2023年6月28日水曜日

東京異空間127:大名庭園を歩く4~有栖川宮記念公園

 

有栖川宮記念公園

大名庭園シリーズ4として、広尾にある有栖川宮記念公園に行ってきました。また、近くにある広尾稲荷神社で高橋由一の龍の天井画などもを観ることができました。

1.大名庭園の沿革

江戸時代には、盛岡南部藩の下屋敷であった。武蔵野台地の東部は、多数の谷が入り組んだ舌状台地を形成しているが、この地は、そのうちの一つで淀橋台と呼ばれる。その谷と湧水を活かした庭園が造られ、池の位置は現在と同じとされる。

1896年(明治29)に、有栖川宮が霞が関の御殿から移転することとなり、御用地となった。御用地は、有栖川家が断絶すると、高松宮に引き継がれたが、1934年(昭和9)に公園地として東京市に下賜され、開園した。

2.有栖川宮記念公園 

地下鉄広尾駅から、数分で有栖川宮公園の入口につく。ここから登りの台地となり、上には都立図書館があり、その前の広場には、3つの彫刻と、かつての庭石があちこちに置かれている。有栖川宮熾仁親王騎馬像は、明治36年に近代彫刻の先駆者である大熊氏広の作で、三宅坂にあった参謀本部前に設置されたが、道路拡張に伴い、ゆかりのあるこの公園に移設された。「ぼくは少年新聞や」という像は、朝倉響子(1925-2016)の作。広場の中心には舟越保武(1912-2002)の作である「笛吹き少年」が置かれている。

東側の台地から、低地に向かうと中心には大きな池がある。池には中島がつくられ、脇には金沢の兼六園にもあることじ灯籠が据えられている。

池の脇の道を六本木方面に上がっていくと、太鼓橋が架けられている。水面に映り丸く見える美しい橋である。さらに渓流に沿って登っていくと滝が落ちている。庭園は、こうした台地の高低差と湧水をうまく活かして造られている。

登り坂

有栖川宮熾仁親王騎馬像・大熊氏広作

「ぼくは少年新聞や」像・朝倉響子作

「笛吹き少年」・舟越保武作
池の中島、都内では唯一のことじ灯籠

池では釣りをする人も



太鼓橋(1934(昭和9年)に開園した際に設置したもの)

太鼓橋

太鼓橋・優雅な曲線


渓流

滝口

入口(三軒家口)

3.高橋由一の龍図と庚申塚

有栖川宮公園の広尾口とは反対側に少し行くと、広尾稲荷神社がある。ここの拝殿に龍の天井画が描かれている。描いたのは近代洋画家の先駆者である高橋由一(1828-1894)。由一が、本格的な油絵制作に取り組む以前の若い時代に、狩野派の様式を基礎とする水墨技法によって描いた数少ない現存作品の一つで1847年の作とされる。図中には、「藍川藤原孝経拝画」の署名と「藍川」の印章がある。「藍川」は、由一が、狩野派に入門している時期に使用していたもので、狩野藍川孝経の落款を残す現存作品は極めて稀であり、この点でも本図は貴重とされる。

広尾稲荷神社

広尾稲荷神社・本殿

天井画「龍図」・高橋由一作

「藍川藤原孝経拝画」の署名と「藍川」の印章

また、神社裏手の通り側には祠があり、3基の庚申塔が祀られている。3基のうち、中央には元禄3(1690)、左は元禄9年の年号があり、右は摩滅のため年代不詳だが左の2基よりも古い可能性があり、庚申信仰が全国的に盛行している時代の産物であるとされる。

3基の庚申塔

3基の庚申塔

広尾には多くの大使館もあり、外国人も多く住んでいる高級住宅街であります。江戸時代には「広尾原」とも呼ばれ、広大な野原で、百姓地の中に大名の下屋敷や旗本屋敷が点在していたそうです。広尾原は渋谷川が流れ、御鷹場でもあったといいます。そうした地形を活かし大名庭園が造られ、明治には皇族の邸宅庭園となりました。そうした時代の面影の一部を、この公園に、そして近くの広尾稲荷神社に見ることができました。

なお、広尾稲荷神社の前には、かつてNTTの研修センターがあり、何度か来た覚えがありますが、今は高級マンションとなっているようです。

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