2025年3月29日土曜日

東京異空間292:大名庭園に春のおとずれ~池田山公園・自然教育園

 

池田山公園の池

2年前に、大名庭園を歩くというシリーズで池田山公園と自然教育園を取り上げましたが、今回もこの二つの庭園に行ってきました。3月の下旬でしたが、庭のあちこちで春を感じさせる草花を見ることができました。

(参照):

東京異空間121:大名庭園を歩く2~池田山公園2023/6/12

東京異空間122:大名庭園を歩く3~自然教育園2023/6/15


1.池田山公園

池田山公園は、1670年代以降、備前国岡山藩池田家の下屋敷があったところ。明治時代には廃藩置県により敷地は縮小されて池田侯の邸宅として使用されていた。大正末期以降にはここ一帯が宅地化され、都内有数の高級住宅地となった。その後、品川区が庭園を保存すべく土地を取得し、1985年に池泉回遊式庭園として開園した。

池や滝組から流れる水音とともに、モミジの若葉やヤマブキ、足元にはゼンマイのように巻いたシダなどが春を感じさせる。

池田山公園・入口


もみじ




滝組

クマザサと巨石




モミジの芽

ヤマブキ

シダ


2.自然教育園

自然教育園は、今から400500年前、室町時代に豪族の館として造られた。江戸時代には高松藩主松平家の下屋敷となり、明治時代になると陸・海軍の火薬庫、大正時代には白金御料地と次々に歴史を重ねてきた。この間、一般の人々は立ち入ることはできなかったため、この地に豊かな自然が残された。1949(昭和24)年に一般に公開されるようになった。

道の横に咲く小さな花々が春を感じさせる。

バイモ(貝母)

ムサシアブミ

ヤマルリソウ

ニリンソウ

フッキソウ(富貴草)

ツバキ


キブシ

土塁

イヌザクラの倒木

スダジイの巨木

アカガシ


3.白金どんぐり児童遊園地

自然教育園の隣にある児童遊園地。かつて国家公務員宿舎跡地であった国有地を港区が取得し、2006年に開園した。港区では最大の児童遊園となっている。

枝垂れ桜と雪柳のコントラストが春を感じさせる。

枝垂桜

枝垂桜と雪柳

枝垂桜と雪柳

枝垂桜


東京異空間291:福澤諭吉の墓の不思議~常光寺

 


福澤諭吉のお墓があった品川区上大崎の常光寺に行ってみました。「お墓があった」という回りくどい言い方をしましたが、いまは福澤のお墓は港区元麻布にある麻布山善福寺というお寺にあります。

何故でしょうか?福澤諭吉の墓にまつわる不思議を調べてみました。

1.葬儀と埋葬が異なる不思議

福澤諭吉は、 1901(明治34)23日、脳溢血のため東京で亡くなった、享年満66歳。

亡くなった日の5日後となる28日、 葬儀当日に柩が三田から福澤家の菩提寺でもある善福寺に向かい葬儀が執り行われた。慶應義塾の塾生を始め15000人もの会葬者が葬列に加わったそうだ。

しかし、葬儀が終わると柩は直ちに上大崎に向かい、白金大崎村(現在の品川区上大崎)にある本願寺に運ばれ、本願寺が管理する廃寺(正福寺)の墓地に埋葬された。この正福寺と合併したのが現在の「正福山常光寺」である。

葬儀と墓地が別のお寺、というのは、当時でもかなり珍しい不思議なこと。江戸時代に檀家制度(寺請制度)があり、檀那寺である善福寺に埋葬されるのが普通であっただろう。

2.埋葬された不思議

では、どうして常光寺に埋葬されたのだろうか。それは、諭吉が生前にその墓地を手に入れていたからだ。ここを選んだのは、高台にあり、周辺の眺望が良かったことから気に入ったとも、慶應幼稚舎を創立した諭吉の門下生*和田義郎の墓があったからとも言われる。

また、諭吉は土葬を希望していて、善福寺は土葬禁止の地区で、大崎は土葬が可能だったというのも墓所の選定理由だったという。

しかし、この辺りに多くの寺があるが、常光寺を含め、これらは増上寺の末寺であり、浄土宗のお寺である。いっぽう、菩提寺である善福寺は浄土真宗である。宗派にこだわらず墓地を選んだというのも不思議なことだ。

*和田義郎1840-1892

慶應義塾に学び、福澤の勧めにより、1874年に三田の自宅で年少の塾生を預かり 「和田塾」を開き、夫婦で教育を行った 。のちに「幼稚舎」と改称し、亡くなるまで舎長を務めた。

常光寺の入り口付近に福澤が自ら記した 和田の墓誌があり、その末尾は「親友福澤諭吉、涙を揮(ふるい)て之を記す」と結ばれている。

3.改葬された不思議

常光寺近辺は、増上寺の末寺が移転した浄土宗の9つの寺が集まる寺町になっている。諭吉が埋葬された常光寺は、本堂の建て替えに際して、墓の所有者は浄土宗信徒であることを条件としてしまったため、浄土真宗の福澤家は常光寺にお墓を持てなくなってしまった。その結果、福澤家は昭和52年(1977年)、墓を善福寺に移転し改葬することを決める。

なお、改葬にあたっては、1948(昭和23)年に制定された墓地、埋葬等に関する法律(墓埋法)に定められており、市区町村長の許可なく遺骨を墓地外に持ち出すことはできないことになっている。改葬ではなく、あるいは、浄土真宗から浄土宗へ宗旨替えという選択肢もありえただろう。いずれにしても、なぜ常光寺に墓を求めたのか、諭吉の選択に不思議は戻ることになる。

現在、善福寺には諭吉の墓があり、毎年23日の諭吉の命日「雪池忌(ゆきちき)」には、慶應の塾生やOBなど、相当な数の人が墓参りに訪れるという。いっぽう、常光寺の埋葬地跡には、慶應義塾の手により、建築家・谷口吉郎の設計による「福澤諭吉先生永眠之地記念碑」が建てられている。

4.屍蝋化された不思議

改葬することになり、諭吉が眠る墓の掘り返し作業数日間かけて実施された。まず2m掘ったところで、「福沢諭吉先生永眠之地」との銘が刻まれた石が出てきた。さらに地下3mの地点で、錦きん夫人の遺骨が出てきた。そして、地下4mの地点で諭吉の棺が見えた。棺を開け、関係者が中を覗き込むと、中は冷たい伏流水で満たされ、着物を着た諭吉が寝ていた。白骨化することなく、ついこの前に亡くなったかのような姿だったという。遺体はミイラというより、屍蝋(しろう)化していた。

土葬であったこと、また高台にあり、水温低い地下水に浸っていたことから、不思議なことに遺骸は埋葬時のままのほぼ完全な形で発掘された。この諭吉の遺骸を学術解剖や遺体保存の声もあったが、 遺族の強い希望で荼毘にふされ、善福寺に埋葬された。

〇福澤諭吉先生永眠之地記念碑








和田義郎の墓碑


〇常光寺





常光寺の福澤諭吉の永眠地を訪ね、いろいろな不思議をみてきましたが、まだ善福寺には参ったことはありません。機会がありましたら、訪れたいと思います。できれば「雪池忌」にでも。


2025年3月26日水曜日

東京異空間290-3:色とりどりの春の花3~黄色

日向水木

 

色とりどりの春の花3~黄色:サンシュユ・ミモザ・レンギョウなど

黄色が鮮やかなマンサク・サンシュユ・ミモザ・レンギョウ・ミズキ・ラッパズイセンなど。春には色とりどりの花が見られます。

(1)マンサク

マンサクにヒヨドリ


(2)サンシュユ






(3)ミモザ




(4)レンギョウ

白いのはユキヤナギ



5)ミズキ

日向水木(ヒュウガミズキ)は伊予水木(イヨミズキ)とも、土佐水木(トサミズキ)のほうが花が大ぶり。

日向水木

日向水木

日向水木

土佐水木


(6)ラッパスイセン




(7)その他

ドウダンツツジ

松のくねった幹

竹林

竹林



東京異空間327:あじさい5@近所周り

ガクアジサイ   関東も梅雨入りして、あじさいも一段と活き活きしてきたように見えます。そんな雨上がりのあじさいを撮ってみました。 あじさいは、日本原種のガクアジサイをもとに、いろいろな園芸種がつくられていて、近所を歩いてまわるだけでもたくさんの種類を見ることができます。似たよ...

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