2023年6月12日月曜日

東京異空間121:大名庭園を歩く2~池田山公園

 

池田山公園

山手線の五反田と目黒の間に池田山公園があります。ここは岡山藩の下屋敷があったところで、いまは、その一部が池田山公園となっています。

訪れたときは、池の周りに紫陽花と花菖蒲が咲き、美しい庭園でした。(紫陽花、花菖蒲については、拙ブログ「百花繚乱1~2:紫陽花、花菖蒲」に掲載しています。)

1.大名庭園・岡山藩下屋敷

江戸時代、岡山藩池田家は、上屋敷を今の丸の内に、中屋敷を丸の内と築地あたりに拝領していたが、明暦の大火(1657年)により屋敷を失った。そのため、新たに中屋敷を今の台東区に拝領したが、これも1668年の上野周辺の火事によって焼失してしまった。3代藩主・池田光政は、藩の重臣に新たに下屋敷の候補地を選定させ、上渋谷村と大崎村の2カ所にしぼり、大崎を下屋敷に決め、中屋敷の下谷邸(台東区)を返上し、大崎の下屋敷を拝領する願いを出した。また周辺の屋敷畑や菜園を所有していた藩から購入し、併せて1670年に下屋敷を下賜された。その後も敷地の拡張を図り、37,600坪余の「大崎屋敷」を所持していた。

屋敷は、南側が谷で、谷の奥の大きな池を中心にして庭園が造られ、目黒川を望む南端の高台には茶室「山ノ御茶屋」が建てられていた。また、邸内には御菜園と呼ばれる農園もあって、農産物は上屋敷、中屋敷に届けられ、さらに余剰品は販売もされていたという

明治になってからも、多くの部分を池田侯爵邸として使用していたが、大正時代末期から次第に宅地として開発、分譲され高級住宅地となっていった。戦後も、庭園部分は、私人の邸宅となっていたが、品川区が約7千平方メートル(約2100坪)を買収して整備を進め、1984年(昭和59)に池泉回遊式の庭園としてオープンさせた。

江戸切絵図に岡山藩池田家下屋敷をみると、いかに広大だったかがわかる。しかしながら、江戸時代には3万7600坪あった敷地に対し、現在の池田山公園は約2100坪と桁違いに小さくなっている。なお、周辺にある目黒川の流れも昔のままであり、目黒不動、大圓寺等は今もある。

江戸切絵図「岡山藩池田家下屋敷周辺」

参考:

東京トリップ https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk0378/

2.池田山公園

池田山は淀橋台(下末吉段丘*)と呼ばれる武蔵野台地の一画で、庭園は、この谷地形の高低差を利用しており、斜面の上から池を眺める景色が、かつての大名庭園の特徴的である池泉回遊式庭園の面影を残しているようだ。池の周辺には、この時期、紫陽花と花菖蒲が咲いており、それぞれの花が水面に映り、幻想的な風景になっていた。

公園の周辺は、高級住宅街であり、その中の邸宅の一つに、上皇后美智子様の実家である正田家があった。現在は建物はなく跡地は「ねむの木の庭」という小さな区立公園になって一般に公開されている。

(*注)

東京都の東部は、台地(段丘)と低地によって形成されている。台地は武蔵野台地と呼ばれ、 武蔵野段丘面より一段高い地形面が下末吉段丘(淀橋台、荏原台など)と呼ばれる地形面で、 有栖川宮公園・自然教育園・池田山公園などはこの地形面に位置する。

(1)池田山公園

池田山公園・入口







紫陽花が池面に映る

花菖蒲




紫陽花が池面に映る




金糸梅(キンシバイ)




早くも萩(ハギ)の花が

手前から池に向かってかなりの高低差


(2)ねむの木の庭

ねむの木の庭・入口


ナデシコ


四照花(ヤマボウシ)


山手線の目黒から五反田の内側には、何度となく行ったことがあるのですが、池田山公園があることは知りませんでした。今回、訪れてみて、かつての大名庭園の面影を見ることが出来ました。もちろん、先の小石川後楽園のような広々とした庭園とは言えませんが、ゆったり、のんびり、静かに、ひとときを過ごすには、格好の公園ではないでしょうか。品川区が、こうした公園を開放してくれていることに感謝です

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