2023年4月7日金曜日

東京異空間95:善福寺公園の桜

 

善福寺の桜

自宅からの距離はほとんど変わらないところに石神井公園と善福寺公園がありますが、善福寺公園を訪れたのは初めてです。善福寺公園にも石神井公園に三宝池、石神井池があるように、二つの池、上の池と下の池があります。井の頭池、三宝池と並び武蔵野台地の三大湧水池といわれています。

また、近くには井草八幡宮があり、ここも初めて訪れました。

1.善福寺公園の歴史

このあたりが農村地帯であった江戸時代には、善福寺池が貴重な水源であった。池は「遅野井池」とも呼ばれた。言い伝えによると、源頼朝が軍を率いて奥州征伐に向かう途中、氏神である八幡宮(井草八幡宮)に祈願し、無事征討して、この地に戻ったが、旱魃のため軍勢は渇きに苦しんだ、そこで飲料水を求めるため頼朝は自らの弓で地面を掘ったが、軍勢はあまりの渇きのため水の出を「今や遅し」と待ったところ水が湧き出たということから、「遅の井(おそのい)」と名付けられたという。その後、江ノ島弁財天を勧請して、池のほとりに善福寺弁財天を創建したとされる。ちなみに古くは、近くの井草八幡宮も「遅野井八幡」と呼び、善福寺川も「遅野井川」と呼ばれていた。

また、善福寺という名の由来は、西側の丘に善福寺と万福寺の二つの寺があり、その一つをとって池の名となったという。ところが、この二つの寺は大地震で池水があふれ倒壊してしまい、寺跡も残っておらず、不明となっている。なお、今も近辺に善福寺というお寺があるが、こちらは福寿庵という元々の名前であったが、後年地名をとって改名したものであり、池の名前の由来とは関係がない。

昭和5年に、石神井池が風致地区に指定されたと同じく、善福寺池も風致地区に指定された。風致地区というのは、特に都市の風致を維持し、美しく快適な環境を造成することを目的とした都市計画の施策である。

池の畔に大きな銅像が立っている。内田秀五郎(1876-1975)は、風致地区として協会をつくり自然保護、公園の整備などに尽力した人で、ほかにも様々な活動を行い杉並の発展の基礎を築いた偉人とされている。

遅の井滝(枯れている)

遅野井湧水の碑

市杵嶋(いちきしま)神社(弁財天)

内田秀五郎銅像

2.善福寺の桜

善福寺池の周囲に桜が植えられ、また池にはボートが出て桜を楽しんでいる。善福寺公園は、ゆったりと落ち着いた雰囲気があり、近所の人々の憩いの場となっているようだ。

善福寺公園にも上の池、下の池があり、ボート場もあり、また池のほとりには弁財天を祀られている。

善福寺(上の池)の桜










3.井草八幡宮

善福寺公園から数分で井草八幡宮に着く。先に述べたように、源頼朝が奥州征伐の折、八幡神に戦勝祈願したと伝わる。また、1477年には太田道灌が石神井城の豊島氏を攻めるにあたり戦勝祈願したという。

江戸時代には、三代将軍・家光が寺社奉行井上正利をして社殿を造営した。

もともとは、上井草村の鎮守の森であり、今も森厳な空間をつくっている。広い境内には、頼朝手植えの松と伝わる松があったが昭和49年に枯れてしまったという。

楼門の赤が映えている。参道に出ると、赤い大きな鳥居と赤い大きな灯籠が2基並んでいる。こちら側が青梅街道に面している。

参道から、青梅街道を少し歩くと、江戸向き地蔵といわれる三体の地蔵菩薩像と供養塔が立っている。これらは江戸時代に造立されたもので、地域の人々が集まって念仏を唱え、死者の供養を行っていたという。

そこに「曹洞宗 善福寺」という看板があり、この先200メートルと矢印が書かれている。このお寺が、ややこしいが先に述べた善福寺の由来とは関係ない改名した善福寺である。

参考:

『石神井・善福寺公園』東京公園文庫30 佐藤保雄 1981

井草八幡宮・神門

井草八幡宮・拝殿

拝殿

井草八幡宮・楼門

井草八幡宮・左が頼朝手植えの松(代替)

井草八幡宮・楼門

井草八幡宮・参道

大鳥居

大灯籠と大鳥居


江戸向き地蔵と供養塔、左の看板は「善福寺」を示す

4.本立寺の桜

善福寺の帰りに、西武線武蔵関駅の近くにある日蓮宗・本立寺に寄った。ここの枝垂れ桜も見事であった。

なお、本立寺については、「東京異空間54:石仏巡りⅡ(2022/02/10)で取り上げている。

観音菩薩と桜

地蔵菩薩と桜

枝垂れ桜


枝垂れ桜

石神井公園には、時々行くことがありますが、今回、善福寺公園と井草八幡宮は初めて訪れました。どちらも二つの池を中心とした静かなゆったりとした公園です。またそれぞれユニークな伝説もあり、古くから地元に愛されてきた公園なのだと思いました。

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