目黒区美術館を出て、目黒川に沿って歩き、行人坂にある大圓寺に寄ってきました。ここは2022年にも訪れています。たくさんの石仏があるので仏像好きには見所一杯のお寺です。
(参照):
1.目黒川沿い
目黒川沿いは、春は桜並木で知られるが、いまは緑が美しい。歩いて、行人坂に出る。
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目黒川 |
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公園にある「めぐろ平和の鐘」 |
2.大圓寺
行人坂の名は、大圓寺を拠点にする修験道の行者が、この坂道を往来したことから付けられという。大圓寺は、寺伝では、1624(寛永元)年、出羽湯殿山の修験僧が大日如来を本尊として道場を開いたのが始まりとされる。1772(明和9)年、寺より火を発し、江戸市中に延焼した。江戸三大火事の一つになり、行人坂火事(明和の大火)といわれる。そのため幕府から再建の許可が得られず、幕末、1848(嘉永元)年になって薩摩藩島津氏の菩提寺として、ようやく再興された。
境内の釈迦堂には釈迦如来立像、本堂には、十一面観音立像と大黒天像、阿弥陀堂には阿弥陀三尊が祀られている。そのほか、多くの石仏が境内にはある。
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大圓寺山門 |
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大圓寺境内 |
(1)水子供養地蔵群
山門を入って右手には水子供養地蔵群がある。錫杖を持った地蔵菩薩は、子供たちを鬼から救い成仏できるように見守る。寛政5年(1793年)、松平定信が回向院に建てた水子塚がはじまりとされる。
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水子地蔵 |
(2)五百羅漢石仏群
江戸の三大大火の一つといわれる行人坂火事(明和の大火、1772年)は、この大圓寺が火元と言われ、石仏群は大火の犠牲者を供養するために、石工が50年という歳月をかけて完成したという。中央に釈迦三尊、その周辺を囲んで十六羅漢、十大弟子像、その全てを取り巻くように五百羅漢像が置かれている。
その数、520躯(釈迦三尊像
3躯、十大弟子像
10躯、十六羅漢像
16躯、五百羅漢像491躯)。
(3)
とろけ地蔵
石仏群の手前、本堂横に顔や手が溶けたような、一体の異様な地蔵が立っている。この地蔵は「とろけ地蔵」と呼ばれ、大火の際、お地蔵様を焼失から守るために川に投げ入れたところ、品川まで川を流れて漁師の網に引っかかって引き上げられたものという。悩み事を「とろけ」させて消してくれる、お地蔵様として信仰されてきたとされる。
(4)七福神石像
本堂の脇に七福神が置かれている。恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁財天の七体の像である。
大圓寺は、江戸城裏鬼門の方角になるため、五穀豊穣を司る大黒天を祀ることによって江戸の安泰を護るということから、本堂と釈迦堂に大黒天が祀られている。
(5)薬師如来像
本堂の右側に、金色に輝く薬師如来像がある。薬師如来は病気を治し、健康を授ける仏として信仰される。この像に、自分の体の悪いところと同じ箇所に金箔を貼ることで、薬師如来が治してくれると信じられている。
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阿弥陀堂 |
(6)十一面観音像
本堂には、木造十一面観音立像は本堂に安置されているが、秘仏となっている。そこで、
お前立のように本堂前に十一面観音の石像が置かれている。
十一面観音は、衆生のあらゆる苦しみを取り除き、救済するために、様々な姿に変化するとされている。
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本堂 |
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本堂 |
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本堂 |
(7)八百屋お七・吉三の石碑
大園寺は、八百屋お七・吉三にゆかりのお寺ということで、石碑が建っている。
八百屋お七の話というのは、お七という八百屋の娘が大火で寺に一時避難した時、寺の小姓であった吉三と恋人同士になった。お七は恋人・吉三に会いたい一心で、また火事になればという思いから、放火を起こし、火刑に処せられた。残された吉三は、出家し、西運という僧となり、大圓寺の下にあった明王院(明治に廃寺となり大圓寺に移される)でお七を供養したという話である。井原西鶴『好色五人女』
などによって広く知られる。
石碑には、その西運上人の姿が刻まれている。
また、西運は、修行として通りの人々から報謝を得て、その資金で太鼓橋を石造りしたともされる。
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八百屋お七・吉三の石碑 |
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行人坂敷石造道供養碑 |
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行人坂敷石造道供養碑 |
(8)目黒川架橋供養勢至菩薩石像
大園寺の横にある勢至菩薩は、「目黒川架橋供養勢至菩薩像」として区の文化財に指定されており、、やはり、西運が報謝を得て架橋したという説明がある。
1704(宝永元)年に造られた
勢至(せいし)菩薩は両手を合掌し、片膝を立てて座っている。
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勢至菩薩 |
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江戸時代の太鼓橋(歌川広重『江戸名所百景』1857年) |
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現在の太鼓橋(画面奥 ) |
(9)道祖神
双体の道祖神で、猿田彦大神と天鈿女命(アメノウズメ)が刻んであり、微笑ましい。道祖神は、路傍の神で、村の境界や道の辻、三叉路などに立ち、疫病や悪霊が入ってくるのを防ぐとされる。のちには縁結びの神、子孫繁栄、旅行や交通安全の神として信仰されている。
長野の安曇野には、こうした道祖神が多くみられる。
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長野・安曇野の道祖神(2018年9月撮影) |
(10)庚申塔
庚申塔には、「申」は干支で猿に喩えられることから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られることが多い。三猿というのは、漢語の「不見、不聞、不言」を訳したものが、8世紀ごろに天台宗の教えとして伝わったとされている。
(参照):庚申塔についてはこれまでも取り上げている。
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珍しい有性の三猿。向かって右から不見猿(牡)、不聞猿(牝)、不言猿(牡)。 |
(11)観世音菩薩
観世音菩薩は、人々の苦しみを聞き、それを救済するために様々な姿に変身するといわれる。その姿は、六観音や三十三観音として表され、また、阿弥陀如来の脇侍として、勢至菩薩と共に信仰されることもある。
お堂の中に立つ観音様のお姿は美しい。
(12)六地蔵
六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天道)のそれぞれにあって衆生の苦しみを救う6体の地蔵菩薩。
ここに置かれている地蔵たちは、いかにも可愛い姿だ。
(13)仏頭と狛犬
境内の奥に置かれている仏頭と狛犬の頭、仏頭は、臼杵石仏の大日如来によく似ている。臼杵の石仏群は国宝となっているが、なかでもよく知られていたのが大日如来の仏頭で、、約300年前に胴体から落ちたといわれ、これまで胴体の前に仏頭だけが置かれていた
。それが、1994(平成6)年に元の姿に戻された。
もうひとつの狛犬の頭は、目黒不動尊・独鈷の滝にある獅子・狛犬と対をなし、1654年に奉納されたものだという。今は、ここ大圓寺に頭だけが置かれているが、肝心の胴体は目黒不動尊にあるという。この狛犬の頭も、臼杵の仏頭のように、いずれ元に戻るのだろうか。
臼杵には、2017年10月に訪れている。
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仏頭と狛犬の頭 |
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仏頭 |
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臼杵石仏・落ちている状態の頭部 |
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臼杵石仏(2017年10月撮影) |
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臼杵石仏(2017年10月撮影)
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臼杵石仏(2017年10月撮影)
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狛犬頭部 |
大圓寺には、さまざまな石仏などがあり、そこに江戸時代から続く、人びとの信仰をうかがうことができます。いまでも、この寺をお詣りする人は多いようです。