熊野速玉大社(新宮) |
先に行った神倉神社は、熊野速玉大社(新宮)の摂社となっているが、もともとは神倉山の磐座、ゴトビキ岩に祀られていた神を、いつの頃からか、現在の速玉大社に祀るようになり、神倉の元宮に対し、新宮と呼んだという。
また、主神の速玉とは、玉のように光る生命力を象徴するもので、その起源を近くに流れる熊野川に求める説もあるという。その場合、本宮に対して新宮と呼んだとされる。
その川の神の祭りとして、御船祭が10月に行われる。熊野川に中にある御船島を早舟を先頭に神霊を乗せた船が3周して神事を行う。この時、早舟9隻が島の周りを競漕する勇壮な祭りである。
太鼓橋を渡り、鳥居をくぐり、進んで行くと大樹、御神木の梛木(ナギ)がある。ナギという木は、関東の方ではあまり見ない、温暖な地域に分布するマキ科の木だという。
葉脈が縦に入っているので、強く引っ張っても裂れないことから葉や実が夫婦円満、縁結びのお守りとしても使われている。
御神木の梛木(ナギ) |
神門をくぐると、ふつうの神社のように正面に本殿があるのではなく、横一列に美しい社殿が並んでいる。主祭神は、熊野速玉大神と熊野夫須美大神の二神で、この二神は、夫婦神だという。熊野速玉大神はイザナギノミコトとされ、御神木のナギに通じる。
八咫烏神社 手力男神社
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御神木の梛木の向かいにある神宝殿の横では、梅の花が満開となっている。入り口には大きな武蔵坊弁慶の木彫が置かれている。閉まっていたため、連絡をして開けていただき拝観できた。
神宝殿には、1200点余りの古神宝が収められていて、いずれも国宝となっている。「神宝」とは、祭神のためにつくられた神服、蒔絵手箱、銅鏡、弓矢などの調度類で、とくに室町幕府、足利義満が奉納したとされる神宝は、さすがに見事な工芸品である。
神宝殿の梅 |
神宝殿の前に立つ武蔵坊弁慶 |
次に向かった、熊野川河口の蓬莱山に鎮座する阿須賀神社は、いまは速玉大社の摂社となっている。社の後にある蓬莱山は、円錐形をした神奈備山で、もともと阿須賀神社はこの蓬莱山をご神体とする自然崇拝の祭祀場であったといわれる。蓬莱山は飛鳥山ともいわれ、阿須賀=飛鳥ということは、奈良の飛鳥に通じるものがあるのだろうか?とも思ってしまう。
また、阿須賀神社は、熊野神社発祥の地ともいわれる。古伝によれば、熊野大神は最初、神倉山に降臨し、次に阿須賀の森に遷り、その後、本宮に遷り、新宮に遷座したとして、本宮、速玉大社より古いことを主張しているという。
阿須賀神社 |
阿須賀神社 |
阿須賀神社の付近には、こんな人形が置かれていた |
本宮から熊野川を船で下って新宮に詣でることは、今も昔も使われているようです。船から両岸の景色を楽しみながら、しかも徒歩よりも楽に詣でることができることから、こちらを選ぶこともあったようです(残念ながら、冬場や運航していませんでしたが)。
平安中期には、本宮よりも新宮(速玉)のほうが位(神階)が高かったということです。ただ、今の社殿は、昭和42年(1967年9に再建されたもので、鮮やかな朱と青緑の色彩が美しい。
平安中期には、本宮よりも新宮(速玉)のほうが位(神階)が高かったということです。ただ、今の社殿は、昭和42年(1967年9に再建されたもので、鮮やかな朱と青緑の色彩が美しい。
同じく、阿須賀神社も、戦後になって再建されたもので、どちらも古い歴史を持っている神社ですが、その古さを感じるところは少なくなっています。しかし、辺りの森や樹々にその歴史を想うと、信仰の深さを見ることができました。
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