熊野三山のうち、本宮大社から速玉大社(新宮)と詣でて、いよいよ那智大社に至る。
那智大社は、先の二社とは異なり、山中の那智滝を神の依り代とする自然崇拝に始まることから、社殿が創建されたのは、二社よりも後とされる。
参道の長い石段を上がった山の上に朱の鳥居と社殿がある。社殿は、6棟並び十二所権現が祀られているのは他の二社と同様だが、その第一殿に滝宮があり、那智大社のみの配置であるという。
拝殿の前には、さっき古道ですれ違った神職姿の方が立っていたいたが、そのうちタブレットを開いて写真を撮りはじめた。そこで初めて気が付いた、そう、平安貴族風の貸衣装を付けた一般の観光客の一人にすぎないと。
また、そのときには、少しの疑問も持たなかったが、拝殿の前に護摩木が焚かれ煙が上がっていた。仏殿の前では、お線香をたいて、その煙を頭などに擦り付ける光景はよく見るが、神社の拝殿の前で、こうした護摩をたくというのも神仏習合の形をとどめているということか。
拝殿では、巫女さん(こちらは本物)が舞を奉仕されていた。
拝殿に向かって右側には樟の御神木があり、中に空洞ができていて、通り抜けることができるようになっている。これも、お寺でみかけることのある胎内くぐりとおなじようなことか。
拝殿の前に護摩木が焚かれ煙が・・・ |
巫女さんの舞 |
社殿の前には八咫烏 |
樟の御神木から山を望む |
樟の御神木をくぐる |
那智大社の境内に隣接して、青岸渡寺がある。如意輪観音を本尊とすることから、如意輪堂とも称される。
熊野三山は、三社が一体となり、神仏習合が進んで仏とも一体となり信仰が広まり、熊野詣が盛んになった。しかし、明治期の神仏分離にともない、他の二社、本宮大社、速玉大社では仏堂が全て廃されたが、那智大社では如意輪堂が破却を免れたことにより、その形態が残されている。
青岸渡寺は、西国三十三所巡礼の一番札所となっている。それは、花山法皇が千日(3年間)の滝籠りをされ,那智山を一番にして近畿各地の三十三観音を巡拝したことからはじまるという。 こうした伝承が伝えるように、熊野詣の盛行により、もとは長谷寺(奈良)が一番札所であったものが変わったという。
本堂は、織田信長の兵火にかかり、天正18年(1590)豊臣秀吉によって再建され、桃山時代の建築の特徴をとどめているという。
また、本堂の先にある三重塔は、昭和47年に再建されたものであるが、ここから見る那智の大滝は、美しく、写真スポットしてもよく知られたものとなっている。
三重塔内にある千手観音 |
三重塔内 |
青岸渡寺・山門 |
三重塔と大滝 |
大門坂から熊野古道の石畳を歩き、長い階段を上り、那智大社にいたり、さらに青岸渡寺とあわせ、かっての熊野三山の神仏習合の形態を、ここに垣間見ることができたように思います。
西国三十三所、一番札所の青岸渡寺の御朱印をいただきました。家内の曽祖母が、その昔、西国三十三所巡礼をしたときの奉納経(御朱印帳)が残っています。はたして、自分たちは西国三十三所をまわることは・・・?
青岸渡寺の御朱印 |
曾祖母の奉納経 |
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