「近代ロンドンの繁栄と混沌」展~駒場博物館 |
東大・駒場博物館で開催されている「近代ロンドンの繁栄と混沌」というタイトルのもと、ウィリアム・ホガースの版画展を観に行ってきました。作品の写真撮影も可能でした。
1.ウィリアム・ホガース(1697-1764)
ウィリアム・ホガースは、イギリスの画家、といってもすぐにその作品を思い浮かべられる人は、そう多くないだろう。そもそも、イギリス絵画、画家というのは、イタリア・ルネサンスからはじまり、フランスの印象派などの絵画の流れからは、日本で人気があるとは言えない。しかし、明治時代、夏目漱石は、すでにホガースを「当時の風俗画家として優に同時代の人を圧倒するのみならず・・・古今独歩の作家かもしれない」と着目していた。
漱石がはやくも評価していたように、ホガースは18世紀イギリス・ロンドンの社会、風俗をあくまでもリアルに描き、そこに風刺、寓意を込め、その作品は「描かれた道徳」ともいわれる。その作品は、グロテスクな描写、ときにエロチックな表現、しかし、滑稽で喜劇的な描写は、絵画に美を求める、あるいは聖なる崇高さを求める、いわゆる芸術性が高い作品とは正反対ともいえる。むしろ、彼の作品は、その時代を読む絵画、世相、道徳を語る小説(物語)としての絵画ともいえるだろう。
ウィリアム・ホガース自画像 |
2.繁栄と混沌
今回展示されているホガースの銅版画は、東大経済学部教授で大学紛争の時期に総長を務めた大河内一男と、その長男でやはり経済学者である暁男が、蒐集した71点である。ホガースの作品を18世紀イギリスの社会や文化を知る貴重な資料として蒐集したのであろう。
展示されている作品を観ていくと、その展示方法がユニークである。作品に観る人が絵に対する疑問等を黄色いポストイットに書いて貼り付け、いくつかは監修者がそれにコメントを付けて青いポストイットで回答するという、作品と観る側のインタラクティブがなされる工夫がされている。だから、作品を観る、あるいは読むだけでなく、貼られたポストイットのコメントを見ることにより、さらにホガースの作品の世界に入り込んでいく仕掛けとなっている。
ということで、ホガースの作品と、キャプションを参考に、そこに貼られたポストイットのコメントもあわせて観ていくこととする。
展示会場 |
作品に貼られたポストイット |
作品のキャプション、観た人の黄色のポストイット、監修者の青いポストイットのコメント |
(1)肖像画
<画家とパグ>
ホガースの肖像画である。油彩画と銅版画のヴァージョンがある。パレットには、楕円曲線の針金が置かれている。この蛇状の線こそ、ホガースの美の原理を示しているという。そこには「The Line of Beaty(美の線)」と書かれている。前に置かれている三冊の本はシェイクスピア、ミルトン、スウィフトというイギリス文学を代表する作家の本だという。ホガース自らもイギリス文芸の歴史と伝統を引き継ぐものとの演出だとされる。
それを守るように、パグである愛犬トランプがいる。まんまるな目、ぺしゃんこな鼻、典型的なパグの顔はどこかご主人に似ている。パグというのは、好戦的(pugnacious)な性格をもっていて、飼い主の性格を暗示している。
<画家とパグ>油彩画 |
<画家とパグ>銅版画 |
<美の分析>
ホガースの美の原理を明らかにした絵画論である。描かれているのは中央にメディチのヴィーナス、ヴェルヴェデーレのトルソ、ラオコーン、いずれも蛇状の曲線による美を表し、左側に立つ直立の人間とは対照的である。
<美の分析>彫刻の庭 |
<美の分析>・ヴィーナス、ラオコーンなどS字状 |
<美の分析>カントリー・ダンス・左の二人以外の動作はぎこちない |
<納屋で意匠をつける女旅役者>
その曲線を描いた顕著な作例が、この作品である。中央の女旅役者は、S字状に身体を躍らせている。かなり猥雑な絵であるが、この女旅役者はヴィーナスに見立てているのだろうか。
<納屋で意匠をつける女旅役者> |
<納屋で意匠をつける女旅役者> |
(2)人物画
<リチャード三世を演じるギャヤリック氏>
ギャリックが演じるシェイクスピアのリチャード三世は内面心理の動きまでもとらえ、リアリティに富んでいる。それはホガースの絵画・版画の目指すところと同じものという共感が込められている。
<リチャード三世を演じるギャヤリック氏> |
<性格と戯画>
下段にラファエロの絵画に基づく3人を描き、それを「CHARACTERS(性格)」とし、右側の4人には「CARACATURAS(戯画)と呼んでいて、ホガースが上段に描く人物は性格把握を徹底していて、単なる誇張としての戯画ではないことを自負している。
<性格と戯画> |
<講義を聴く学生たち>
オックスフォード大学で、教授が退屈な講義をして真面目に聴いている学生は一人もいない。その学生たちの、無関心、軽蔑、懐疑、うわの空といった表情を的確にとらえている。なお、教授は、「Datur Vacuum(余暇が与 えられん)」と題した講義ノートを読み上げてい る。 Vacuumには、真空、つまり空っぽという意味が込められているという。
この解説キャプションにある、「東京大学の授業ではありえない光景か」との監修者のコメントそれ自体を、<諷刺>と読むのは失礼すぎるか。
<講義を聴く学生たち> |
<講義を聴く学生たち>・講義ノートに「Datur Vacuum」 |
<居眠りする会衆>
大学の教授と学生ばかりではなく、教会の牧師と信者も、退屈な説教を長々と続け、信者は眠りこけている。下段の牧師は、不謹慎にも、眠りこけている女性の胸元を覗いている。流し目がいやらしく描かれている。手に持つのは、眼鏡か。
説教壇の側面には「わたしはあなたがたのために無駄に努力をしてきたのではないか、と恐れる」(ガラテヤ4:11)を書かれていることに、ホガースの意図が窺われるという。
<居眠りする会衆> |
<居眠りする会衆>・牧師の流し目 |
(3)諷刺画
ロンドンという大都会に住む人々の実像を描いたのが<ジン横町>と<ビール街>という二対の作品である。どちらも酒を主題としていながら、<ビール街>は明るく健康的な雰囲気であるのに対し、<ジン横町>は暗く頽廃的な雰囲気に描かれている。
この展覧会のテーマである「繁栄と混沌」を表わすホガースの代表作の一つである。
<ジン横町>
ジンは、劣悪だが、廉価であり、度数が高く、飲みすぎて健康を害する。中央の階段では泥酔して赤ん坊を取り落としてしまう母親が描かれている。その前には貧困であばらも浮き出た飢餓状態の男。左の階段脇には居酒屋「GIN ROYAL」、その入口の文字には、「1ペニーで酔っ払い、2ペンスで酔いつぶれ、ただ飲みはきれいな藁布団」と書かれている。最後の「きれいな藁布団」というのは、監獄に送られるという意味だ。
画面の細部にも目をやると、飢餓、死、堕落、争い、といった、もう狂気の光景が描かれている。
<ジン横町> |
<ジン横町>赤ん坊を取り落としてしまう母親 |
<ビール街>
いっぽう、ビールは健康にもよく、身体を強壮にする(Stoutスタウトという黒ビールもある)飲みものであった。当時の水は不衛生で飲めるものではなかった。画面左には太鼓腹を突き出して満足そうにビールジョッキを傾けている二人。通りかかった黒い服を着た男の腰ひもをつかんでいる。これは痩せたフランス人御者であり、ホガースのフラン嫌いを表しているという。画面全体に活気あふれ、幸福そうなロンドン市民の生活が描かれている。ただ、注目すべきは、左側にいるひょろっとした画家、梯子に上って居酒屋「バリー・モウ(刈り取られた麦の意)」の看板を描いている。全体として繁栄を謳歌しているかに見えるこの絵の中で、この貧しい絵描きだけが浮き上がって見える。しかも、書いている看板の下にある小さな看板に描かれているのはジンである。つまり、ビールを飲んで暮らす繁栄も、一歩間違えば、ジンによる堕落した社会へ逆戻りする危険があることを暗示しているという。そういえば、この画家の姿は、ホガースの美の原点、S字状の曲線で描かれ、先に観た自画像と同じようにパレットを持っていることにも注目しておく必要があるだろう。ホーガース自身を重ねているのだろうか。
<ビール街> |
<ビール街>・黒い服を着たフランス人御者 |
<ビール街>・パレットを持つ画家の姿はS字状 |
<盲信、迷信、狂信、烏合の会衆>
この絵は、18世紀に台頭してきた「メソディズム」を諷刺したものである。メソディズムはプロテスタンティズムの一つで、規則正しい生活、メソッドを重視することから名付けられている。画面一番上で説教している牧師が手にしているのは、右に魔女の人形、左に悪魔の人形である。さらに説教壇の下にも人形がぶら下がっている。短剣が体中に突き刺さっているのは、ジュリアス・シーザーだという。これらはすべて亡霊である。要するに集まった人々に熱烈な説教を行い、人々の心を操っていることを示している。説教壇の下では、興奮した女性につけ込んで、胸元にイコンを入れようとしている男、これも牧師である。まるで部屋全体が狂気に包まれたような、こうした宗教的熱狂を痛烈に諷刺している。
画面左下で、霊感を受けて感極まったように見える女性は、ウサギを産んだと世間をたばかったメアリ・トフトをモデルにしているという。股の下からウサギが飛び出している .
<盲信、迷信、狂信、烏合の会衆> |
<盲信、迷信、狂信、烏合の会衆>・胸元にイコンを入れようとしている牧師 |
<盲信、迷信、狂信、烏合の会衆>・右に魔女の人形、左に悪魔の人形 |
(4)物語画(連作)
ホガースの名を高めたのは、連作の版画である。彼はこうした版画を予約販売という新たな方法で売ることにより、人気を博し大きな収入を得た。この時代、台頭してきた中流階級に、油彩画一枚には手が出なくとも、大量に刷られる版画は買い求められた。日本の浮世絵と同じように。
《 一日のうちの四つの時 》
この連作は、ロンドンの朝、昼、夕、夜の4つの時を描いたものである。第1景の<朝>は、コヴェント。ガーデの冬の朝、中年の婦人が協会のミサに参列するところで、彼女は淑女らしく気取って歩いているが、視線は行く手の前の男女の戯れに向かい、大いに興味がある様子。つまり、彼女の心は、信仰の世界よりも性と俗のほうにあるということを暗示している。
《 一日のうちの四つの時 》朝 |
《 一日のうちの四つの時 》朝・戯れる男女 |
《 一日のうちの四つの時 》朝・ミサに向かう中年婦人と物乞い |
<昼>の場所は、ソーホーである。右手後ろに見える教会から出てきた教徒たちの虚栄に満ちた世界と、性欲、食欲に満ちた庶民の猥雑な世界とを中央に引かれた溝が対照的に区切っている。看板に目を向けると、奥の看板の女性の首がない、のに対し手前の看板には皿の上に乗る首、つまり洗礼者ヨハネの頭部である。下には「Good Eating(美食)」と書かれている。ということは窓から皿ごと食べ物を放り出している女性はサロメだろうか。
その看板の下では、黒人男性が白人女性給仕の胸に手をまわす。女性は運んでいたパイから肉汁がこぼれる。肉汁は少年の頭にかかり、暑さに叫ぶ声をあげ、その拍子に料理の乗ったお盆を割ってしまう。落ちた料理をすかさず手で拾い口に運ぶ少女。溝で区切られた左側は、性欲、食欲に満ちた庶民の世界を描いている。
《 一日のうちの四つの時 》昼 |
《 一日のうちの四つの時 》昼・首のない看板と首の乗る皿の看板 |
《 一日のうちの四つの時 》昼・パイから肉汁がこぼれる |
<夕>は、ロンドン郊外の保養地イズリントンで、染物職人一かが散策している。妊娠し、肉好きの良い妻とは対照的に痩せた夫は、寝取られた夫を寓意すべく、後ろから牛の角が頭から生えているように描かれている。妻が手にする扇子に描かれた絵も、なにやら男女の関係を寓意している。
《 一日のうちの四つの時 》夕 |
《 一日のうちの四つの時 》夕・夫の後ろから牛の角 |
<夜>は、チャリング・クロスの繁華街である。画面中央は、駅場所が焚火に馬が驚いて暴れて混乱した様子が描かれている。中央の二人は案内人と白いエプロンに山形のメダルを付けた人物、これはフリーメイソンの正装であり二人ともフリメーソンである。それぞれ実在の人物をモデルにしているという。二階の窓から落とされている液体は、尿、尿瓶から投げ捨てられているのである。それを被って、酔ったフリーメイソンが怒っている様子だ。そんな混乱に関係なく、机の下で寝ている浮浪児。
この絵を観た人が書いた黄色いポストイットには「一番絵の中で幸せそうな表情しているのが印象的」とあった。この細部にまで目がいき、絵を読み取っているのがよくわかるコメントだ。
《 一日のうちの四つの時 》夜・窓から尿 |
《 一日のうちの四つの時 》夜 |
黄色いポストイット |
《 残虐の四段階 》
これは、ロンドンの街頭で繰り広げられる残虐な光景を四枚の絵で描き出したものだ。主人公の名は、トム・ネロという。ネロとは古代ローマの悪名高い皇帝の名であり、いかにも残虐を体現するような人物となっている。
<第一段階>では、少年トム・ネロが仲間とともに犬の肛門に無理やり矢を突き刺そうとする動物虐待を描く。<第二段階>では、ネロは成長して辻場車の馭者になるが、大勢が乗った場所がひっくり返り、怒ったトムは馬の目を棒でえぐり、鞭で激しく打ちのめす。<第三段階>では、トムは強盗となり、ついには殺人を犯してしまう。<第四段階>では、トムは残虐行為の報いとして、当時見せしめのために行われていた死刑囚の公開解剖に付される。解剖台のトムは、かつて馬の目をくり抜いたように眼球をナイフでえぐり取られ、開腹された腹から腸が引き出され、犬はトムの心臓を貪り食う。あまりにも残酷な絵である。けれども、ここに描かれた世界は決して特殊なものではなく、古くからに日常的に見られたものなのだ。
ホガースはこの絵に込めた意図を次のように述べている。
「《 残虐の四段階 》を描いたのは、ロンドンの街頭にみられる極めて不快な光景、なによりも人の心にもっとも大きな不快感を催す、哀れな動物への残酷な仕打ちを幾分かなりとも阻止したいとの意図があったからだ。」
《 残虐の四段階 》<第四段階> |
<第四段階>死刑囚の公開解剖 |
《 放蕩息子一代記 》
この8枚の連作は、裕福な家庭の子息に対する「Pictured Morals 描かれた道徳」といわれ、まさに読む版画となっている。
<相続人>は、主人公トム・レイクウェルが父の突然の死により、勉学の地オックスフォードから帰省し、かなりの財産を相続する場面である。天井の桟から故人の隠し金が落ちてくる。画中画は、シャルダンが描いた「天秤」、すなわち高利貸しを意味し、亡父の職業が高利貸しであったことを暗喩している。右奥にはトムが妊娠させてしまったサラが涙を流し、母親がトムの不実を非難している。トムはサラにいくばくかの金を差し出し、手切金を受け取らせようとしている。サラが手に持っているのは指輪で、結婚を約束が騙されたことを知る。
《 放蕩息子一代記 》<相続人> |
画中画に天秤 |
<相続人>・サラが手に持っているのは指輪 |
<接見>では、部屋が豪華なサロンに改装され、トムは中流階級から貴族的な生活に入る。ヴァイオリン弾き、フェンシング教師、護衛兵などの取り巻き連中に囲まれている。彼らは、トムの金銭に群がる欲得ずくの衆生である。
ハープシーコード(イタリア語ではチェンバロ)を弾くのはヘンデルとされる。ヘンデルはバッハと並ぶバロック音楽の巨匠であり、1727年にイギリスに帰化している。しかし、このような偉大な音楽家が、どこの馬の骨ともわからないトムの家にやってきてハープシーコードを弾いて、彼に音楽を教えるはずはない。しかもトムはヘンデルにそっぽを向き別な男と話をしている。要するに、トムにとってのヘンデルは「豚に真珠」「馬の耳に念仏」でしかなかったことを表しているという。
画中画の「パリスの審判」、また両側の二羽の闘鶏の絵は、ルーベンス「闘鶏と真珠」を思わせる。このように巨匠が書いた「名画」を邸内のギャラリーに飾るのが当時の貴族であり、トムはそれを真似たにすぎない、とすればこれらの「名画」はおそらく偽物であろう。
《 放蕩息子一代記 》<接見> |
<接見>・画中画は「パリスの審判」、「闘鶏」 |
<乱痴気騒ぎ>は、トムが居酒屋で娼婦や悪友と酒宴を開くが、大混乱となる様子を描く。酔ったトムを開放するふりをして、時計を盗む娼婦。テーブルを囲み悪友は鬘を落としながら、娼婦を抱き寄せる。別の娼婦は、流し眼で靴下を脱ぐ。そばには脱ぎ捨てられた服やコルセットが置かれている。つまり彼女はストリッパーなのである。戸口に立つ男が持っている大きなお盆とロウソクもショーに使われる小道具である。
壁に掛けられたティツィアーノ風のローマ皇帝像は、ネロ皇帝を除き、その頭部がすべて破られている。
また、左側でトムの片足を両膝に抱える娼婦という構図は、「ピエタ」という聖なる図像を取り込んでいるという。すなわち、この娼婦は聖母マリアであり、トムは死せるイエスに重ね合わされる。ホガースならではの辛味の効いたパロディである。
《 放蕩息子一代記 》<乱痴気騒ぎ> |
<乱痴気騒ぎ>・時計を盗む娼婦 |
<乱痴気騒ぎ>・靴下を脱ぐ娼婦 |
<乱痴気騒ぎ>・画中画のティツィアーノ風のローマ皇帝像の頭は破られている |
<逮捕>は、放蕩の挙句、ついに破産したトムは、籠に乗って移動中に逮捕される。この時代返済能力のない負債者は、犯罪者であり債務者監獄に入れられた。そこへ、第一場面で、捨てられたはずのサラが現われ、お針子をして貯めたなけなしの金を差し出し、トムを窮地から救おうとしている。しかし、その真心は通じない。それを暗示しているのが、背景に描かれた稲妻である。稲妻は、神に力の象徴であり、その凄まじい破壊力が、当然の帰結として意味するものは、絶対的な破滅である。稲妻が空を大きく引き裂くように、トムとサラ、さらに彼を取り巻く世界も、破滅に向かって大きく引き裂かれるのだ。
右下には浮浪児たちが、サイコロやトランプで賭け事をしているのは、トムが賭博におぼれていることを示唆している。少年の左手が指している籠には靴墨の入ったカップとブラシとボロ切れであり、靴磨きの商売道具までも賭けるに至ったことを表しているという。
《 放蕩息子一代記 》<逮捕> |
<逮捕>・稲妻が空を大きく引き裂く |
<逮捕>・浮浪児たちの賭け事 |
<結婚>は、サラの真心も通じず、派手な貴族生活を続けるトムは、持参金目当てに年増の女と結婚するが、その目は背後にいる若い女に向けられている。他方、年増の花嫁のほうは牧師に目線を送っている。この年増の花嫁は、やはり娼婦だったという。それは彼女の顔に現れている。ひとつは独眼となっていること、もうひとつは額の付けぼくろである。これは梅毒に起因していることを示している。さらにはだけた胸も娼婦を示唆しているという。そんな花婿と花嫁はその目線がはじめから異なる方向を向いている。つまりこの二人は永遠に心が通じ合わないのだ。そうした道徳的堕落を、左下にいる二匹の犬たちが真似しているようだ。向き合った黒い犬の方の目は、年増の花嫁の目と同じ独眼になっている。その背後では、子供を抱えたサラと母親が追い返されている。この結婚の無効を叫ぶ二人は、牧師の召使の女に教会の鍵束で乱暴に追い出されているのだ。よく見ると、サラは赤ん坊を抱えている。赤ん坊は母親に口づけしようとしている。この構図は聖母子像であり、「悲しみの聖母」と呼ばれる伝統的な図像である。先に「ピエタ」のパロディをみたが、ここでもホガースは「聖母」のパロディを周到に図像化している。
《 放蕩息子一代記 》<結婚> |
<結婚>・二匹の犬が真似 |
<賭博場>は、政略結婚で持参金を得たトムは賭博に手を染め、再び全財産を失い負債を抱えてしまう。絶望のあまり、鬘を落とし、拳を突き上げ、半狂乱にわめいている。その有様はそばにいる黒い犬と同じである。
画面の右下には、賭けに負けて呆然としているおことが座っている。その横に驚いた顔をした子供がいる。この子は酒(ジンか)を持ってきた給仕である。なぜ驚いているのか、そこにいたのは「おとうちゃんだ!」と心の中で叫んでいるからだ。だが、父はプイと横を向き、知らん顔である。酷薄なリアリストであるホガースならではの構図とされる。
《 放蕩息子一代記 》<賭博場>・半狂乱のトムと黒犬 |
<監獄>は、結局、債務者監獄に収容されてしまったトムは、戯曲を書いて一旗揚げようとするが、劇場の支配人からは不採用の手紙が届き、落胆のあまり放心状態のトム。その横で、がみがみわめき立てる年増の妻。トムが金目当てで結婚した相手だ。反対側には不機嫌な顔をした給仕の子供。この子供は、ホガースの父がコーヒーハウスで破産した父への不満や怒りを表しているホガースの自画像となっている。さらに入口では心付けを要求する獄吏。まさに地獄の沙汰も金次第を露骨に表している。娘を連れて獄舎を訪れたサラは、そんなトムの悲惨な状況に卒倒してしまう。
《 放蕩息子一代記 》<監獄> |
<監獄>・卒倒したサラに気付け薬を嗅がせる |
<精神病院>は、ついにトムは精神に異常をきたし、精神病院に収容されてしまう。最後まで献身的なサラは、優しい看護の手を差し伸べる。しかし、半裸となったトムの胸には自傷行為の傷がある。鎖につながれているのは要注意患者。横たわるトムと、彼を背後から支えるサラという構図は、「十字架降下」のパロディである。すでに見たように、ホガースは「ピエタ」、「聖母子」のパロディを描いていた。とすると、トムの胸の傷はイエスの「聖痕」を模しているものであり、トムはイエスと同じように死の瀬戸際にいることを表している。
ホガースはまわりに何人もの狂人を描いている。個室で十字架を前にする狂信者、頭に王冠を被り、紙の王笏を持つ王様狂人、紙を巻いて天井を観察する天文学狂人、頭に楽譜をのせバイオリンを弾く音楽狂人、円錐帽をかぶり、三重の十字架を持つ教皇狂人、架空の顧客の寸法を測る仕立屋狂人、メランコリックに座り込む狂人など(それぞれ前の場面で登場した人物だろうか)。ここでも黒い犬が吠えている。これらの群像は「十字架降下」の枠組みである。とすると、サラは、ここでは「マグダラのマリア」を表しているという。
入口付近にいる着飾った婦人は、この精神病院を見学に来たのである。この時代、精神病院は「見世物小屋」でもあった。狂人は、珍しい動物、あるいは怪物に他ならなかった。
《 放蕩息子一代記 》<精神病院>・トムに優しい手を差し伸べるサラ |
ホガースの連作は、ほかにも<勤勉と怠惰>12枚組、<遊女一代記>6枚組、<当世風結婚>6枚組、<選挙>4枚組があり、いずれも当時のイギリス社会の「繁栄と混沌」を諷刺、寓意を入れ込んで描いている。
(5)画中画
これらの作品の中には、画中画があり、そこに寓意が込められている。すでに、看板に描かれた絵、壁に掛けられた絵など、いくつかは見てきたが、《当世風結婚》に描かれた画中画をみていく。この連絡の主題は、金目当ての上流階級と、地位を目当ての中流階級の政略結婚の顛末を描く。
第一図<結婚の契約>には、壁にいっぱい名画が掛けられている。例えば、ティツィアーノの「聖セバスティアヌスの殉教」、グイド・レーニの「ユディッドとホロフェルネス」、カラヴァッジオの「メデューサ」というように殉難、誘惑、殺害といった主題であり、勢力結婚の運命を暗喩している。
《当世風結婚》<結婚の契約>・壁にたくさんの絵 |
第二図<結婚後まもなく>には、花の掛けたローマ皇帝像、キューピット、 隣室に聖マタイ、聖ヨハネ、聖アンドレアの聖人画、これらは二人の偽善的な宗教心を解される。
《当世風結婚》<結婚後まもなく>・右の部屋には聖人画 |
第四図<伯爵夫人>には、コレッジオの「ユピテルとイオ」、「ガニュメデス」、「ロトを誘惑する娘たち」など、いずれも伯爵夫人と弁護士の不義の関係を暗喩する。
《当世風結婚》<伯爵夫人> |
<伯爵夫人>・コレッジオの「ユピテルとイオ」 |
《当世風結婚》<伯爵の殺害>・決闘で刺された伯爵 |
<伯爵の殺害>・窓から逃げる愛人 |
<伯爵の殺害>・「リスを持つ娼婦」 |
第六図<伯爵夫人の自殺>では、17世紀オランダ絵画風の「放尿する少年」「台所用品」「水たばこを吸う酔っ払い」の絵が置かれ、そのリアリズムと趣味の悪さを諷刺し、伯爵の華美な邸宅から吝嗇な商人の質素な生活を対照的に描いている。
《当世風結婚》<伯爵夫人の自殺>・画中画は17世紀オランダ絵画 |
画中画の持つ意味は、どれも描かれた情景を暗喩するのもであり、エロティックな意味合いも多いようだ。ちなみに、先に挙げたホガースの自画像、それ自体も画中画である。
『美の分析』
これまで、イギリス絵画というと、16,17世紀のハンス・ホルバイン(ドイツ)、ヴァン・ダイク(フランドル)といった外国出身の画家から始まり、19世紀のラファエル前派、ウィリアム・ブレイク、ターナーといった画家に関心があり、18世紀のホガースについては、ほとんど関心を持たなかった。それは、美術史の本流である、イタリア・ルネサンスの絵画から始まる美の表現とは異なり、絵画に社会諷刺、寓意を込めていることから、美というより現実的リアリズム、猥雑な世界を描いていることにもよるのだろう。しかし、ホガースは「イギリス絵画の父」といわれ、その『美の分析』は、自らの美学論として、ルネサンスからの美術史の中に自らを位置付けている。そして、ホガースの社会諷刺の精神は、現代のバンクシー(イギリスを拠点に活躍するアーティスト)にも継承されているとも言えるだろう。
『美の分析』 |
ホガースの描いた18世紀ロンドンの「繁栄と混沌」をみてきましたが、いずれの絵も、ホガースの持つ、いわばカメラ・アイでシャッターを切ったように全体の情景が捉えられ、さらにそこにいる人々の性格内面まで表現されていて、描かれた細部、たとえば画中画にまで、どのような意味を持っているのか、そこに込められた諷刺、寓意は何かを知りたくなります。また、今回の展示で行われたポストイットによるインタラクティブな知の交流よって、一層、ホガースの絵に中に引き込まれていきました。こうしたポストイットや、作品の解説文を読み、そして下に挙げた参考書などの手助けを得てまとめてみましたが、 さらに絵に込められた諷刺、寓意を楽しみたいと思います。
参考:
「時空トラベラー:ウィリアム・ホガース~東大「知の継承」プロジェクト 駒場の旧制一高図書館にて~」2023/6/6 https://tatsuo-k.blogspot.com/
『諷刺画で読む十八世紀イギリス ホガースとその時代』小林章夫 齊藤貴子 朝日新聞出版 2011年
『ホガースの銅版画ー英国の世相と諷刺』森洋子 岩崎美術社 1981年
『ホガースの時代』中村隆 山形大学出版会 2023年(この本は最近手にしたもので、ホガースの絵の細部にまで仕掛けられた謎を「読む」楽しみを教えてくれる。このブログの一部にも追加・修正をした。)
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