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渡辺省亭 《雪中鴛鴦之図》1909年 |
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渡辺省亭 《雪中鴛鴦之図》1909年 |
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渡辺省亭 《雪中鴛鴦之図》1909年 |
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渡辺省亭 《雪中鴛鴦之図》1909年 |
アンリ・ルソー《第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神》1905-06年
アンリ・ルソー(1844-1910)は、フランスの素朴派と言われる画家。
アンデパンダン展は、無審査・無賞・自由出品を原則とする美術展であり、1884年にパリで初めて開催され、その後、世界中に広がった。
ルソーは、審査のあるサロンには落選したが、1886年から審査のないアンデパンダン展に出品を始め、同展には終生出品を続けている。
自由の女神が青空に舞うこの作品は、アンデパンダン展の「自由」を祝福する絵画である。
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アンリ・ルソー《第22回アンデパンダン展》 |
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アンリ・ルソー《第22回アンデパンダン展》 |
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アンリ・ルソー《第22回アンデパンダン展》 |
和田三造《南風》1907年
和田三造(1883-1967)は、1901年、東京美術学校に入学し、その後、帝展などに入選するなど、この時代の代表的画家のひとり。
和田は、1902年(明治35年)、八丈島への渡航途上、暴風雨に遭い漂流ののち伊豆大島へ漂着しており、これが『南風』制作の契機となったという。
中央の男性は、日本人離れをした筋肉隆々の体つきで、理想的人体を描こうとする西洋絵画のアカデミズムの思想が、しっかりと浸透していたことがわかる。描かれるのは遭難した船乗りたち。遭遇しながらも船乗りたちの勇壮な姿は、日露戦争後の高揚した気分に呼応したという。
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和田三造《南風》1907年 |
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和田三造《南風》1907年 |
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和田三造《南風》1907年 |
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和田三造《南風》1907年 |
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和田三造《南風》1907年 |
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和田三造《南風》1907年 |
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和田三造《南風》1907年 |
中沢弘光
《夏》 1907年
中沢弘光(1874-1964)は、洋画家、版画家、油彩画家、挿絵画家。なお、中沢は、1939(昭和14)年、陸軍美術協会の発起人の一人であり、戦争画も描いている。
この作品をみると、クロード・モネの
『散歩、日傘をさす女性』(1875年)を思い浮かべるだろう。この時代、西洋絵画を積極的に受容していたことがわかる。
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中沢弘光 《夏》 1907年 |
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中沢弘光 《夏》 1907年 |
岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年
岸田劉生(1891-1929)は、洋画家として、多くの「麗子像」を描いたことでもよく知られている。
(切通之写生)とあるように、劉生が当時住んでいた代々木付近の光景を描いた作品。この作品が制作された年に、明治神宮と諸参道の造営工事が始まり、その後この辺りは住宅地として開発されていく。
この切通しは、神宮造営工事の過程で、高所を通る西参道と、宅地化する低地を走る細道を結ぶために、台地を掘り起こして生まれた坂なのだという。
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岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 |
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岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 |
以上の作品のうち、原田直次郎《騎龍観音》1890年、和田三造《南風》1907年岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年は、重要文化財指定となっている。
(2)版画:谷中安規の世界
谷中安規(1897-1946)は、若い時から転居を繰り返し、貧乏を友としながら、着るもの食べるものに無頓着であったことから、内田百閒から「風船画伯」のあだ名をつけられていた。終戦の翌年、誰にも看取られることなくバラックにて栄養失調で餓死したという(49才)。
安中の作品には、ビルや飛行船、映写機などの近代都市のイメージと、龍や虎、魔物といった説話的イメージが混在し、光と影のコントラストのなかで、夢とも現実ともつかない幻想的な世界が広がる。1935年頃からは、重苦しい現実社会から逃れるかのように、外界のイメージが後退し、天真爛漫な子供や動物が遊ぶユートピア的な世界が立ち現れてくる。
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《裸の舞》 製作年不詳 |
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《裸の舞》 製作年不詳 |
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《夢の国の駅》 1932年 |
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《月》 1932年 |
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《影絵芝居 第一景 死魔の花を培ふ人は今日も、不思議 な花を育てて暮らす》 1932年 |
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《青春の墓標》 1933年 |
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《青春の墓標》 1933年 |
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《青春の墓標》 1933年 |
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《自転車 B》1932年 |
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版画集(裏表紙) 《ロケーション》1933年 |
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版画集(裏表紙) 《ロケーション》1933年 |
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版画集8《 花は花》 1933年 |
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版画集8《 花は花》 1933年 |
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《幻想》 1937-39年 |
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《ロケーション》 1937-39年 |
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《ロケーション》 1937-39年 |
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《春の自転車》1937-39年 |
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《童子騎虎》1939年 |
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《童子騎虎》1939年 |
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《童子図・鷲》 1937-40年 |
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《童子図・鷲》 1937-40年 |
<追加>1932-1939年
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宴 |
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宴 |
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少年時代 |
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自画像 |
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自画像 |
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影絵芝居 第六景 何処へ行く |
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街の本(ムーラン・ルージュ) |
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版画集6一族の長 |
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版画集5 冥想氏 |
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春夜 |
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龍を撃つ |
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レコードと蓄音機 |
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母と子 (自転車) |
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竜の夢 (ドラゴンズドリーム) |
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闘牛 |
(3)彫刻
朝倉文夫
《墓守》 1910年
朝倉文夫(1883-1964)については、谷中にある朝倉彫塑館を訪ねて、その作品などを観てきた。
(参照):
東京異空間202:谷中を歩く1~朝倉彫塑館(2024.5.29)
https://masayoshi1009.blogspot.com/2024/05/202.html
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朝倉文夫 《墓守》 1910年 |
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朝倉文夫 《墓守》 1910年 |
竹内久一
《達磨之像》
1911年
竹内久一(1857-1916)は、江戸に生まれ、最初、象牙彫刻を学ぶが、奈良・興福寺の古仏像に感銘を受け、木彫彫刻に転向するきっかけとなる。その後、奈良に古社寺調査に訪れた岡倉覚三(天心)、アーネスト・フェノロサの道案内をすることとなり、運命の出会いを果たした。岡倉に協力して1889(明治22)年に東京美術学校が開校すると、久一は彫刻科の教師となり2年後に教授に任命される。仕事はおもに古彫刻の模刻と修復
であったが、伝統的な仏像等の姿を近代的に解釈して創作した。日本近代彫刻の父といわれる。
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竹内久一 《達磨之像》 1911年 |
(4)工芸:ルネ・ラリック
ルネ・ラリック(1860–1945)は、ジュエリー作家からガラス工芸家となり、ガラス・アート、香水ビン、花瓶、宝飾品、シャンデリア、時計などの工芸作品を制作した。
日本との関係では、1932年に旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)のガラスの扉やシャンデリアなどを製作している。
ルネ・ラリック《香水瓶》
ルネ・ラリック《カーマスコット》カーマスコットとは、当時のクルマのボンネットの鼻先にあったラジエータキャップにとりつける装飾のこと。
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ルネ・ラリック 立像 泉の精 タリア 1924年 |
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旧朝香宮邸・ガラス窓 |
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旧朝香宮邸・ガラス窓 |
<追加>
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ルネ・ラリック《香水瓶》 |
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ルネ・ラリック《カーマスコット》 |
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ルネ・ラリック 立像 泉の精 タリア 1924年 |
<続く>
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