花の窟(はなのいわや) |
本宮からバスに乗り、熊野川沿いを通って新宮に出る。冬場は運航していないが、熊野川を船で下ることもでき、川の両側には、滝や切り立った奇岩などを見ることができるようだ。昔の貴族たちも本宮から新宮(速玉)へ、歩くより楽な船の路を利用したという。
新宮駅から熊野市駅へ、こちらはJR東海になる。新宮駅を境に東側はJR東海、西側はJR西日本となる。
かっての紀州藩のエリアは、廃藩置県により三重県と和歌山県に分割されてしまったが、かっての国鉄も、同様に分割されている。
熊野川 |
熊野川 |
JR東海で、熊野市駅へ |
熊野市駅を降り、海沿いを歩くと、こちらは伊勢路となる。海に突き出した奇岩「獅子巌」が見えてくる。まさしく、おそろしい怪獣だ。
七里御浜 |
獅子巌 |
獅子巌 |
獅子巌 |
さらに七里御浜を歩いていくと、花の窟(はなのいわや)に至る。ここは、日本書紀に記されているように、イザナミノミコトが埋葬された場所として信仰されてきた。高さ45mもある大岩窟がイザナミノミコトの御神体とされる。ここをイザナミノミコトの陵とみなされ「黄泉国」の入口ともされ、鎮魂儀礼である最古の花まつりが行われた。
今でも、その信仰が受け継がれ「お綱掛け神事」が2月と11月に行われ、約10mの三流(みながれ)という幡形、下部に季節の花や扇子などを付けたものを、約170mもある大綱に吊るし、大綱の一端を岩窟上45mの高さの御神体の岩に、もう一端を境内にある御神木の松に掛け渡している。
今でも、その信仰が受け継がれ「お綱掛け神事」が2月と11月に行われ、約10mの三流(みながれ)という幡形、下部に季節の花や扇子などを付けたものを、約170mもある大綱に吊るし、大綱の一端を岩窟上45mの高さの御神体の岩に、もう一端を境内にある御神木の松に掛け渡している。
この大綱が海風に吹かれ大きく揺れる様は、御神体イザナミノミコトを鎮魂するとともに、葬送儀礼を行い続けているように見え、不思議な感動があった。
白石を敷き詰めて玉垣で囲んだ拝所で、御神体の前にひざまずき、手を合わせ、何度も頭を下げるご婦人がおられ、日本書紀に記されていることが、いまにも続く信仰の姿を見ることができたような気がした。
花の窟・御神体 |
花の窟・窪みがホトといわれる |
花の窟 |
花の窟 |
お綱掛け |
お綱掛け |
お綱掛け |
大綱を結んである所 |
花窟神社・手水舎前の玉石 |
花窟神社 |
花窟神社境内にある黄金竜神社 |
花窟神社には、社殿はなく、岩窟が御神体となっているが、ここから20分ほど歩くと、産田(うぶた)神社に至る。
花の窟がイザナミノミコトの「墓所」であるのに対し、こちらは名前の通りイザナミノミコトの「産屋」にあたる場所だという。
本殿前には、白石がびっしりと敷き詰められている。この白石は、七里御浜海岸で、波によって丸く削られたもので、子供のできない夫婦は、この白石を貰ってきて、家の神棚に納めておき、無事子供が生まれると、浜に行って白石を拾い倍にして返す、という風習があるという。
また、社殿の左右には「神籬(ひもろぎ)」といわれる丸石が置かれている。「神籬」とは、神社の原始的形態とされる神域を示すもので、神社に社殿もなかった時代に神を迎えるための依り代(よりしろ)となる空間であったという。
産田(うぶた)神社 |
産田(うぶた)神社・本殿 |
神籬(ひもろぎ) |
神籬(ひもろぎ) |
産田神社境内 |
狛犬も白石を抱える |
白石を囲む |
産田神社内・稲荷神社 |
産田神社内・稲荷神社 |
白石と青石がきれいに並ぶ |
海に突き出た獅子巌、花の窟の大岩、敷き詰められた白石や神籬、こうした自然信仰にふれると、生と死、陰と陽、といった根源的なものを信仰する古代人と同様な感覚が生じてくるようでした。
産田神社から近くのJR東海・有井駅に出て、新宮駅を過ぎて、JR西日本・紀伊勝浦駅で降り、この日の宿泊場所に向かった。
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