2023年6月23日金曜日

東京異空間125:東大・駒場キャンパス

 

駒場キャンパスのシンボル「時計台」一号館

東大・駒場博物館で開催されている「近代ロンドンの繁栄と混沌」展を観た後、キャンパスを散策しました。駒場キャンパスには、かつて旧制一高がありましたので、その時代の歴史的建築物があります。旧制一高時代の建築は、内田祥三によって設計され、内田ゴシックと呼ばれる重厚な建物です。その歴史的な建築と、東大・教養学部となってからの新しい建築が、イチョウなどの緑に囲まれ調和しているように思いました。

1.旧制一高時代の建築

(1)正門

京王井の頭線「駒場東大前駅」で降りると、すぐに正門が見える。この門には、「文」を意味する橄欖(オリーブ)の葉・実と、「武」を意味する柏(オーク)の葉を組み合わせた透かし模様がある。これは、旧制一高の紋章である。

正門

門に旧制一高の紋章

(2)旧制一高本館(現・1号館)・時計台

正門を入って正面に時計塔が建っている。1933年に完成した旧制一高の本館であり、いまは一号館となっている。どこか、本郷にある安田講堂(1925年竣工)を思わせるが、同じ内田祥三による設計で、「内田ゴシック」といわれる。時計台の左右に突き出す八角形の造形は、西洋の中世の城に由来する ゴシック様式の塔の典型といわれる。

建物の中に入ると、階段の黒い手すりが美しいデザインとなっていて、時代を感じさせる。

旧制一高本館

旧制一高本館・両側の八角形の塔




旧制一高本館・入口


旧制一高本館・階段

黒い階段のデザイン

階段


(3)旧図書館(現・博物館)

正門を入って右側にあるのが、展覧会の会場となっている博物館である。旧制一高時代は、書庫および閲覧室として使われていた現在は1階が美術博物館、2階が自然科学博物館となっている。正門を入って左手にある、900番教室と対をなしていて、外観もきわめてよく似ている。設計は内田祥三により、1935年に完成。

旧図書館

旧図書館・美術展の会場

(4)旧講堂(現・900番教室)

旧制一高時代は倫理講堂として使われ、こちらは設計は内田祥三により1938年に完成。現在は900番教室となり、教養学部の中で一番大きい教室となっている。この時も、教室では講義が行われていた。

東大紛争の時に、作家・三島由紀夫と約1000人の学生たちと2時間半にわたって討論が行われたのもこの教室である。討論会の模様は、『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』(新潮社1969年) として刊行されベストセラーとなった。

旧講堂
旧講堂

旧講堂(現・900番教室)



(5)旧制第一高等学校特設高等科(現・101号館)

特設高等科というのは中華民国及び満州国の留学生に高等普通教育を授けるための課程で、この建物は特設高等科のための専用教室として建てられた。1935年完成。 設計した内田祥三は、「東京帝国大学というものが一つのものであるから、それが一つであるような設計」にするという信念を述べている。内田建築に特徴的な質素かつ剛健で強い形や線、玄関ポーチの様式となっている。 とくに玄関ポーチは内田好みといわれ、ゴシックならではの急傾斜の三角屋根がついている。当時、内田の弟子たちは、これを「犬小屋」と呼んでいたという 。確かに言われてみれば、犬小屋のように見える。現在の駒場キャンパスには「犬小屋」は二つある。

特設高等科(現・101号館)

玄関ポーチ「犬小屋」

101号館・階段

101号館・廊下


101号館・入口

もうひとつの「犬小屋」

(6)旧同窓会館(現・駒場ファカルティハウス・国際学術交流会館)

旧制一高時代は同窓会館として使われた。内田祥三の設計により1937年完成。キャンパスの西側にあり、現在は改築されて、駒場ファカルティハウスとして、研究者交流と外国人研究者宿泊施設となっている。

旧同窓会館

7)内田祥三(1885-1972

駒場キャンパスにある建物のうち、ここに挙げた(2)旧制一高本館(現・1号館)・時計台~(6)旧同窓会館(現・駒場ファカルティハウス)の5つの建築の設計はすべて内田洋三によるものである。内田は、師である佐野利器のあとを継いで、建築構造学の体系化に努め、東大教授から総長を歴任した。関東大震災後に安田講堂をはじめ東京帝国大学の諸建物の再建の設計を手掛けた。明治期の本郷キャンパスの建築は、お雇い外国人ジョサイア・コンドルの設計にかかる建築が大半を占めていたが、煉瓦の組積造であったことから、関東大震災により、校舎群の大半は大きな被害を受けた。 その再建を担ったのが当時営繕課長を兼担していた内田祥三であった。

内田が、東大の本郷と駒場で同じゴシック様式を選んだのは、「カレッジ・ゴシック」といわれるように、中世に由来するゴシックこそ、高等教育に相応しいと考えられていたからだという。すなわち、学問と高等教育が中世の修道院から生まれた歴史に因むことによる。

なお、内田の設計による建物は、東大関係が多いが、最後に手掛けたのが新宿にある安田火災海上本社(現・損保ジャパン本社ビル)で、竣工は1976年で、内田が亡くなった後である。安田火災は、安田講堂を寄付した安田善次郎が創始者。

8)旧制一高寄宿寮跡

内田の設計による建物以外にも古くからあるものがある。旧制一高の寄宿寮跡と三昧堂である。

現在のコミュニケーション広場に、かつての旧制一高時代の寄宿寮跡がある。旧制一高は、東京英語学校(明治71874)、東京大学予備門(明治101887)、第一高等中学校(明治191886)を経て、明治271894に、第一高等学校となり、敗戦後の学制改革により廃止となる昭和251950まで、約2万2000人の人材を送り出した。

一高では、入学者全員が寮生活に入る、いわゆる全寮制であり、生徒による自治運営がなされた。寮の渡り廊下からは、本館(現・1号館)、図書館(現・博物館)、特高館(現・101号館)に通じる地下道が造られていたという。おそらく、戦時のための防空壕を兼ねて造られたのだろう。

一高等学校寄宿寮の一部をモニュメントとしたもの

(8)三昧堂

キャンパスの銀杏並木を通って、西の端に三昧堂がある。これは一高陵禅会の学生修養道場として、昭和15年(1940)に建てられたものだが、その用材は宮内省の旧侍医療診療所一棟を下付されたものだという。

三昧堂

三昧堂

2.現代の建築

教養学部となってからの新しい建築としては、「21 KOMCEE」 というモダンな教育棟が建てられている。建物の正式名称は「21 Komaba Center for Educational Excellence 」だが、単に「KOMCEE」(コムシー)と略称で呼ばれているようだ。

他にも、図書館や生協や学食の入るコミュニケーションプラザなどの新しい建物が建てられている。いまの学生たちは、こうした新たな建物や、広場などのスペースを共有して、学んでいるのだろう。

21 KOMCEE

21 KOMCEE

図書館

コミュニケーションプラザ

コミュニケーションプラザ

3.一二郎池と銀杏並木

キャンパスの東の端には、「一二郎池」といわれる池がある。もちろん、本郷にある「三四郎池」をもじった愛称で、正式には「駒場池」という。ここは、明治時代には農学部の養魚場として整備されていたという。

この池にはジンクスがあり、「入学前に一人で見ると浪人する」とか「入学後に一人で見ると留年する」といった「一二郎」を、「一浪、二浪」にかけているのだろう。そのせいか、ここには、学生はほとんど来ないようだ。

一二郎池

一二郎池

一二郎池

一二郎池
一二郎池

キャンパスの東西を、ほぼ真直ぐに銀杏並木が通っている。本郷の弥生地区にあった一高が駒場に移転した際に、当時の校長・森巻吉がここを「弥生道」と名付けたという。今も学生たちにとっては、思索と逍遥の道となっているという。ただ、東大紛争の時は騒乱の場となったところだ。

銀杏並木

銀杏並木

銀杏並木・「禅」を右に行くと三昧堂

4.本郷から駒場への行軍(旧制一高)

旧制一高の歴史の一コマとして、先の101号館に展示されていた「一高中国人留学生と101号館の歴史展」 から一枚の写真とその説明文を引用しておく。

「本郷の東京帝大の隣に位置していた一高は、駒場にあった農学部を近くに寄せて、本郷地区一帯において総合大学としてまとまろうとしていた帝大との間で用地を交換することとし、昭和10年(19359月に駒場に移転してきた。移転時の校長は森巻吉。生徒たちは、日露戦争の日本海海戦に際しての東郷平八郎の言葉、「皇国の興廃此の一戦にあり」をもじり、一高が「向陵」と呼ばれていたことから、「向陵の興廃この一遷にあり」と唱えた。914日の朝、本郷で訣別式が行われた後、森の「さあ行こう」の声とともに小銃をかついで武装行進が開始され、二重橋前、渋谷の繁華街を経て、約三時間をかけて、駒場に到着した。」

この時代の学生たちの姿を生々しく伝えているように思えた。その後、明治神宮外苑での学徒出陣が行われることになる(昭和18年1943)。

本郷から駒場への行軍(「歴史展」から)

キャンパスの歴史的建築物と、現代的建築物の対比にみられるように、かつての学生は、時代の制約のもと学業に励んだのとは対照的に、今の学生は自由を謳歌しながら学業を積んでいるようにも思います。

学生たちが通るキャンパスに、大きなビワの木が実をたくさんつけていました。おそらく、動物か何かがビワの種を運んで、そこから芽を出し、これほどまでに大きくなり、実をたくさんつけるようになったのだと思います。『創世記』には知恵の木の実の話があり、その実はイチジク、リンゴ、バナナなどの説があるようですが、ここ駒場のキャンパスでは、ビワかもしれません?


大きなビワの木


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