紺碧の美しい海に突き出すように断崖絶壁がそそり立つ。
三段壁 |
ここ三段壁は、熊野水軍の舟隠し場だったといわれている。熊野水軍は、熊野三山を統括する別当であった湛増(1130-1198年)が、南紀の海の民(海賊)を組織化し、瀬戸内海まで制海権を握ったという。すでに、闘鶏神社の際に紹介したように、この水軍が源平合戦において、源氏に味方したことによって、その勝利に大いなる貢献をしたと伝わる。
三段壁洞窟には、エレベータで降りることができ、狭い洞窟内に、激しい波が打ち寄せ轟音を響かせている。
中には、熊野水軍の様子を伝える鎧や船などが展示されている。また、奥まったところに、水の神とされる「牟婁大弁財天」が鎮座している。
洞窟の奥に空洞が続いていて、そこまで波が打ち寄せては引き返し、激しい波飛沫と轟音をあげている。
洞窟の天井の岩を見上げると、波模様が美しく現れている。約1,600万年前に波や潮流によって海底の砂や泥が動かされ、地層の表面に作られたもので、「漣痕(リップル)」というそうだ。その漣痕が次々と積み重なり地層の中に保存されたのが、この天井岩盤となっている。
三段壁洞窟 |
牟婁大弁財天 |
漣痕(リップル)の天井岩盤 |
漣痕(リップル) |
海岸線をさらに上がると、円月島が見えてくる。この島は、「高嶋」が正式名称であるが、「円月島」という通称でよく知られている。名前の通り、島の中心部に大きな穴があいていて、ここから夕日が見えることから夕景の絶景として、写真スポットにもなっている。
すでに明治に発行された、湯崎といわれた白浜温泉の案内図(ガイドブック)にも登場し、名所となっている。古い絵葉書(複製)を三段壁の売店で購入した。
円月島・「高嶋」 |
古い絵葉書(複製) |
円月島の夕日を今か今かと、カメラを構えて待っていました。何枚もシャッターを切るうち、もうすぐ陽が沈む、その10分ぐらい前に、空港に行く最終バスに乗るタイムリミットとなってしまいました。カメラのファインダーから目が離せないぐらいに、ひきつけられた時間でした。
空港に着き、熊野三山・南紀の海の旅の余韻に浸りながら、戻ってきました。
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