2023年6月1日木曜日

東京異空間117:饒舌館長ベスト展~静嘉堂文庫美術館in世田谷

 

静嘉堂文庫

静嘉堂文庫美術館は、丸の内の明治生命館に移って、先に「明治日本美術狂想曲」を観てきましたが、館長である河野元昭氏の傘寿をお祝いして、「饒舌館長ベスト展」と題して、かつての世田谷の美術館で開催されました。世田谷の静嘉堂には何度か行きましたが、いつも美術展を観て帰ってしまい、庭園や岩崎家廟などは観ていませんでしたので、いいチャンスだと思い、行ってきました。

(「東京異空間112:美術と建築~東京ステーションギャラリーと静嘉堂@丸の内」2023/05/15

1.饒舌館長ベスト展

静嘉堂文庫美術館の館長である河野元昭氏は自らを「饒舌館長」と称して、ブログ等にも登場されている。河野館長の大好きな近世絵画の中から名品、気になる作品を18点選び、野々村仁清などの作品を加えた展覧会である。企画は、美術展の仕掛人である安村敏信氏であるようだ。

選ばれた優品の中で、印象に残った2点をみてみる。ひとつは、円山応挙の「江口君図」である。 画題の「江口君」とは、かつて水上交通の要衝の地であった江口(現・大阪市東淀川区界隈)にいた遊女の総称で、江口君が、優しそうな眼をした像に乗る姿、すなわち普賢菩薩に見立てている。

もうひとつは、「玄宗楊貴妃一笛双弄図 」で渡辺南岳が描き、賛を亀田鵬斎が書いている。唐の皇帝玄宗とその寵愛を受けた楊貴妃が、一つの笛を仲睦まじく吹く姿を描く。渡辺南岳(1767-1813)については、調べてみると、応挙の高弟のひとりだが、現在確認されている作品数は60点ほどしかないという。流麗な筆致で美人画、鱗魚図などを得意とした。

渡辺南岳という画家をこれまで知らなかったので、この絵は一段と印象深く、また、円山派の描く美人画は、繊細で、品があり、見入ってしまった。

円山応挙「江口君図

渡辺南岳「玄宗楊貴妃一笛双弄図 」


2.美術館

静嘉堂文庫美術館は、1992年に新設され、2021年まで展覧会を開催していたが、展示機能は、丸の内の日本生命館内に移転した。

建物は、高木建築設計事務所による設計で、1階が展示室、地下階は講堂となっていて、高台に建つことから、庭園の緑越しの眺望も素晴らしい。本館の横には、レンガ貼りに青銅の屋根が特徴的な建物があり、かつては展示館として使われていた。この建物の間をくぐって庭園に出ることができる。


静嘉堂文庫美術館

静嘉堂文庫美術館・庭側

展示館

展示館

庭園

庭園


3.静嘉堂文庫

静嘉堂文庫は、1892(明治25)駿河台の岩﨑彌之助邸内に創設された。その後、小彌太が高輪邸(現・関東閣)に文庫を移設し、さらに1924年には世田谷区岡本にある彌之助の墓の隣接地に静嘉堂文庫を建て、広く研究者への公開を開始した。

なお、「静嘉堂」の名は『詩経筋コンクリート造2階建てスクラッチ・タイル貼りの瀟洒な造りで、イギリスの郊外住宅のスタイルを表現している。

桜井小太郎(1870-1953)は、ジョサイア・コンドルの設計事務所で、建築実務の指導を受けたのち、英国に留学し、日本人初の王立建築家協会建築士の認定を得た。帰国後は海軍技師となったが、曾禰達蔵の勧誘で三菱合資会社(現・三菱地所)に入社、丸の内ビジネス街の建設に携わった。

静嘉堂文庫・青銅の屋根とスクラッチタイル張り

静嘉堂文庫

静嘉堂文庫

静嘉堂文庫・英国風住宅スタイル


4.岩崎家廟

静嘉堂緑地の中には、岩崎彌之助夫妻と、小彌太夫妻、忠雄夫妻の三代が眠る岩崎家廟堂がある。静嘉堂緑地はもともと、この廟堂を建てるために小彌太が購入したものである。設計はジョサイア・コンドルによるもので、高輪邸など岩崎家(三菱系)に関わる建築も多く手掛けている。

廟堂は、中央にドーム屋根、その四方にはかまぼこ型の屋根がデザインされており、一見して、お茶の水のニコライ堂を思い起こさせる。 廟堂の前には、植物のような壮麗な装飾がされた大香炉が置かれている。 また、両側には獅子が、片方は口を開けて、もう片方は口を閉じて、阿吽を表現した形で居座っている。この獅子は、 彫刻家・中川清(1897-1977)によるもので、1962年(昭和37)、小彌太17回忌に三菱各社から奉納された。 廟堂の扉には、親孝行を題材にした中国の24の故事が表現されている。廟の内部は、黒と白の大理石で作られているという。 大香炉と、青銅扉ともに、岡崎雪聲(1854-1921)の作である。

(岡崎雪聲は、彫金家・鋳造師であり、鋳造技術に優れ、高村光雲による上野の西郷隆盛像、渡辺長男による日本橋欄干彫刻、津田信夫による日比谷公園の鶴の噴水など、よく知られている彫刻の鋳造を手掛けている。)

岩崎家廟

岩崎家廟

岩崎家廟・左はシャクナゲ


ドーム屋根とかまぼこ型屋根

岩崎家廟・ニコライ堂を思わせる

岩崎家廟

廟堂前の大香炉

青銅の大香炉

大香炉

扉に二十四考図

阿吽の獅子

阿形

吽形


5.庭園・静嘉堂緑地と国分寺崖線

庭園から廟堂に出ることができる。廟堂の敷地には、大きなシャクナゲの木がたくさんの花を付けていた。その近くには、六地蔵が彫られた珍しい形の五輪塔が建っていた。

廟堂の先に進むと、大きな石碑が建っている。松方正義の書による「男爵岩崎君墓碑」で、石碑も大きいが、その土台となっている石も相当に大きい。

また、大きな灯籠が二基建っている。銘には明治43年と刻まれ、廟堂と同じ年に建てられたものである。

さらに進むと、かなりの高低差のある階段が設けられており、下側には、小川が流れている。この一帯は、岡本静嘉堂緑地と呼ばれる。これは、元は岩崎家の庭園であったが、戦後四十数年間ほぼ手つかずの状態のままにあったために照葉樹林が生い茂り、国分寺崖線の貴重な自然が残されている。現在は世田谷区の管理地となっている。

国分寺崖線は、武蔵野段丘の南側に位置する段丘崖線で、立川市の北東に始まり、国立市、国分寺市を通って世田谷区等々力に続いている高さ10m20mの崖である。崖線の武蔵野礫層からの湧水によって養われている野川が流れている。

国分寺崖線の丘陵と湧水を利用した庭園として、すでに観た国分寺駅近くの「殿ヶ谷戸庭園(岩崎彦彌太)」、そしてこの「静嘉堂庭園(岩崎小弥太)」、この後に訪れた「五島美術館の庭園(五島慶太)」という、実業家たちの庭園が造られている。

(「東京異空間108:都会の中の庭園~殿ヶ谷戸庭園」 2023/05/04

五輪塔・六地蔵

六地蔵

「男爵岩崎君墓碑」・松方正義の書
宅内の社

大灯籠

崖線を流れる野川


緑地の道


静嘉堂緑地を出て、バス停に向かう途中に、古い門構えがあり、なかは竹林など緑地が広がっていた。そこに庚申塔が二基置かれていた。どちらも1700年前後に造られたもので、なかなか珍しい形の猿が彫られている。昭和初期には、幽篁堂(ゆうこうどう)庭園 とい立派な池泉回遊式庭園があったが、開発により失われ、そこにあった庚申塔が移設されたものだという。


庚申塔

庚申塔

庚申塔

庚申塔

庚申塔

竹林

静嘉堂文庫美術館に行って、優品を観て、円山派の渡辺南岳という画家を知りました。世田谷のかつての美術館は、それほど広くない展示スペースですが、ゆったりと鑑賞することができました。

今回は、美術展だけでなく、静嘉堂文庫の建物、ジョサイア・コンドルの設計による廟堂、さらには庭園と静嘉堂緑地を歩き、ここにも国分寺崖線の高低差と湧水がうまく庭園に利用されているのを実感しました。岩崎家のコレクションとともに、その建築、庭園の素晴らしさもあり、また「美術と建築」の両方を楽しむことができました。加えて、庚申塔などいくつかの石造物も楽しさを増してくれました。

このあと、バスに乗り二子玉川駅に出て、そこから五島美術館に向かいました。

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