2023年6月29日木曜日

東京異空間129:大名庭園を歩く6~清水谷公園

 

清水谷公園・心字池

地下鉄の赤坂見附で降りて、高速道路の下を通り、お濠にかかる弁慶橋を渡ると、かつて「赤プリ「と呼ばれた赤坂プリンスの跡に再開発された「東京ガーデンテラス紀尾井町」の建物が見えます。その横に清水谷公園があります。

1.大名庭園の沿革

清水谷公園のある紀尾井町は、その名の通り、江戸時代の紀伊藩、尾張藩、井伊家のそれぞれ屋敷があったところで、紀伊徳川家と井伊家の境から清水が湧き出していたことから「清水谷」と呼ばれた。

このあたり一帯は、清水谷公園のある彦根藩井伊家中屋敷跡は現在「ホテルニューオータニ東京」、紀伊藩徳川家上屋敷跡は「東京ガーデンテラス紀尾井町」、尾張藩徳川家中屋敷は「上智大学キャンパス」がそれぞれ建っている。 また、紀伊徳川家中屋敷の敷地は「迎賓館」、「赤坂御用地」となっている。

1878年(明治11)には、「維新の三傑」の一人、大久保利通が馬車で赤坂仮皇居へ向かう途中に、この地で暗殺された。いわゆる「紀尾井坂の変」で、後に暗殺現場に大久保と親交のあった西村捨三、金井之恭、奈良原繁らによって「贈右大臣大久保公哀悼碑」が建てられた。(この事件は紀尾井町清水谷で起きたにも関わらず「紀尾井坂の変」と呼ばれている。 )

1884年(明治17)には、北白川宮邸が、ジョサイア・コンドルによる設計で洋館が建てられた。その後、この跡地は朝鮮王朝の李王家に与えられ、英国チューダーゴシック様式の邸宅が建てられた。現在は、赤坂プリンス クラシックハウスとして利用されている。

1890年(明治23)に、この一帯の土地が東京市に寄贈されたのを受け、公園として整備され「清水谷公園」として開園した。

「贈右大臣大久保公哀悼碑」


2.清水谷公園

清水が湧き出たことから清水谷という名が付けられているが、いまは涸れて人工的に復元した心字池と呼ばれる池がある。近くには、やはり復元された清水井戸がある。

また、偕香苑という茶室が建っている。1984年(昭和59)に建てられ、のちに千代田区に寄贈されたものである。

清水谷公園・心字池

清水谷公園・心字池

偕香苑

清水の井戸


清水谷公園というと、庭園よりも、デモや集会の場所として知られていた。196070年代にかけて、学生たちがここに集まり、そのあと行進して機動隊と衝突したりした。シニアの世代には、こちらのイメージのほうが強く印象に残っていると思う。

いまは公園も整備され、手前の「赤プリ」といわれていた赤坂プリンスホテルの跡地は再開発され、東京ガーデンテラス紀尾井町としてオフィス、レジデンスの棟と、先に述べたクラシックハウスなどの複合施設となっている。

紀伊和歌山藩徳川屋敷の標識。赤坂付近

東京ガーデンテラス紀尾井町・パブリックアート


清水谷公園の向かいがホテル ニューオータニです、次にこちらの庭園を散策しました。

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