2023年6月12日月曜日

東京異空間120:大名庭園を歩く1~小石川後楽園

 

小石川後楽園・内庭と唐門

小石川後楽園に花菖蒲を観に行きました。小石川後楽園は、水戸藩の大名庭園であったことはよく知られます。いまは隣に東京ドームがあり、ちょうど巨人戦が行われていて、応援や歓声がドームの屋根を突き破って聞こえてきました。

また、花菖蒲園があり、いろとりどりの花菖蒲が見ごろでした。(花菖蒲については、拙ブログ、「百花繚乱2:花菖蒲」にまとめました。)

1.小石川後楽園

小石川後楽園は、寛永6年(1629)に、水戸徳川家初代藩主・頼房が、江戸の中屋敷(のち上屋敷に)の後庭として造営し、二代藩主・光圀(水戸黄門)によって完成された大名庭園である。池を中心とした回遊式築山泉水庭園という様式で、光圀は造営にあたり、明の朱舜水の意見を用いて、円月橋、西湖堤など中国の風物を取り入れている。いっぽうで庭園の中心には、琵琶湖に見立てた大泉水や竹生島などをつくるなど、日本と中国の名所や古典になぞらえた見所を配していて、「後楽園」は、同じく大名庭園である六義園が万葉集、古今和歌集など和歌から名勝を取り出して作庭しているのとは好対照をなしている。

「後楽園」の名も「先憂後楽」、すなわち、「憂うることは人に先だって憂い、楽しむことは人に遅れて楽しむ。忠臣の国を思う情 」という意味から舜水によってつけられた。これは為政者の心得を説くもので、光圀も自らの政治的信条とした。 なお、岡山にも「後楽園」があり、三大名園(偕楽園、兼六園)として知られているが、こちらも同じ意味ではあるが、小石川のほうが先に付けられた。

徳川光圀は儒教思想を庭園に吹き込み、家臣の教養や親睦を高めるための場とした。 例えば、園の北側にある稲田は、光圀が農民の苦労を嗣子である綱條の夫人に教えるために作ったと言われている。

また、三代将軍・家光は、鷹狩の際にここを訪れ、庭園で舟遊びをしたという。庭園は社交の場として、また政治の場として使用されたのである。

光圀によって完成された庭園も、その後、幾度か改造された。元禄時代には、1703年に起きた元禄大地震により被害を受け、また、桂昌院の御成りを機に老体の安全を図るため大石などを取り除く改造を行っている。さらに享保時代にも、思い切った園の改造が行われた。明治時代になると、陸軍省の管轄地となり、砲兵工廠 とされた。関東大震災、及び戦災により被害を受けた。1936年(昭和11)に東京市に移管され、1938年(昭和13)に小石川後楽園として開園した。戦後に整備されて、1952年(昭和27)に国の特別史跡及び特別名勝の指定を受けた。この二重に指定を受けているのは、ほかに浜離宮恩賜公園、金閣寺などごく限られている。

水戸藩主2代・光圀(水戸黄門)

朱舜水

泥絵・小石川水戸屋敷

「あずま美人 後楽園」楊洲周延画


(1)唐門

2020年に唐門が復元され、これまでは閉鎖されていた東門も開かれた。彫刻は、富山の井波彫刻が用いられている。扁額には朱舜水の名と落款が記されている。

小石川後楽園・東門

内庭・唐門

蓮池

内庭・唐門

唐門

唐門・扁額


赤門


(2)円月橋

円月橋は、朱舜水による設計といわれ、水面に映る姿が満月のように見えるので、この名がつけられた。 当時の姿をとどめる貴重な建造物である。なお、8代将軍吉宗が同園を訪れた際に感銘を受け、自身の庭園で再現を試みるも失敗に終わったという逸話も残っているという。

円月橋

円月橋

円月橋


(3)九八屋(くはちや)

茅葺の茶屋を模した酒屋。この前に稲田と花菖蒲田がある。稲田は、光圀が農民の苦労を教えようとして作ったとされ、いまは区内の小学生が田植え、稲刈りを行っている。

九八屋

九八屋

花菖蒲田

花菖蒲田・奥はジェットコースター

稲田

(4)大泉水・蓬莱島

「徳大寺石」(写真中央付近)。大泉水は、琵琶湖に見立てていて、竹生島、また蓬莱島が築かれている。蓬莱島」に置かれた大きな鏡石は「徳大寺石」といわれる。作庭家・徳大寺左兵衛にちなみ水戸藩主初代・頼房が命名したという。

大泉水・左手前は一つ松、池の中央に蓬莱島、借景は東京ドームとホテル

蓬莱島にサギ・巨石は徳大寺石

東京ドームの上を飛ぶサギ

ドームホテル近くを飛ぶサギ

白糸の滝



現在の小石川後楽園は、目の前に東京ドームや文京区シビック・タワー、東京ドームホテルなどの高層ビルが見える。さすがの水戸黄門様も、後楽園がこうした建物を借景にするとは思っても見なかっただろう。


2.大名庭園

江戸の大名庭園は、中央に大きな池をつくり、池の周りを歩いて巡り庭を楽しむ回遊式庭園となっている。流行の園芸植物を植え、京都や中国、和歌にうたわれている景色など好みの世界を庭の中に再現した殿さまたちのテーマパークとなっていた。持ち主の大名が楽しむだけではなく、将軍や他の大名・家臣、京都の公家らとの交流・園遊の場、また政治の場として活用されてきた。

明治維新により、大名の手から離れ、新たに台頭してきた層の手に渡った。現在も残っている庭園は、天皇家と皇族、爵位を有する華族、新政府の重鎮、財閥、実業家などが所有したものである。東京都内に、残っている大名庭園で一部のみも含めると、30カ所近くある。明治期の所有者により分類してみると、おおよそ次のようになる。


(1)皇室の所有

将軍家別邸/浜離宮恩賜庭園 皇室所有(宮内庁管理)→東京都

佐倉藩・紀州藩浜屋敷/旧芝離宮庭園 佐倉藩下屋敷→小田原藩下屋敷→紀州徳川家芝御屋敷→有栖川宮家邸→芝離宮(天皇家)→東京市

将軍家(江戸城)/二の丸庭園(皇居東御苑)江戸城二の丸→宮内庁→皇居東御苑(宮内庁)

高遠藩下屋敷/新宿御苑 高遠藩下屋敷(庭園は「玉川園」)→皇室の御料地・新宿植物御苑(宮内省)→新宿御苑(宮内省→環境省)

南部藩(盛岡藩)下屋敷/有栖川宮記念公園 南部藩(盛岡藩)下屋敷→有栖川宮邸→高松宮邸→東京市→港区

(2)陸軍等の所有

水戸藩上屋敷/小石川後楽園 水戸藩上屋敷→東京砲兵工廠(陸軍省)→東京都

高松藩下屋敷/国立科学博物館附属自然教育園 高松藩下屋敷→陸海軍の火薬庫→白金御料地(皇室の土地)→国立自然教育園→国立科学博物館附属自然教育園

長州藩下屋敷/檜町公園 長州藩毛利家下屋敷→第1師団歩兵第1連隊→アメリカ軍→防衛庁→東京都(都立公園)→港区

(3)政治家・華族の所有

久留里藩下屋敷/椿山荘庭園 久留里藩下屋敷→山県有朋邸「椿山荘」→藤田財閥→藤田興業→藤田観光(ホテル椿山荘東京)

熊本藩下屋敷/肥後細川庭園(新江戸川公園) 旗本の邸宅→御三卿・清水家邸→御三卿・一橋家邸→熊本藩細川家下屋敷→細川家本邸→東京都(新江戸川公園→肥後細川庭園)

水戸藩下屋敷/隅田公園 水戸藩下屋敷→元11代水戸藩主・徳川昭武邸(水戸徳川家本邸)→震災復興公園→墨田区

御三卿・清水家下屋敷/甘泉園庭園 清水家下屋敷→相馬子爵家邸→早稲田大学→東京都(都立公園)→新宿区

彦根藩下屋敷/大隈庭園(早稲田大学)彦根藩井伊家下屋敷→元高松藩松平氏(松平頼聡)別邸→大隈重信邸→早稲田大学大隈庭園

熊本藩下屋敷/戸越公園 熊本藩細川家下屋敷(戸越屋敷)→松江藩松平家屋敷→上山藩松平家屋敷→久松松平家屋敷→久松伯爵邸→吉井幸蔵伯爵邸→彫刻家・堀田瑞詳邸→三井家所有→荏原町(現・品川区)→東京市→品川区

紀州藩下屋敷/鍋島松濤公園 紀州藩下屋敷→鍋島家の大茶園「松濤園」→東京市(現・東京都)→渋谷区

加賀藩支藩の大聖寺藩の屋敷/須藤公園 政治家・品川弥二郎の邸宅→実業家・須藤吉左衛門が買取→東京市→文京区

豊後国岡藩藩主・中川氏の下屋敷 /菅刈公園(すげかりこうえん)  西郷従道→国鉄→目黒区

(4)財閥、実業家の所有

川越藩下屋敷/六義園 川越藩下屋敷→三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎邸→東京市

関宿藩下屋敷/清澄庭園 関宿藩下屋敷→岩崎弥太郎邸(岩崎邸)→東京市

笠間藩・宮津藩下屋敷/旧安田庭園 本庄松平氏邸(笠間藩下屋敷→宮津藩下屋敷)→旧岡山藩主・池田章政侯爵邸→安田財閥の祖・安田善次郎邸→東京市

㉑会津藩松平家の下屋敷跡 /綱町三井倶楽部 三井財閥

㉒彦根藩下屋敷/ホテルニューオータニ東京 彦根藩下屋敷→伏見宮邸→大谷重工業社長・大谷米太郎邸→ホテルニューオータニ東京

㉓長府藩上屋敷/毛利庭園(毛利甲斐守邸跡)長府藩上屋敷→増島六一郎邸→ニッカウヰスキー東京工場→テレビ朝日→六本木ヒルズ

㉔岡山藩下屋敷/池田山公園 岡山藩池田家下屋敷→池田邸→個人宅→品川区

(5)その他

㉕加賀藩上屋敷/三四郎池(東京大学)加賀藩上屋敷→東京医学校→東京大学

㉖陸奥守山藩松平家の上屋敷/東京師範学校→筑波大付属小学校(文京区)

㉗館林藩松平家下屋敷・徳川綱吉・吉宗・御薬園/小石川植物園 東京大学付属施設

㉘熊本藩加藤家下屋敷・彦根藩井伊家下屋敷/明治神宮御苑 代々木御苑(宮内省)→明治神宮

㉙多度津藩京極壱岐守/国際文化会館 井上馨侯爵→久邇宮→赤星鉄馬→岩崎小彌太→国有地→公益財団法人

参考:

東京とりっぷ

https://tokyo-trip.org/spot/visiting/all-daimyo-gardens/



このうち、いくつかの大名庭園は訪れたことがりますが、大名庭園として見てはいなかったのも多いので、これからもまわって見たいと思います。さしあたって、池田山公園、自然教育園に行ってきましたので、この後「大名庭園」シリーズとしてアップしていきたいと思います。

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