毛利庭園・右はテレビ朝日本社 |
広尾の有栖川宮記念庭園から六本木ヒルズに向かいました。ここには毛利庭園が造られています。
1.大名庭園の沿革
六本木ヒルズの敷地は、江戸時代は長府藩毛利家の上屋敷であった。元禄15年の吉良邸討ち入り後に赤穂浪士10人が毛利家に預けられ、この地で切腹したという。また、のちに陸軍大将となる乃木希典が、長府藩上屋敷の侍屋敷に藩士・乃木希次の三男として生まれ(1849年)、幼年期をここで過ごした。 大正8年には、「乃木大将誕生地」として、旧跡指定を受けた。
明治になると、英吉利法律学校 (現・中央大学)の創始者、増島六一郎(1857-1948)が自邸として取得し、庭園を「芳暉園」と名付けた。
1952年(昭和27年)にはニッカウヰスキーの東京工場となり、1977年(昭和52)には、テレビ朝日が当地を取得した。
その後、2003年(平成15)に六本木ヒルズがオープンし、毛利庭園として整備された。池はニッカ池と通称されていたが、整備の際に、池などは保存のため地下に埋められ、その上に庭園が築かれた。
2.毛利庭園
六本木ヒルズは、高層オフィスビルである六本木ヒルズタワーを中心に集合住宅である六本木ヒルズレジデンス、ホテルであるグランドハイアット東京、テレビ朝日本社ビル、映画館のTOHOシネマなどの文化施設、商業施設で構成されている。毛利庭園は、テレビ朝日ビルの横に造られた。前述したように、ヒルズを整備した時に、それまでの庭園は保存するため地下に埋められたので、今の庭園は新しいものである。デベロッパーである森ビルの「森」と歴史的なこの地の「毛利」との語呂合わせから「毛利庭園」と名付けたという。
庭園は、ひょうたん池とも呼ばれる池を中心とした回遊式庭園となっていて、池には、金のハートが造られていて、現代風になっている。なお、庭石の一部には、大名庭園のものが使われているという。
六本木ヒルズアリーナ |
六本木ヒルズタワー |
毛利庭園 |
毛利庭園 |
毛利庭園・滝口 |
毛利庭園・池 |
六本木ヒルズにある毛利庭園は、江戸時代の大名庭園を思わせるものはありませんが、この地は、地形的にも高低差もあり、複合的なビルとともに現代的な庭園空間を形成しています。
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