2020年3月6日金曜日

よみがえりの地1~熊野三山と南紀の海

紀伊山地の霊場として、吉野(金峯山寺)、高野(金剛峯寺)、さらに熊野三山がある。いずれも「野」が付くが、これは「遠く離れた未開の地」という意味だという。また「熊野」の熊は「隈」という原義で、「奥まった未開の地」という意味であるという。

今回は、熊野三山を中心に南紀の海をめぐってきた。古道を歩いていくと、山の信仰、海の信仰、川の信仰、滝の信仰、巨石の信仰、ほかにも大樹、玉石など、自然崇拝に触れることができ、寺社に詣でると、神と仏の習合した信仰に近づくことができ、南紀の青い海を見ることで、極楽浄土を望み、そこから現世への「よみがえり」(「甦り」、「蘇り」、「黄泉がえり」)の祈りを感じるような異空間の旅であった。
熊野の山々の夕景

熊野三山は、本来別々の神を祀っていた本宮、新宮(速玉)、那智の三社が一体化し、三神を相互に祀り合うようになった。さらに神仏習合が進んで、本宮は釈迦如来を本地仏に、新宮は薬師如来を本地仏に、那智は千手観音を本地仏とするようになり、それぞれ本宮は釈迦如来の西方極楽浄土、新宮は薬師如来の東方瑠璃浄土、那智は観音の住む補陀落浄土とみなされ、熊野全体が浄土の地となった。
こうした熊野信仰は、平安時代には貴族の間に広まり、とくに院政期には、後白河上皇は34回も参詣するなど、熊野詣がさかんとなった。後白河上皇が編纂した「梁塵秘抄」には、次のような歌が詠まれている。
 熊野へ参らむと思えども、徒歩(かち)より参れば道遠し、すぐれて山峻(きび)し、馬にて参れば苦行ならず、空より参らむ、羽を賜(た)べ若王子(にゃくおうじ)
(解釈)
熊野詣に行こうと思うが、歩いて行ったら道は遠いし山は険しい
馬で行けば修行にならない。熊野の神様、どうか羽をください。

このころは、京の都から、摂津、紀伊を通り、田辺から山中に分け入り峠を越えて「本宮」へ、本宮からは、熊野川を下って河口の「新宮」へと至り、海沿いに「那智」へと進み、さらに「本宮」に戻って、熊野三山の巡拝を終えるというのが、参詣ルートであった。
今や熊野参詣道は、吉野からの大峰奥駆道、高野山からの小辺路、紀伊路から田辺で分かれ中辺路と大辺路に、伊勢神宮からの伊勢路が世界遺産に登録されている。
今回の旅では、(羽をいただき?)白浜空港から田辺を通って本宮へ。本宮から新宮に出て速玉へ、さらに那智大社へとまわったが、熊野古道として歩いたのは、大門から那智への路で、あとはバスなどを利用した。
大斎原(おおゆのはら)

産田社

大斎原

熊野本宮大社

熊野本宮大社

熊野本宮大社


熊野本宮大社

熊野本宮大社

熊野速玉大社

熊野速玉大社

熊野速玉大社

熊野古道・大門坂

多富気王子

熊野古道・大門坂

熊野古道・大門坂

熊野那智大社

熊野那智大社

熊野那智大社

熊野那智大社

青岸渡寺

青岸渡寺・三重塔から那智大滝

青岸渡寺・三重塔から那智大滝

青岸渡寺・三重塔から那智大滝

那智大滝

那智大滝

那智大滝

那智大滝

那智大滝

那智大滝

那智大滝

那智大滝

獅子巌

花の窟神社

花の窟(いわや)

花の窟(いわや)

産田神社

産田神社

神倉神社・ゴトビキ岩

神倉神社・ゴトビキ岩

神倉神社


阿須賀神社
徐福公園

補陀落山寺
闘鶏神社

闘鶏神社

南紀の海

南紀の海・千畳敷

南紀の海・三段壁

南紀の海・三段壁

南紀の海・三段壁

南紀の海・円月島

南紀の海・円月島

南紀の海・円月島

熊野の山々

本ブログでは、「よみがえりの地1~熊野三山と南紀の海」を総集編とし、めぐってきた各地を個別編のシリーズとして、アップしていくつもりですので、お付き合いただければと思います。

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