紀伊山地の霊場として、吉野(金峯山寺)、高野(金剛峯寺)、さらに熊野三山がある。いずれも「野」が付くが、これは「遠く離れた未開の地」という意味だという。また「熊野」の熊は「隈」という原義で、「奥まった未開の地」という意味であるという。
今回は、熊野三山を中心に南紀の海をめぐってきた。古道を歩いていくと、山の信仰、海の信仰、川の信仰、滝の信仰、巨石の信仰、ほかにも大樹、玉石など、自然崇拝に触れることができ、寺社に詣でると、神と仏の習合した信仰に近づくことができ、南紀の青い海を見ることで、極楽浄土を望み、そこから現世への「よみがえり」(「甦り」、「蘇り」、「黄泉がえり」)の祈りを感じるような異空間の旅であった。
熊野の山々の夕景 |
熊野三山は、本来別々の神を祀っていた本宮、新宮(速玉)、那智の三社が一体化し、三神を相互に祀り合うようになった。さらに神仏習合が進んで、本宮は釈迦如来を本地仏に、新宮は薬師如来を本地仏に、那智は千手観音を本地仏とするようになり、それぞれ本宮は釈迦如来の西方極楽浄土、新宮は薬師如来の東方瑠璃浄土、那智は観音の住む補陀落浄土とみなされ、熊野全体が浄土の地となった。
こうした熊野信仰は、平安時代には貴族の間に広まり、とくに院政期には、後白河上皇は34回も参詣するなど、熊野詣がさかんとなった。後白河上皇が編纂した「梁塵秘抄」には、次のような歌が詠まれている。
熊野へ参らむと思えども、徒歩(かち)より参れば道遠し、すぐれて山峻(きび)し、馬にて参れば苦行ならず、空より参らむ、羽を賜(た)べ若王子(にゃくおうじ)
(解釈)
熊野詣に行こうと思うが、歩いて行ったら道は遠いし山は険しい。
馬で行けば修行にならない。熊野の神様、どうか羽をください。
馬で行けば修行にならない。熊野の神様、どうか羽をください。
このころは、京の都から、摂津、紀伊を通り、田辺から山中に分け入り峠を越えて「本宮」へ、本宮からは、熊野川を下って河口の「新宮」へと至り、海沿いに「那智」へと進み、さらに「本宮」に戻って、熊野三山の巡拝を終えるというのが、参詣ルートであった。
今や熊野参詣道は、吉野からの大峰奥駆道、高野山からの小辺路、紀伊路から田辺で分かれ中辺路と大辺路に、伊勢神宮からの伊勢路が世界遺産に登録されている。
今回の旅では、(羽をいただき?)白浜空港から田辺を通って本宮へ。本宮から新宮に出て速玉へ、さらに那智大社へとまわったが、熊野古道として歩いたのは、大門から那智への路で、あとはバスなどを利用した。
大斎原(おおゆのはら) |
産田社 |
大斎原 |
熊野本宮大社 |
熊野本宮大社 |
熊野本宮大社 |
熊野本宮大社 |
熊野本宮大社 |
熊野速玉大社 |
熊野速玉大社 |
熊野速玉大社 |
熊野古道・大門坂 |
多富気王子 |
熊野古道・大門坂 |
熊野古道・大門坂 |
熊野那智大社 |
熊野那智大社 |
熊野那智大社 |
熊野那智大社 |
青岸渡寺 |
青岸渡寺・三重塔から那智大滝 |
青岸渡寺・三重塔から那智大滝 |
青岸渡寺・三重塔から那智大滝 |
那智大滝 |
那智大滝 |
那智大滝 |
那智大滝 |
那智大滝 |
那智大滝 |
那智大滝 |
那智大滝 |
獅子巌 |
花の窟神社 |
花の窟(いわや) |
花の窟(いわや) |
産田神社 |
産田神社 |
神倉神社・ゴトビキ岩 |
神倉神社・ゴトビキ岩 |
神倉神社 |
阿須賀神社 |
徐福公園 |
補陀落山寺 |
闘鶏神社 |
闘鶏神社 |
南紀の海 |
南紀の海・千畳敷 |
南紀の海・三段壁 |
南紀の海・三段壁 |
南紀の海・三段壁 |
南紀の海・円月島 |
南紀の海・円月島 |
南紀の海・円月島 |
熊野の山々 |
本ブログでは、「よみがえりの地1~熊野三山と南紀の海」を総集編とし、めぐってきた各地を個別編のシリーズとして、アップしていくつもりですので、お付き合いただければと思います。
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